将門ブログ

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小山市2(栃木県)

2007年10月10日 | 縁地探訪(栃木県)
引き続いて、小山市南部の将門伝説を訪ねてみました。「間々田八幡宮」や「鷲神社」などを紹介します。今回は、レンタサイクルを利用。

【網戸神社】小山市網戸(あじと)
栃木駅前から県道153号を間々田駅へと向かいます。網戸大橋西詰めから南方すぐに「網戸神社」があります。ただ、道路が分かりにくいので思川の土手から行ったほうが分かりやすいです。この神社は、天慶年間(939)藤原秀郷が将門追討を戦勝祈願し、見事大願成就した暁に金百貫文を奉納した、と神社の由緒書きにありました。神社の周辺は、後に「網戸城」が築城されています。神社横を流れる思川は、主祭神・田心姫の名を横にしたもので、かつて「田心(おごり)川」と呼ばれていました。
http://www.genbu.net/data/simotuke/amido_title.htm

【稚児が池】小山市乙女
乙女の北のはずれ、国道4号線の西側の畑地に「稚児が池」といわれるくぼ地があります。約1.5m四方のくぼみで、池というが水はありません。むかしは、熊野権現の境内になっていて神聖な池だったのですが、いつのころか社殿は朽ち果て池も埋められてしまいました。秀郷が将門征伐の際、秀郷夫人がこの池のほとりで男子を出産し、池の水を産水として生み血を洗ったと伝えられていて「稚児が池」という名が付いたといいます。ただ、この池が「乙女上町公園」あたりにあるものと思い探してみましたが、見当たりませんでした。約1.5m四方のくぼみでは、見つけるのは無理かな。
http://www005.upp.so-net.ne.jp/mai/densetu-oyama/image050.htm

【蛇がまいたの像】小山市乙女
間々田駅前にあります。秀郷が関係する間々田八幡宮(後述)の「蛇祭り」は有名です。
http://members.jcom.home.ne.jp/urawa328/mamada.html

【間々田八幡宮】小山市間々田
間々田駅から北1km。間々田八幡宮の創建は古く、今から約1200有余年前の天平年間に勧請されたものと伝えられています。天慶2年(939年)将門の乱が起るや、朝廷は秀郷等に勅して之を討たせました。秀郷は征討に臨み沿道の神社仏閣に戦勝を祈願し、乱平定の後、当八幡宮に神饌御料として供田しました。これより後、里人は飯田(まんまだ)の里と呼称し、それが後に「間々田(ままだ)」となったそうです。
http://www005.upp.so-net.ne.jp/mai/oyama-city/hyakei/mamada/image003.htm

【安房神社】小山市粟宮
間々田八幡宮から北東1.5km。祭神は天太玉命等で、かつて粟宮ともいわれていました。崇神天皇の時代に武淳川別命が創建したといわれています。その名の通り安房国安房神社を勧請したものといわれ、東京神田明神と同じです。天慶二年(939)、秀郷が将門征伐の戦勝祈願を行い、見事将門を討ち取ったことから、願掛けの神社ともいわれています。ちなみに、神社のあるところは粟宮(安房の宮)といい、粟の産地でもあります。
http://www.genbu.net/data/simotuke/awa_title.htm

【鷲神社(鷲城)】小山市外城
安房神社から北に1km。この社は、秀郷が創建したといわれています。後の南北朝時代に、この神社の周囲に小山氏(秀郷の後裔)の居城として「鷲城」が築城されました。
http://www.siromegu.com/castle/totigi/wasi/wasi.htm
http://homepage2.nifty.com/inutomononohu/wasisiro.htm

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/取材:源六郎/平将門関連書籍将門奉賛会


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