「人生でがんばらんといかん時があるとしたら、今ながじゃ」
今が頑張る時だと、万太郎は、(植物の名付け親になるため、世間に認めてもらうため)図鑑づくりに駈け始めた。
日々カレンダーと時計を見ながら生活している私達。
人生に、それぞれの時があると聖書が語っていることを思い出した。
病になる時…癒されるとき…
今の私は、癌の消滅をこの三次元で見られる時を、確信と平安の中、神様の時を待っている。
たとえ病や試練があっても、心まで壊されないように。
心を強く持ちましょう。
皆様にも主(しゅ)との出会いのなかで、心の願いがかなう時がきますように。
God bless you.
☟ 聖書の言葉です。
天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。
生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。
殺すのに時があり、いやすのに時がある。
くずすのに時があり、建てるのに時がある。
泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。
嘆くのに時があり、踊るのに時がある。
石を投げ捨てるのに時があり、石を集めるのに時がある。抱擁するのに時があり、抱擁をやめるのに時がある。
捜すのに時があり、失うのに時がある。
保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。
引き裂くのに時があり、縫い合わせるのに時がある。黙っているのに時があり、話をするのに時がある。
愛するのに時があり、憎むのに時がある。
戦うのに時があり、和睦するのに時がある。
働く者は労苦して何の益を得よう。
私は神が人の子らに与えて労苦させる仕事を見た。
神のなさることは、すべて時にかなって美しい。
神はまた、人の心に永遠を与えられた。
しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。
私は知った。人は生きている間に喜び楽しむほか何も良いことがないのを。
また、人がみな、食べたり飲んだりし、すべての労苦の中にしあわせを見いだすこともまた神の賜物であることを。
私は知った。神のなさることはみな永遠に変わらないことを。それに何かを加えることも、それから何かを取り去ることもできない。神がこのことをされたのだ。人は神を恐れなければならない。
今あることは、すでにあったこと。これからあることも、すでにあったこと。神は、すでに追い求められたことをこれからも捜し求められる。
さらに私は日の下で、さばきの場に不正があり、正義の場に不正があるのを見た。
私は心の中で言った。「神は正しい人も悪者もさばく。そこでは、すべての営みと、すべてのわざには、時があるからだ。」
旧約聖書 伝道の書3章
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