日本語を教えていて必ず一度は聞かれるのが表題の「Je t'aime(=I love you) は日本語でどう言いますか」ではないだろうか。皆さんならどう答えるだろう。「あのね。日本人はそんなことは言わないの」と文化的説明で逃げる手もあるが、学生は納得しないだろう。
この続きは以下に引っ越しました。
http://shugohairanai.com/2017/12/14/11_je-taime/
日本語を教えていて必ず一度は聞かれるのが表題の「Je t'aime(=I love you) は日本語でどう言いますか」ではないだろうか。皆さんならどう答えるだろう。「あのね。日本人はそんなことは言わないの」と文化的説明で逃げる手もあるが、学生は納得しないだろう。
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http://shugohairanai.com/2017/12/14/11_je-taime/
主語・目的語をはっきりさせたがる日本語で思い出すのは、契約書や法律書ですね
甲が乙を、で甲に代入するのは、、、なんて方程式は日常会話では使いたくないですもんね
初めて来たんですが、またちょこちょこ寄らせてもらうかも よろしくです~ m(_ _)m
ちなみに
http://blog.livedoor.jp/fairypot/archives/51359903.html#comments
の2007年11月27日のコメント39から飛んで参りました^^
時々新しい記事を載せています。
かめどさんには興味深いサイトをご教示賜り、感謝致します。
じっくり読んでみます。
本当にお疲れ様です
いろいろ考えさせてくれてありがとうございます!
でも、上にかめどさんが言ったように、契約書や法律書などはやはりちゃんと主語を言うんですよね!
ただ、普段みんな言わない、むしろ言いたくない、言ったら何となく嫌に感じるので、言わない形にして、それになれていた。また、わざわざ主語を言おうとなったら、特に強調すると感じるようになってしまう。。。それで、別な意味が入っているように見えるではないかなと思いました。
日本語にはもともと主語はいらないとは言えないではないだろうかと私はそのように思います。
主語はもともと英語にすらなかったのです。スペイン語やイタリア語では今でもありません。それが現代英語では主語がないと文にならないことになってしまいました。ですからIt rains.とかIt is 10 o'clock.などという滑稽なdummy subjectを使っています。
契約書のような場合は混乱を避ける為にいちいち甲・乙を明記するのですが、そんな言葉を英語の様に日常使わないでいられるのは有難いことです。
上記、かめどさんへのお返事「日本語版愛の告白」の冒頭、「歳顔まで」とあるのは「最後まで」の間違いです。一度UPしたら文面は直せないようなので、ここで訂正します。失礼しました。
中学の授業で関係代名詞が出てきたあたりから
もう「だめだ!わからん。ついていけん!」
状態でした。
中学の時これくらいわかりやすく説明されてたら
苦手意識が植え付けられなくてすんだかもしれません。ショックです。決定的違いを理解できないまま
詰め込まれても憶えられませんよ。(泣)
コメントありがとうございます。
英語の授業もそうですが、国語の方も学校文法が英文法を
コピーしたものですので、母語がよく説明されていないという
残念な状況です。ま、話せますから問題の大きさが
感じられないこともあるんですけど。
詰め込みはよくないですね、やる気がなくなります。
ジュテームよりも先に私の中で「?」が点滅したのは、Tu me manques. でした。
「なぜ tu が主語なのだ?」と思いました。
フランス語には「しゅご」、「主語」、「シュゴ」が大切だ!って言われるのに、「私はあなたがいなくて寂しいの」ってことを言うのに、なぜ、寂しさを感じる「私」が主語にならないのですか。ジュテームは「私」が主導権をもってるのに。
去る相手に責任があるような表現に感じてしまうのです。
ですから、私にとってはとても卑怯な言葉に感じます。こういったわけで、以前友人に、「英語でさえ、I miss you. ていうじゃないか!卑怯だ!!」って言ったら、ぽかーん、とされてしまいました。
同じように、Tu me plais もなんだかなぁ、気持ち悪いなぁ、と思います。
こういうのはどういった自己・他者の関係性の上に成り立っているのでしょうか。
というか、単にこういった表現方法なのよ、というだけのことなのでしょうか・・・。
へんてこりんなコメントを書いてしまってすみません。
今後も先生のブログを楽しく拝読させていただきます!
コメントありがとうございます。
フランス語にお強そうですね。心してお答えせねば。
Tu me manques. Tu me plais. は共通した表現ですね。ご指摘通り、最初の文は英語では逆に I miss you.です。
二番目も面白く、本来はYou please me.ですが
こちらもI please you.と言うことがあります。
例えばビートルズはあの有名なヒット曲で
Oh please, please me, oh yeh, like I please you.
「僕が君を喜ばすように、僕を喜ばせてくれ」と歌っています。
でも、本来的にはここで「私・僕」が「主語」になるのは変です。「寂しい」も「嬉しい」も、積極的な行為ではありませんから。
それがあたかも自分の行為のように表現したのが「I miss you」であり、「I please you」であり、さらに言えば「I love you」です。
これは明らかに主語中心の発想の転換です。日本語はどれも「寂しい、嬉しい、好きだ」と行為ではなく、状態で表しますが、その方が状況を正しく表現しています。
ちなみに、英語Iや仏語Jeや独語Ichなどは全て印欧祖語の「*ek」から派生した言葉です。ラテン語では「ego」となりました。結局、西洋語の変化は「俺が、俺が」という発想が強化され続けたエゴイズムの歴史なのです。
この変化を果して進化と呼ぶべきかどうかは異論のあるところでしょうね。
>結局、西洋語の変化は「俺が、俺が」という発想が強化され続けたエゴイズムの歴史なのです。
なるほど、です。
しかし、そうなら、なぜ、寂しいのもエゴイズムで表現しないのだ、とますます怒りを感じました。
こんな狭隘な精神だから、なかなか外国語が身につかないですよね・・・。
がんばります・・・。
有難うございました!