将門ブログ

このブログは、歴史上の人物『平将門』公を探求する、ポータルサイトです。

安倍晴明と平将国

2007年12月30日 | 歴史考察
●安倍晴明は将門の子・将国か?
将門が治めようとしていた常陸国には信太郡があります。そう、清明誕生伝説の「信太の森の白狐」の「信太」と同じです。しかも、阿倍野だけでなく、ここにも「清明神社」があります。さらに、将門の息子のうち殺されずに生き残ったのが一人います。彼の名は将国。彼はここ信太郡に隠れ、信太(田)姓を名乗ったとの記録が残っています。
そこで、これらから異説が唱えられます。
『安倍清明は大阪(和泉)阿倍野ではなく、茨城(常陸)信太の出身で、実は平将門の生き残りの息子・将国である。』と。
これによっての仮説。清明は信頼できる花山天皇とともに、父・将門の意を継いで東国に独立国を作ろうとしたのですが、夢は花山天皇の退位でもろくも崩れてしまいまったといいます。
「史実上の安倍清明」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%80%8D%E6%99%B4%E6%98%8E#.E5.8F.B2.E5.AE.9F.E4.B8.8A.E3.81.AE.E6.99.B4.E6.98.8E
「安倍清明の隠された過去」
http://fleshwords.at.infoseek.co.jp/dt/dt067.htm

昨年春、茨城県美浦村の「信太の地」から稲敷市(旧江戸崎町)の佐倉城址を訪ねてみました。

【信太の地】美浦村信太
東京駅八重洲口から江戸崎行き高速バスで「美浦トレセン」下車。この地を「信太」といいます。『将門記』によれば、平良兼が常陸国へ出陣して行く場面に次のような記述があります。
《所々のその渡より常陸国の信太郡の奇前(えさき、「奇」には草冠があります)の津に着きぬ。その明日を以て、同国の水守の営所(現つくば市水守)に着けり》
「えさきの津」は、現在の稲敷市(旧東町)の幸田(こうだ)あたりの説が有力で、平良兼軍が下総国神崎の津(千葉県神崎町)から常陸国へと渡った地点です。
また別に、安倍晴明を調べてみると、始めに有名な詩に出会います。
 『恋しくば尋ねきてみん和泉なる 信太の森のうらみ葛の葉』
前述したとおり、常陸にも「信太」という地名があります。さらに「えさきの津」の古名は榎浦津のことで、現在の霞ケ浦は古名を「信太浦」といいます。その西南部を「信太郡」と呼んでいたのです。さらに付け加えると、稲敷郡八代村の古名は「和泉」で、現在の稲敷郡は前述の「信太郡」にあたります。しかも茨城県藤代、取手は稲敷郡のすぐ南にあたり、将門の母は取手を支配していた犬養春枝の娘なのです。
将門の子・将国は、将門が亡くなったのちに信太郡に隠れ棲んでいました。将門の別名・相馬小次郎を継承したのは相馬氏ですが、それは将門の子・将国が常陸国信太郡に落ち延び、末裔である胤国が相馬氏を継承したため残ったとされています。後の相馬氏は千葉常胤の子・師胤と相馬小次郎師国が養子縁組みしたため、相馬氏・千葉氏ともに将門を継承しているという証しで「九曜紋」を使用しています。

●参考「筑西市の安倍晴明生誕地」
さらに補足しますと、平国香の石田館がありました筑西市(旧明野町)東石田の北方に、安倍晴明が花山天皇と共に訪れた「猫嶋」があります。またこの地は、安倍晴明生誕地の一つでもあり「晴明神社」、「晴明井戸」、「明野晴明塚」などがあります。ここはまだ行ってはいませんが、将門がかたずけばいずれ訪れてみたいところです。
http://homepage1.nifty.com/haruakira/seimei/f_01.html
http://members.jcom.home.ne.jp/outo/ryokou/akeno.htm
http://mito.cool.ne.jp/chatora27/diary/diaryseimei.htm

次に、すぐ隣にあります稲敷市(旧江戸崎町)の佐倉城址へと向かいました。

【佐倉城址】旧江戸崎町佐倉
「美浦トレセン」バス停から東方1km。天王宮バス停の近くに佐倉神社があり、この周辺に将門の後裔にあたる信太小太郎頼望が始めて城(砦)を築いたといわれています。佐倉神社の裏、道路西側に土塁らしきものがあります。佐倉神社からさらに東に進むと「城ノ内」地区で、地名の示すとおりここには城があったと思われます。なぜか道の真ん中に、「松姫大明神」の祠があります。城ノ内地区から北東に300mほど進んだところが、「殿屋敷」と呼ばれているところで、民家の入り口に「殿屋敷古墳」がありました。
「江戸崎の城・佐倉城ほか」
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/6650/edosaki.htm
「佐倉城」
http://www.asahi-net.or.jp/~dg8h-nsym/sakura-jou.html
「佐倉城ノ内」
http://www.asahi-net.or.jp/~DG8H-NSYM/sakura-jonouchi.html
「佐倉殿屋敷」
http://www.asahi-net.or.jp/~dg8h-nsym/sakura-tonoyasiki.html

【高田神社】旧江戸崎町高田
江戸崎市街地より東方2kmのところ。県道107号線土浦カントリー倶楽部の西側600mほどのところに「高田神社」があります。このあたりが東条高田城の跡といわれています。この社は、承平年間、朱雀天皇が将門の横暴を鎮めるために、勅願によって紀伊の熊野権現を勧請させたといわれています。
http://hpcgi2.nifty.com/tradevents/wiki.cgi?p=%B9%E2%C5%C4%BF%C0%BC%D2

にほんブログ村 歴史ブログへ

/取材:源六郎/平将門関連書籍将門奉賛会


最新の画像もっと見る

コメントを投稿