bon appétit

風景とかの写真、趣味のこととか何気ない日々の出来事ばかいとるばい★

彦市どんとタヌキ

2015-12-20 | 伝承・民話

閲覧ページ詳細のアクセスされたページなどでキーワードで検索で上位だったので、再アップすることにしました



リクエストをいただいたので、のせてみます

リクエストをお待ちしておりますよできる範囲でのせまする。



むかし、肥後の国に、彦市どんというおもしろい人がおって、いつも、人をだましたり、からかったりして喜んでおったそうな。

この彦市どんの家の後ろの山に、タヌキが1匹おって、これも、人を化かしたり、だましたりして喜んでおったそうな。
 

ある日のこと、彦市どんが山道を歩いていると、「彦市どん、彦市どん」と呼ぶ者がある。

「だれか」と返事すると、「おらは、裏山のタヌキだ」という。

「なにか、用か」と聞くと、「おまえは、何が一番怖い?」と聞いて来た。

彦市どんは、何をやぶからぼうに、と思ったが、すぐに、ははぁと思って、「そうだな、やっぱり、まんじゅうだな。まんじゅうのあんこがこわくて、こわくてたまらん」と返事をしてやった。

すると、その晩、彦市どんの家の窓をドンドンたたく者がある。 

彦市どんが窓を開けると、「そうれ、こわがれ、こわがれ」という声がして、何か、どんどん家の中に投げ込まれてきた。

見ると、おいしそうなまんじゅうだ。

彦市どんは、昼間のタヌキとの問答を思い出して、「これはこわい、これはおそろしい、これはたまらん」 そう言いながら、ポンポン投げこまれてくるまんじゅうを、次から次へとほおばって、ムシャムシャ食うてしまった。 

タヌキがまんじゅうを投げなくなってしまうと、「やれ、こわかった」 そう言って、お茶を飲んだと。

この様子を窓から見たタヌキは、彦市どんにだまされたことが分って、くやしくって、くやしくってならない。

仕返しに、彦市どんの田んぼに石をいっぱい投げ込んだそうな。 

次の朝、田んぼへ行った彦市どん、すこしもおどろかないで、

「やあ、これはよかった。石ごえ三年といって、これから先三年の間は、この田んぼにはこやしがいらん。たいしたものだ。いや、ありがたい、ありがたい。これが石ではなくて、馬糞だったら、この田はすっかりだめになるところだった」と、大声で言って喜んで見せたと。

そうしたら、近くの草むらに隠れて様子を見ていたタヌキは、またまた、くやしくってならない。

その晩のうちに、その田んぼの石をきれいにとり出して、かわりに、馬糞をいっぱい投げ入れたと。

彦市どん、いよいよ喜んだそうな。
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伐株山

2015-11-22 | 伝承・民話
大分県玖珠郡玖珠町の耶馬日田英彦山国定公園内にある標高685.5mの山、伐株山(きりかぶやま)の話。


わたしがきいたのは、

『日をかくさんばかりの大きな木で、日が隠れてるので暗かったために木を切ってしもうたそうな』って教わったの


伝承のことを調べてみると、これかなぁって・・・


 昔むかし、ずっと昔、玖珠盆地(くすぼんち)の中ほど、万年山(はねやま)の北側に天にもとどきそうなくすの大樹がそびえ立っていました。くすの木のてっぺんはいつも雲の上までのび、朝日があがる時には有明海(ありあけかい)に影がとどき、夕陽を隠して四国の松山(まつやま)まで影がかかる大木でした。

 まったく地面に日があたらず、田も畑もみんな影になってしまい、一日中薄暗く、米や野菜などの作物は育たず、村の者は次々と病気になって倒れ、たいそう困っておりました。「あのくすの木がなければよい。何とかして、あのくすの木をきり倒すことは出来ないものか。」と、村の衆はこの村一番の知恵者のお庄屋さんを囲んで、くる日もくる日もそうだんしました。

 ちょうどそのころ、木牟田(きむた)にたいそう力持ちで腕じまんのこびき(きこり)さんが住んでおりました。

 村の衆は、なん日もなん日もそうだんしたあげく、この腕ききのこびきさんにたのんで切ってもらうことにしました。

 木牟田の腕ききこびきさんは、早速これも力持ちでうでじまんの若い五人のこびきさんを連れて、このくすの大樹の根元までやってきました。こびきさんたちは、目の前にみあげるくすの大樹のあまりにも大きさに、またまたビックリしました。

 さっそくたたみさんまいじきもある大きなこびきのこを使って、二人ずつでギーコンギーコンと力を合せて押したり引いたり、一日中汗をふきふき働き、薄暗くなって家に帰りました。


 次の日もいい天気、こびきさんたちがくすの木の根元まで来て見ますとおどろいたことに、昨日の夕方、暗くなるまで汗を流して切ったその切り口が見つかりません。あまりの大木だから切り口をまちがえたのかと、くすの木を一まわりしてみましたが、やっぱり切り口は見つかりません。しかたなくこびきさんは昨日切り始めた場所と同じところをまた力を合せて切りました。

 三日目、四日目、五日目もその次の日も、切り口は見つかりません。せっかく昨日あんなに汗びっしょりになって力いっぱい切ったのに、その切り口は消えてきず一つついていません。こびきさんたちはがっくりと力を落してしまいました。

 そんなある日のこと、身のたけ九百しゃくもある大男が里にやってきました。そしてこびきさんたちに、「お前たちがいくらきろうとしてもそれは無理だ。私にまかせるがよい。私が見事このくすの大樹をきり倒してあげよう。」と大男はみじたくをととのえると、大きなおのでくすの大木に立ち向い、自分のひざの高さに合せて、カチン カチンとおのをふりおろしました。ところが不思議なことに、大男がいくらかいりきをふりしぼっておのをくすの大木に打ち込んでみきを削り落しても、翌朝には削られたみきの場所が元通りになって直っておりました。

 「これはいったいどうしたことじゃ。」
 
 さすがの大男も困りはてて大きなおのを投げ出し、思案にくれていました。するとくすの木の上の方からスルスルと降りて来たものがありました。

 それはいつも『クサイ クサイ』とくすの大樹に笑われ、いためつけられているヘクソカズラの精でした。ヘクソカズラの精は大男に向っていいました。

 「私たちはいつもこのくすの木にまかりついていて、くすの木からようぶんをもらって生きています。ですからくすの木が傷をつけられると、いつものごおんがえしに私たちはすぐ汁を出して傷口にぬり、傷口をなおしていたのです。ところが私の出す汁がくさいと言ってこのくすの木が笑ったり、嫌がったりするのです。このくすの木がこんなに小さい頃からずいぶんとかわいがってあげ、私がくさいおかげで虫もつかず、病気にもかからず、台風に傷ついてもすぐになおしてこんなに大きくなったのに、そのおんも忘れて私のことを『クサイ クサイ』と嫌がっています。あまりのおん知らずに、私は腹を立てています。そう、私がひでんをお教えしましょう。毎日きっただけのきくずを焼きすててしまえばよいのです。」とヘクソカズラの精は教えてくれました。


 それから大男やこびきさんは、ヘクソカズラの精が教えてくれた通りに毎日その日の切りくずは焼きすて、焼きすててはきりつづけました。
 
 夏が来、秋が来て、寒い冬が来ましたが、こびきさんや大男たちは休まずきりつづけました。
 
 ギーコン ギーコン カーン カーンと、木を切る音が岩扇山(がんせんざん)にこだまして、森の衆も塚脇(つかわき)の衆も「こびきさんたちは、今朝も早よからがんばっている。俺たちもがんばらぬば。」と、こびきさんたちを応援しました。

 そうして三年三ヵ月がすぎ春がやってきて、くすの大樹をきり倒すことができました。

 玖珠盆地や日田盆地(ひたぼんち)は大きなみずうみだったのが、大木が倒れたのでみずうみの土手が切れて水が流れ出して玖珠川(くすがわ)ができ、水が流れ出してしまってひて(日田)しまいました。

 きくずを焼きすてた所がはいざん(現在の寺山(てらやま))、くすの木のせんたんが長崎(ながさき)、落葉のあとが博多(はかた)、葉の流れついたところが斯波(しば)、その切株が「伐株山(きりかぶさん)」だといい伝えられています。

 くすの大樹がきり倒されてからは村々や里に日がさすようになり、日田(ひた)、夜明(よあけ)、朝日(あさひ)、光岡(てるおか)などの地名が生まれました。

 「玖珠」という地名も、このくすの大樹に由来しているといわれています。

 そうです、そのきり倒されたくすの大樹は、中をくりぬき二百人も乗れる日本一大きく、たいそう速いまるきぶねを造りました。



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八人の真ん中

2015-11-02 | 伝承・民話

むかしむかし、彦一というとてもかしこい子どもがいました。ある日の事、お城から彦一のところへ、こんな知らせが届きました。

『若さまの誕生祝いをするから、庄屋と他に村の者を六人合わせた八人で城へ参れ。人数は、きっかり八人で来るように』

それを知った庄屋さんは、大喜びです。

「お城からお呼びがかかるとは、ありがたい事だ」

しかし彦一は、その手紙を見ながら考えました。

「八人きっかりと、念を押しているところがあやしいな。あの殿さまの事だ、また何か企んでいるに違いないぞ」

さて、お城へ行く日になりました。彦一と庄屋さんは、村人の六人と一緒に言いつけ通りの八人でお城に向かいました。

庄屋さんと彦一以外の六人は、生れて初めて入るお城に緊張しています。

「お城では、どんなごちそうが出るんだろう?」

「おら、ごちそうの食べ方なんて、知らねえぞ」

「おらもだ。失礼があったら、どうしよう?」

すると、彦一が言いました。

「大丈夫。庄屋さんの真似をすればいいんだよ」

「そうか、それもそうだな」

そう言っている間に、八人はお城の大広間に通されました。大広間では、すでに若さまのお誕生日を祝う会が始まっています。

正面の高いところから殿さま、奥さま、若さま、そして大勢の家来たちやお付きの人たちが並んでいます。その前に進み出た庄屋さんが、深々と頭を下げてあいさつをしました。

「若さまのお誕生日、おめでとうございます」

「おう、参ったか。うむ、きっかり八人で来たな。わははは」

殿さまの笑い声からすると、やはり何かをたくらんでいる様子です。

「さあ、苦しゅうないぞ。遠慮なく、こっちへ参れ。若もその方が、喜ぶからな」

言われて彦一たちが前に進み出ると、殿さまはニヤリと笑いながら言いました。

「ああ、それから彦一に、注文をいたすぞ。彦一は、並んだ八人のちょうど真ん中に座る様にいたせ。よいな。それが出来なければ、すぐに帰るがよい」

やはり彦一たちを八人で呼んだのは、殿さまのはかりごとだったのです。

家来やお付きたちはみんな飲み食いを止めて、彦一がどうするかと見つめました。

人数が五人とか七人とか九人だったら、ちょうど真ん中に座る事が出来ます。けれど八人では、そうはいきません。

「あの小僧。知恵者だと評判だが、どうするつもりだろう?」

「しかし殿さまも、お人が悪い。八人ではどう考えても、真ん中に座れないではないか」

それを聞いた庄屋さんは、彦一のそでを引いて言いました。

「彦一。八人ではどう考えても、真ん中に座るのは無理だ。ここは、謝って帰ろう」

でも彦一は、ニッコリ笑って殿さまに言いました。

「殿さま。わたしが真ん中に座れば、どのような座り方をしてもいいのですか?」

「ああ、良いとも。ただし、上に重なったりしては駄目だ」

「承知しました」

彦一は振り返ると、庄屋さんや村人たちに言いました。

「みんなでわたしを囲んで、丸く座って下さいな」

みんなは言われた通り彦一を中心にして、輪になって座りました。これなら七人でも八人でも、ちゃんと真ん中に座る事が出来ます。

それを見た殿さまは、思わず手を叩いて言いました。

「うむ、あっぱれ! 彦一よ、この勝負はそちの勝ちじゃ!」 殿さまの言葉に、家来も庄屋さんたちも大喜びです。

こうして彦一のとんちのおかげで、庄屋さんたちみんなはおいしいごちそうにありつける事が出来たのです。
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根子岳の猫伝説

2015-11-02 | 伝承・民話
阿蘇の宮地(現在の阿蘇市一宮町宮地)に住む男が、南阿蘇の高森まで行くことになりました。

宮地から高森へ行くには、日ノ尾峠を越えるのが近道で、その道を急ぐことに。しかし、どういうことか山道を迷っていまい、だんだん日が暮れてきました。

仕方なく、野宿でもと場所を捜すことに。ところが森の中に家の灯りが見えるではありませんか。近寄ってみると大きなお屋敷。

「こんな山の中に家が?」と不思議には思ったものの、「野宿するよりは」と、宿をお願いすることにしました。

お屋敷の主は、この辺りでは見たこともないような美しい女の人でした。

「旅のものですが、道に迷いましたので、宿をお願いしたい」と申し入れたところ、「それはお困りでしょう」と親切に座敷に案内され、「お風呂にしますか、食事にしますか」との問いに、歩き疲れていたので、風呂を先にすることに。

風呂場に案内され、入ろうとしていると、別の女性の声が。

「おじさん、おじさん。この風呂には入らない方がいいよ。この屋敷からは早く逃げた方がいいよ。」

「ええっ、なぜ?」

「ここは猫屋敷です。旅人を猫にしようとしています。ここのお湯に浸かれば、湯に触れたところに猫の毛が生えます。食事をすると身体も猫に変身します。どうか早く逃げて下さい。」

「しかし、あなたは、なぜ私を助けてくれるのですか?」

「私は、おじさんの隣の家に飼われていた猫の三毛です。おじさんにいつも可愛がってもらっていましたので、そのお礼です。」

男は半信半疑ながら、その真剣さに負け逃げることに。庭に出ると、先ほどの女が湯桶を持って追いかけてきます。

「待てー! お前も猫になれ!」と叫びながら、お湯を振りかけようと追いかけてきます。

男は、うしろを振り返りもせず、ただ逃げるだけ、かけられた湯が少し手の甲に付いたのも忘れ、一目散に走り、無事に宮地の自宅に帰り着くことができたそうです。

帰り着くや否やぐったりと倒れ込み、そのまま朝まで寝入ってしまいました。

よく朝、目を覚まし、手の甲を見ると、ほんの少し猫の毛が生えているではありませんか。昨夜お湯がかかった場所です。急いで隣の家に、三毛のことを尋ねると、夕べから帰ってないとのことでした。
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雉も鳴かずば

2015-11-01 | 伝承・民話
伝承や民話ものせていこうかなっち思います


むかし、あるところに貧乏な家があって、父さんと娘とが暮らしておった。

あるとき、村の普請があって、川の堤を築き直すことになったと。川の堤は大水が出る度に崩れ、田畑や家が水に浸かる。

水がひいたらひいたで、今度は病気が広がって被害甚大だったと。堤はなおしてもなおしても崩れたと。村の普請は村人総がかりの仕事だった。

石を運ぶ者、土を積みあげる者、踏み固める者、炊き出しをする者、皆して働いたと。

昼どきになってひと休みしているとき、村長が、誰に言うともなく、

「いつもの、このやり方でええもんかのう。また崩れやせんかのう」というた。

すると、「他のどこやらでは、人柱をたてたという話を聞いたことがあるが」と、いう者があった。

するとまた他の者が、「わしも聞いたことがある。橋を架けるとき橋下駄の下に人柱を埋めると、その橋はどんな大水が出ても流されない。こんな話じゃった」と、いうた。

村長が、「かというても、ここでそれをやるというのはのう。第一、誰を人柱にするかが問題じゃろが」というたら、

「縦縞(たてじま)に横縞(よこじま)のつぎを当てている者を立てるっちゅうのはどうだ」という者がいた。

それが貧乏な家の父さんだったと。皆が父さんを見ると、父さんの着物がそうだったと。みんなの目があやしく光った。

「な、な、なんだぁ。妙な目付きをするなや。ほんの軽口だ。俺んところは縦縞に縦縞のつぎをあてることも出来ん貧乏所帯なもんで、もしかして、選ばれるとなりゃ、俺みたいな者にお鉢が回ってくるのかなぁ、と思うて言ってみただけだ。軽口だ、軽口」

あわてて言い訳をする父さんの物腰が、村長をはじめ、そこにいた者たちの秘めた心にきっかけをあたえたと。

父さんは村人たちに、じりじりと詰め寄られ、つかまり、俵に入れられたと。そして、とうとう堤に掘った穴に埋められたそうな。

堤は出来上がり、それからは、どんな大水が出ても崩れないようになったと。

しばらくたって、父さんの娘が嫁(とつ)いだと。ところが嫁ぎ先で娘は、「はい」と小声で返事はするものの、他のことは一言もしゃべらなかったと。

ムコどのは腹たてて、「こんな嫁はつまらん」と言うて、里にかえすことにしたと。

ムコどのが娘を連れて送り返す途中の山道で、雉が、ケンケンと鳴いた。すると猟師が鉄砲でズドンと撃ち殺したそうな。

娘はそれを見て、

 世間にはいうまいものぞ軽口は、雉も鳴かずば撃たれまいものを と詠った。

ムコどのは、「お前話せるのか。そうかお前の父さんが軽口を言うたばかりに人柱に立たされた。それで物を言うまいと思うて、返事よりほかはせんじゃった。そうだな。そうとは知らず、いや、そうとは思いやらず、俺が馬鹿じゃった」と言うて、娘をまた家に連れ戻ったと。

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