将門ブログ

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徳一と如蔵尼

2007年12月29日 | 歴史考察
福島県の二つの恵日寺に関して、高僧:徳一と如蔵尼(滝夜叉姫)について、もう少し調べてみました。

「滝夜叉姫(滝姫)」は将門の三女で、地蔵菩薩に帰依し「如蔵尼」と呼ばれました。将門誅殺後、奥州に逃れ、慧日寺(会津磐梯町・恵日寺)の傍らに庵を結び、ひとりで住んでいました。ある日病気で死に、地獄に落ちますが地蔵菩薩の助けで蘇生します。以後、「如蔵尼」と名を改め80歳まで生きました。このことは、『今昔物語』に確かにありました。「今昔物語集:本朝仏法部第17巻第29話:陸奥国の女人、地蔵の助けによりてよみがえるを得たる語」です。
この慧(恵)日寺は、梶原正昭・矢代和夫著『将門伝説』に《筑波山寺をつくった「徳一」が開いた寺である》とあります。徳一という僧は空海や最澄と同時代の平安初期の僧ですが、この如蔵尼の話が元になって膨らんだのが滝夜叉姫の話のようです。会津へ逃れてきた将門の娘・滝姫が、父の無念を晴らすため再び父の事業を受け継ごうとする。これを物語としたのが、山東京伝の読本『善知鳥(うとう)安方忠義伝』です。彼女は「如月尼」と名乗り、慧日寺に庵を結びます。彼女には「良門」という弟がおり、彼の教育のために筑波山に移ります。良門は筑波山中で蝦蟇の精霊から妖術を学び、その技で姉をたぶらかして復讐の鬼に変えてしまう。如月尼は、後に滝夜叉姫と名のります。『蝦蟇の妖術』というイメージは、近松門左衛門が島原の乱を描いた「傾城島原蛙合戦」(1719年)の中で、七草四郎(天草四郎のこと)に使わせたのが始まりといいます。その後、歌舞伎にも登場するようになります。もともと、将門が活躍したのは筑波山の周辺でした。筑波山といえば『蝦蟇』で有名です。徳一の仏教は、山岳修験的なものだったようですから、空海以前の密教『古密教』の教徒だったのではないか・・と思われます。蝦蟇仙人などは、古密教に関係しているかもしれません。彼らは採薬行者でもあり、『蝦蟇の油』なども彼らが作り始めているものでした。
高橋富雄著『徳一と最澄』を見ますと、《徳一という名前は道教から来ているのではないか》とありました。徳一は得一で、「一を得る」というのは「老子」にある言葉だといいます。徳一は、興福寺系の法相宗の学僧。法相宗は、「西遊記」で有名な玄奘三蔵(602-664)が中国にもたらした仏教です。また、《徳一は恵美押勝(藤原仲麻呂)の子供だといわれている》ともありました。藤原仲麻呂は、奈良時代末、専制的な権力を得て誅殺される人物です。一種反乱を起こした人物でもあります。良門に妖術を教える蝦蟇の精霊(すなわち蝦蟇仙人)には、謀反人の子・徳一というようなイメージも重ねられているのかもしれません。
「徳一菩薩 -ひと、おしえ、がくもん-」
http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/takatoku.html
「磐梯町の概要」
http://f32.aaa.livedoor.jp/~katumi/hurusatowotazunete/bandaimati.htm

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/取材:源六郎/平将門関連書籍将門奉賛会


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