蛇口が取れた

4年半の杭州生活を終え、ついに帰国。現在、中国人化後遺症に悩まされ、好評リハビリ中。

打てる手は打つ

2011-03-30 11:26:03 | 杭州・杭州周辺
大震災、原発事故と不安な日々が続きますが、
みなさんいかがお過ごしでしょうか?

連日の報道にあるとおり、在日外国人が国外に退避しています。
私が住む街にはフランス人が多くいるのですが、
どうやら早々に退避していたようで、早くから姿が見られなくなりました。

そんな中、我々一家も夜逃げ同然に日本を離れました。
目的は一つ。
ちびりんこを守るため。

うちのちびりんこは、生後10ヶ月余り。
大人なら問題ない値でも、彼にとっては重要な問題。
今後の彼の人生のためにも、打てる手を打とう、
それが、我々の出した結論でした。

保育園にも無理を言って身体検査を早めてもらい、
17日夜、羽田から韓国ソウル経由で上海入りをしました。
ちびりんこの体に負担をかけるのではないかと心配をしましたが、
幸いにも体調も崩さず、元気に中国まで無事たどり着きました。
(それにしても、仁川空港、ちょっと不満。
子供のミルクを作るのに、お湯がなかなか手に入らず、あまり優しくない空港だと感じました。)

現在、彼は問題なく元気に過ごしています。
今しばらく日本の様子を見てから帰国ということになりそうです。
(なお、私はすでに帰国しています)

さて、なぜ在日外国人はいち早く日本を脱出したのか。
一つは、もちろん「帰る場所」があるから。
脱出する場所があるというのは、この場合間違いなく強みです。
私も中国にいるとき、何かあったら日本に戻るという選択オプションをもっていたのは、
実際使う場面はなかったものの、心強いものでした。

それと、中国のみとの比較ですが、
中国人は基本的に政府を信用していない、というのがあります。
というより、日本人は政府を基本的に信用しすぎているということです。
日本人は頭のどこかで政府が自分たちを最終的には守ってくれると信じているのだと思っております。
もちろん、私も日本人ですから、中国人よりも政府を信用しています。

ですが、中国人(恐らくほかの外国人も)は、
政府の出す情報は嘘が混じっている、むしろ本当のことは言っていない、
と思っているために、自分の身は自分で守るしかないと考えているのです。
そう、ポイントは「自分の身は自分で守る」ということなのです。

さらには、情報が中心から離れれば離れるほど限定的になり、
それがために、恐怖が倍増されていくということもあるのかもしれません。
中国でも連日特集を組んでニュースを流していましたが、
津波の映像、破壊された町の映像、原発から漏れ出る放射性物質の情報などを中心的に取り上げ、
日本のテレビなどで連日報道されているような復興への努力や
放射性物質がどこまで危険でどこまで安全かということについては、さほど報道されていません。
報道されていても、今の段階では中国での生活には直接関係していないので、
日本人のように真剣に番組内容を捉えてはいないのかもしれません。

いずれにしても、「地震」「津波」「原発事故」というキーワードだけが人々に印象付けられ、
そのため、逆に「大変だ」「危険だ」という気持ちが膨らんでいくのだと思います。
恐らく、国外退避をした人たちの中にも、母国にいる家族や友人からの強い勧めによって決断したという人たちが多くいることと思います。
実際、我々もそうでしたから。

ほかにもまだいろいろ理由はあると思いますが、
在日外国人たちは、いろんなことを判断した上で退避したのだと思います。
中には、「逃げた」と批判する向きもあるみたいですが、
逆の立場になれば、そう判断するのも止むを得ないということに気づくはずです。

今、東京では水の購入が困難な状況になっています。
無駄な買占めはもちろんいけませんが、
それを一面的に批判するのもどうなんだろうと思います。
お年寄りが水をたくさん買っているのも、
もしかしたら、乳飲み子の孫のために買っているかもしれないですし。

人が何かをするとき、
人それぞれの事情・背景があって行動を起こします。
もちろん、全てが正しいというわけではないのですが、
こんなときこそだからこそ、
様々な「どうだろう?」という現象を一面的に捉え批判せずに、
冷静に判断できたらと強く思いました。


それにしても、政治家がここまでダメダメだとは正直がっかりですが。

みな無事です

2011-03-12 16:02:27 | 日本・東京
何人かからメールをいただきました。
ありがたい話です。

そこで、一応、ここで無事である事を報告いたします。
家族皆、おかげさまで無事です。
ご安心下さい。

このブログを見て下さっている方々もご無事である事を祈っております。


男子トイレのかみ様

2011-02-21 01:59:37 | 日本・東京
職場に男子トイレがある。
当たり前だ。
女子トイレがあれば男子トイレもあるはずだ。
うちの職場もその前例に違わず、
女子トイレがあるから男子トイレもある。
自然の摂理に則っるくらいの常識はわきまえているようだ。

その男子トイレには奇妙な言い伝えがある。
私も赴任した頃に小耳に挟んだだけだが、
その私の耳垢にまみれた情報を、
その後、自らが念入りに調査した結果、ある結論に達した。
ここに報告する次第である。

その前に、職場の男子トイレを紹介しておく。
みなさんは男子トイレというものをご存じだろうか?
うら若き乙女たちの中には、
「いや~、わかんな~い」などと、
一体誰に向けてアピールしてるのだというような今時流行らない「とぼけ」っぷりをかまし、
知らんぷりを決め込もうとする向きもあろうが、
そんな乙女たちも、大人になり、子供を産み、
子供がようやく手のかからない年齢になった頃に、
新宿から安い温泉バスツアーが出ているわよと、
隣のミチコちゃんのママにそそのかされ、
じゃあ、ケンタくんのママも誘っていっしょに行きましょうよ、なんてことになり、
朝早くから準備万端で、予定時刻よりも30分も早く新宿に着いて、
ミチコちゃんのママ遅いなあ、寒いからコーヒーでも飲んで待ってましょう、
いいわ、私が買ってくるから、
あ、悪いわね、とコーヒーを飲みながら待っていると、
出発時間のギリギリになって、ようやくミチコちゃんママがやってきて、
ごめんごめん、うちの亭主がさあ、なんて言い訳をいいだしたけど、
もう、時間よ、早く乗っちゃいましょうよ、と慌てて乗ったはいいけれど、
うっかり出発前にトイレに行くのを忘れてしまい、
んなもんで、すぐさまトイレに行きたくなってしまったのだが、
そのバスは安いツアーだけあって、旧型だったのが運の尽き、車内にトイレなぞなく、
ああ、コーヒーなんて飲まなければよかった、ミチコちゃんママのせいだわ、
などと、ぼやいてみても後の祭り、
途中休憩までひたすら遠くを見てみたり、
意味なく話しかけてみたり、
足を何度も組み替えてみたり、何とか気をそらし続けていると、
ようやく旧型バスはパーキングエリアに進入、
我先とトイレまで急ごうとするも、走ると粗相をしてしまう危険性があるので、
競歩選手もかくありなん、というスピードで前へ着実に進み、
女子トイレ前にたどり着いたところ、
その日は、絶好の行楽日和の土曜日だったため、女子トイレには長い行列、
ああ、もう我慢できない、背に腹は代えられない、
私はもうおばさんだから、恥なんて棄ててしまったわ、
と、男子トイレに飛び込んでいく、
そんな状況が必ず訪れるはず。
なので、男子トイレそのものの説明は省くとする。

さて、職場の男子トイレである。
職場の男子トイレは少々変わっており、
エレベーターが完備されている近代的建物であるにもかかわらず、引き戸である。
しかも、和風の。
和風である以上、そこで面倒だがいったん靴を脱いで中に置いてある下駄に履き替えなくてはならない。
脱いだ靴はきちんと揃え、下駄箱にしまうのがルール。
下駄は、大きいものから小さめのものまで揃っており、鼻緒も黒一色という渋い構成。
でも、なぜか右だけが一つ多い。
だれかが、左を脱ぎ忘れてそのまま出て行ってしまったのだろうか。

ともかく下駄を履いて中に入ると、そこは十畳ほどの広さ。
入ってまず目に入るのが、正面の大きな窓。
そして、その窓の先に広がるオーシャンビュー。
職場で一番の自慢の景色がこの男子トイレだという。
頃合いを見計らって、ここで愛を語らっている連中もいるというのだから恐れ入る。
また、窓の下には小さな踏み台があり、泳ぎたくなったら、そこから飛び込んでも構わないらしい。
ただし、命の保証はないとのこと。

そして、入り口からみて右側に洗面台があり、鏡にはルージュで伝言がされていたりする。
男子トイレなのに。
そのまま奥に進むと、右手に小水用のトイレがある。
一番手前は障害者用になっているが、なぜかいつもグレープ味のガムが挟まっている。
ミント系であることはない。
まわりには手すりがあるが、これは唐草文様でデコレートされている。
不思議な光景だ。

小水用の正面、つまり、入り口から見て左手、そこは個室である。
個室は都合3個。
奥から松・竹・梅のプレートがかかっている。
梅プレートの横には誰が書いたか知らないが、
「すっぱい」と油性マジックで落書きがされている。
そこで用を足すと、「すっぱいのか?」と想像をかき立てられる。
その点、竹は幼稚だ。
「竹丸参上!夜露死苦!」と書いてある。
いまどきそりゃねえだろ。
職場に元暴走族リーダーがいるのかもしれない。

問題は松である。
そしてこの松ルームこそが問題の場所である。
松の扉はいたって綺麗。
誰も落書きをしていないどころか、常に磨かれて光っている。
誰かが蹴り飛ばした下駄の跡すらついていない。
洗剤のコマーシャルか、と疑ってしまうほどの白さである。

そして、いつも扉は閉まっている。
鍵が閉まっているのだ。
いつ行っても、必ず閉まっている。
ドアをノックしても、返事はない。
あなたのおうちはどこですか、と尋ねても、
ニャンニャンニャニャーンすら帰ってこない。
誰もいないのではないか。

でも、音がするのである。
耳を澄ませば、扉の向こうから、
「カラカラカラカラ」とかすかに音が聞こえてくる。
まるで風車が風に吹かれているようなかすかな音である。
もしや、風車の弥七?
ねえねえ、弥七?
トイレに風車を指したまんま旅に出た?
だけど、風がないときにも音がしているので、恐らく違うだろう。

じゃあ、何?
「カラカラカラカラ」
「カラカラカラカラ」
誰もいない電気が消えているときにも鳴っているという。

ああ、もう、そうなると、それしかないよね。
あれだ、よくタモリさんがやっているやつ。
軽快なんだか不気味なんだかわかんない音楽が鳴っている奴。

職場ではそういうことで落ち着いている。
だから、誰もそこは突っ込まないことにしている。
見て見ぬふり、聞いて聞かないふり、
まさに臭いものに蓋をする精神で男子トイレは満たされている。

でも、私は聞いてしまった。
あるとき、偶然にも聞いてしまった。
「カラカラカラカラ」
「カラカラカラカラ」
という例の音が響いたあとに、
「カツーン」という金属製のものが何かに当たる音を。
その直後、「あ、なくなった」という声が。
確かに聞こえた。
聴力左2.0、右2.0の私の耳が確かに捕らえた。
そして、ビリビリとビニールを破く音が聞こえ、
なにやらごそごそとやる音が聞こえたのち、
再び「カラカラカラカラ」と音が鳴り出した。

そのとき私は得心がいった。
雷に打たれたように体中に衝撃が走った。
もしかしたら、本当に雷に打たれていたのかもしれない。
だって、髪の毛がチリチリになっていたから。
気付いたらトイレの床に寝転んでいたから。

以上が、私の報告である。
もう皆さんはおわかりだろう。
皆まで言うまい。
信じるか信じないかはみなさんにおまかせしよう。

だけど、これだけは言える。
そのとき、私がかみの啓示を受けたことは、まごうことなき事実なのだ、と。

なお、この話は全て本当の話である。
「一杯のかけそば」と同じくらいに。

痒いところに手が届きすぎ

2011-02-07 23:31:03 | 日本・東京
それが、ジャパンクオリティ。

ちょっとまえのことなんだけど。
(最近、そんなのばっか)

京成上野駅から新スカイライナーに乗って空港を目指した。
あれ、早いねえ。
50分くらいで成田に着いちゃうよ。

って、それはとりあえず置いといて。

当日は朝早かったもんで、
寝ているちびりんこを強引に起こし、
服を着替えさせ、
とりあえず、駅へ向かった。

なので、いつも食べさせる朝ご飯は抜きで、
ミルクすらも与えずに出発した。
当然、ちびりんこも途中でおなかがすいてくるはずなので、
ミルクをほ乳瓶に注ぎ、
それを保温バックに入れて、持って行った。

案の定、電車が出発する頃にはちびりんこもお腹がすいてきた模様。
しかし、ほ乳瓶を取り出してみると、まだ若干熱い状態。
なので、少し冷まさなくてはいけなくなった。

そこで、席を立ち、洗面所に向かった。
なんとなくトイレの中はいやだなあ、と思っていたが、
そこは、流石新型スカイライナーさん。
ちゃんと、トイレとは別に洗面所があった。

「しめしめ」と思い、
ほ乳瓶を冷まそうとセンサー式の蛇口に近づけた。

するとどうでしょう。
なんと、それは生暖かい、
丁度いい温度のお湯が出てきた。

だって冬だもんね。
いくら電車の中だといっても寒いもんね。
冷たい水で手を洗うのはちょっといやだもんね。

感心してしまった。
ほ乳瓶を冷ますにはやや難ありだけど、
そんなことより、その心遣いに感心してしまった。

すごいよねえ、日本。
なんでもないところに、気遣いがあるよねえ。

日本の皆様は、
そんなの当然と思っているかもしれないけど、
全然、当然じゃないからね。
至る所でびっくりするぐらい心配りがされているからね。

最近、日本では何だかマイナス面ばかりが報道され、
日本にはいいところが全然ないみたいな風潮が強いけど、
あのね、この心遣いは、世界一だと思うよ。
感謝こそすれ、文句言うべきではないよ。

前から思っているけど、
こういったサービスを一つのコンテンツとして海外に輸出すればいいのに。
絶対に、どの国でもうまくいくと思うよ。
誰かやらんかね。

こどもの思想

2011-01-26 23:59:42 | 日本・東京
先日、ちびりんこを連れて妹の家に遊びに行ったときのこと。

妹には子供が3人いて、そのうちの上の子と相方の会話。
なお、相方は中国出身の女性。

姪「Aちゃん(相方)は中国語できるの?」
相方「できるよ(笑)」
姪「そっか、Aちゃんは中国に住んでいたもんね」

たった、これだけの会話。
だけど、感心してしまった。
これが、こどもの感性なのかと。

ただ単に中国というのが、
ぼんやりとしかわかっていないだけかもしれない。
国とか国境とか人種とか民族とか、
そんなことがわかっていないだけかもしれない。

だけど、
いやだからこそなんだと思う。

こどもの感性は、
国境なんて簡単に飛び越えて、
民族や人種なんてものを無効にしてしまう。

こんな「こどもの思想」こそが大事なのかも。

*写真は杭州のイスラム寺院鳳凰寺。

誰にでも新年は来るなり

2011-01-05 23:12:27 | 日本・東京
とういわけで、
明けましておめでとうござりまする。
今更、などと野暮なことは言わないでおくんなまし。

なんで、こんな風に語調が変なのかは不明。

ともかく、
久しぶりに日本の年末年始を満喫した。
6年ぶりになるのだろうか?
たぶん、そんなもん。

静かである。
日本の正月はまっこと静かである。
爆竹も花火もなく、静かである。
うっすらと眠くなってしまうくらい静かである。

特に何をしたわけではない。
実家に帰り、
紅白をぼんやりと見て、
除夜の鐘を打ちに行き、
敬愛する佐野元春氏を見かけ、
雑煮を食べ、
父方・母方・恩師の墓参りをし、
ちびりんこと遊び、
犬の散歩をし、
駅伝を見て、
ラグビーを見て、
相棒を見て、
ソファでうたた寝をし、
東野圭吾を読み、
中華おせちを食べ、
お年玉をあげ、
アイスクリームの食い逃げをする親子を目撃し、
綿菓子を食べ、
昼寝をし、
年賀状を書いた。

そんな感じのごくありふれた
誰もが体験するような正月だった。

今年もよろしくお願いします。

それと、皆様が、素敵な一年を過ごせますように。

お世話になりました

2010-12-30 14:57:23 | リハビリ
今年一年、ほんとにいろいろな方にお世話になりました。
新しい出会いもあり、生活も激変し、
とにかく、にぎやかな一年となりました。

無事過ごせたのも、みなさまのおかげです。
ありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。

にしても、久々の日本の正月。
五年(六年?)ぶり。

なので、年賀状も久しぶり。
と思っていたら、さきほど、大きなミスに気がつきました。
もう出してしまったので後の祭り。
もし、お手元に届いた方は、

「ああ、あいつ、やっぱりリハビリ終わっていないんだな」

と、新年早々あきれはててやってください。

では、よいお年を。


*写真は、杭州の元代に作られた磨崖仏

三笠の山に月はでるのか?

2010-11-24 00:13:12 | 日本・中国以外
どうも筆無精。
ずいぶんと間隔があいてしまった。

しかし、そんなこともあろうかと、
行き先をすべて一応手帳にメモしておいたのだ。
言い方を変えれば、全く自分の記憶力を信用していない、ともいえる。
現に、このメモがなければ、このブログは成立しなかった。
だって、具体的にどこ行ったかわからないんだもの。

さて、閑話休題。
ハロン湾を偵察した翌日、
我々は、ハノイ市内視察へと出た。
この日は、二日酔いではなかったため、
朝食を食べ(フォー、めちゃくちゃ旨い!)、
ばっちりの体調で出かけた。

まず出かけたのが、ホーチミン博物館。
ベトナムの英雄、ホーチミンの様々が展示されている場所。
ベトナムについて何も知らない私は、見るものすべてが新しい。
まず、ここで、簡単ながらホーチミンの偉大さを知った。

次いで、歩いてすぐのところにある一柱寺へ。
一本の柱の上に、拝殿があるという構造。

その後、鎮国寺へ。
このお寺、湖の畔にある。
その名も「西湖」。
私の第二の故郷である杭州にあるのも「西湖」。
なんだか、ものすごい親近感がわいた。

それにしても、一柱寺にせよ、鎮国寺にせよ、
観光客は仏殿の中の仏像の写真をバシバシ撮っていた。
それに対して寺側は何も言っていなかったので、
それはそれでオッケーということなんだろうけど、
なんだか私は少々気が引けてしまっていた。

聞くと、一緒に行った人も同様に、感じていたようだ。
敬虔な仏教徒でも何でもないのに、不思議なもんだ。
おそらく、日本人が西洋に行き、
キリスト教関連の建築物や聖像などをバシバシ撮っていたら、
地元の人は、なんだかなあ、と感じるのかもしれない。

ともあれ、ベトナム仏教建築を続けて見学した後は、
真武観という名の、道観へ。
目当ての呪符がどこにもなかったのが、ちと残念だった。

昼ご飯を挟み、後半戦へ。

そしてここで、サプライズ。
予定になかったタンロン遺跡を見学することに。
タンロンは漢字で書くと「昇龍」で、ハノイの旧名。

その中心である宮殿遺跡群が、2003年から発掘が続けられ、
今年、ようやく一部が期間限定で公開されていたのであった。
わずか3週間という公開期間にもかかわず、
我々は運良くそのときに訪れていたのであった。
なんて、ラッキーな。

しかも、午後からは、
現在ハノイの大学で教鞭を執っている私の後輩が案内してくれることになったのもついている。
彼は歴史学を専攻しているため、遺跡の解説が大変詳細。
1300年にもわたるベトナムの宮殿の歴史をわかりやすく解説してくれたのであった。

特にここでの収穫が、「江西塼」と刻印されたレンガ(写真)。
説明によると、7世紀から8世紀に作成されたもので、
つまり、そこが唐の安南都護府に関連する施設であったことがわかるんだとか。
それを聞いて、興奮状態がピークに。

だって、唐代の安南都護府といえば、あーた、
あの阿倍仲麻呂が赴任していたところじゃ、あ~りませんか。
帰国をあきらめた仲麻呂が6年間も赴任していた場所じゃ、あ~りませんか。

ものすごく貴重なものを見させていただきました。
いやあ、ほんとにどうもありがとう、って感じ。
どうしていいかわからないぐらい、舞い上がっちゃいました。
もちろん、図録も速攻で購入。

その後、文廟(孔子廟)へ行き、
ハノイの歴史博物館へ向かった。
この博物館にもいいもの(たとえば、隋代の石碑とか)があり、
大変興味深かったのだが、タンロンの衝撃が大きく、霞んでしまった。

それにしても、有意義だった。
ハノイどうもありがとう。
後輩もどうもありがとう。

また、是非行きたいものだ。

超人ハロン・1

2010-11-10 00:03:36 | 日本・中国以外
おやじギャグからはじまるこのブログ。
だって、スタートが二日酔いだったのですもの。
頭がガンガンする中での出発だったのですもの。

ベトナム二日目。
朝7時半にハノイのホテルを出発。
目指すは、世界自然遺産「ハロン湾」。
風光明媚で世界中から人々が訪れるベトナム屈指の観光スポット。
そこに行かない手はない。

だけど、遠い。
ハノイから車で片道4時間。
途中、こういった旅行ではありがちなトイレ休憩兼土産物屋によりながら。
でも、この土産物屋でいろんなもの買っちゃったけど。

さて、ハロン湾。
名前ハロンの由来は、「下龍」。
現代中国語だと「xia long」(シアロン)と発音するが、
ベトナムには古い時代の中国音が残っていてそのため「ハロン」となっているらしい。
なんか龍が降りてきて、いろいろやったという伝説が残っている場所(ちょーいい加減な説明)。
*詳細はこちら

とにかく、めっぽう美しい場所。
そんな場所へ我々一行約10名は、船を一台チャーターし、湾内へいざ出発!

海上には我々と同様の船があちらこちらにあり、
まさに海賊船が次々と出発しているかのような様相。

すると、そういった海賊船とは趣の異なる船が近づいてきた。
乗組員はわずか4名。
大人二人と子供二人。
一人の子供は舳先に立っている。
手には、バナナを抱え込んで。

その船が我々の船に近づいてきた。
我々の船と平行になり、わずかのところまでくると、
舳先に立っていた少女が我々の船に飛び乗ってきた。
手には、バナナを抱え込んで。

そう、彼らによる車内販売ならぬ海上販売。
彼らはそうやって生計を立てているようだ。
中国同様、その4人が本当の家族かどうかは甚だ疑わしいが。
結局、1ドルでバナナ一房を買った。
彼女はやや不満げな顔をしながら、また元の船に飛び移って帰って行った。

さて、この船。
中に厨房がついている。
そうなのです。
船の中で食事ができるのです。

出航前にたくさんの食材と、
たくさんのビール・コーラ等を積み込んでいる姿は確認していたが、
さらにわれわれは取れたての魚を求め、
海上に浮かぶ、水上生活者が経営する「いけす」へと向かった。

いやあ、いろんな魚がいるよ。
見たこともなく、「これ食えるんかい?」っていうのもいるし、
カニだけをとっても、なんだか数種類のものがいた。
我々は、名前がよくわからない魚を一匹買い求め、
それを、船内でさばいて刺身にしてもらうことにした。

もうこうなってくると景色なんてどうでもいい。
船内では新鮮な魚をメインにした酒盛りが盛大に始まった。

そのころには、二日酔いもすっかり醒め、
朝食抜きであった私は腹もぺこぺこで、
次々と出てくる食事をバクバクと食べていた。
もちろん、ビールとワインをお供にして。

その後、ほろ酔い気分の一行は、酔い覚ましも兼ね、
ある島に上陸して、そこで鍾乳洞を見学した。
まあ、立派な鍾乳洞で、そんな場所がそこかしこにあるらしい。

その島にも観光客がたくさんいたが、
その中に、韓国ドラマにも出ていたことがあるというベトナムの女優がいた。
とはいえ、韓国ドラマをほとんど見ない私にはさっぱりわからなかったが。

島見学を終え、我々は出港地へ戻った。
かなり長い間船に乗っていた感じがする。
でも、覚えているのは景色ではなく、食事なんだけど。


*おやじギャグのわからなかった人は、ここから推測。

グッドモ~ニング、ベトナム!

2010-11-07 12:05:14 | 日本・中国以外
ベトナムといえば、これ。
というわけで、ベトナムに行ってきた。
もちろん、初。

成田から約5時間半でハノイに到着。
時差は2時間。
さほど気になる時差ではない。

空港からホテルまで移動し、
ホアビンホテル(和平飯店)にチェックイン。
フロントの人がアオザイを着ており、早くもベトナム感満載。

チェックインとともに、両替(単位はドン)も済ませた。
なかなかいいレートで両替できた。
それは、円高ということもあったが、
ベトナムにいる間大変お世話になった方が、
フロントの女性に思いっきりプレッシャーをかけて、レートをよくしてくれたからだ。
そんなことができるもんなんだねえ。

その後、荷物を片付けてからみんなで夕食に出た。
紹介してもらったホテル近くのレストランで食事をしたが、
いやあ、うまいうまい。
いやがおうにも翌日からのベトナム探査への期待が高まる。

レストランでは、食事だけではなく、
女性たちがベトナムの民族楽器を使って演奏をしていた。
弦楽器ばかりの3人編成であったが、なかなか妙なる響き。
そして、われわれが日本人であることを知ってか、
突然、「北国の春」を演奏し始めた。
なんともはやの、サービスである。

BBGM(ベトナムBGM)を聞きながら、
様々な味を楽しみ、数種のお酒も楽しんだ。

しかし、飲み過ぎた。
調子に乗りすぎた。
なんといっても、ベトナムは旧フランス領。
なので、フランスワインが安く、そしておいしい。
気がついたら、赤・白とりまぜて、結構飲んでいたようだ。

さらに、ホテルに戻ってからも、
成田空港で買ってきたスコッチを私の部屋で飲んでいた。

ここで一つ弁明しておくと、
私はそれほど酒が強いわけではなく、
飲まなくてはやっていけないような酒好きでもない。
自宅ではほとんど飲まないくらいだ。

なのに、なぜこれほどまでに飲んだのかというと、
成田空港でスコッチ代金を払い、
さらに飛行機出発までのわずかな時間にビールを飲み、
ベトナムのレストランで注文を一手に引き受けていたMさんがいたからだ。

これまで私はMさんに多大なる恩恵を受けてきた。
ある夏の日には、Mさんに浅草でごちそうになったこともある。
2時間で4件の店を回るという超ハード飲みスケジュールだったが。
そんなMさんの意向を無碍にできるはずがない。
以後、毎晩、食後は私の部屋で酒盛りとなっていったのだった・・・・・。

そして、案の定、翌日は二日酔いに。
一度早めに起きたものの、すぐに二度寝。
朝食を食べられなかった・・・・。

さて、どうなることやら。