ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

伝えるべき内容をつくり出すことこそ文章法の最も大切な部分・・・

2013年03月16日 | Weblog
伝えるべき内容をつくり出すことこそ文章法の最も大切な部分・・・

「図で考えれば文章がうまくなる」久恒啓一著より。

今までほとんど図解文章法にはなじみがなかった。これは書こうとするテーマに関する情報を図に表わして、その図を参考にして書いていく方法だった。

図を描くことで書くべき内容が明快になれば、書きやすいに違いない。その間にいろいろと考えねばならないのだろうが。いずれにしても文章を書くことが楽しくもなるらしい。

図解で骨格や筋道が示されているなら安心して書いていけるのだろう。そうなれば、横道にそれることもなくなるし、筋が通った文章になることも頷ける。

これは図解文章法の第一歩だった。それにはキーワードを書きだして、それらの関係を矢印でつないでいけばいいのだ。その矢印は関係詞のことだともいう。これも新鮮なヒントに思えた次第。

どんな情報を伝えるべきかを考えるのに役立つのが図解・・・

2013年03月15日 | Weblog
「図で考えれば文章がうまくなる」久恒啓一著より。

自分から何かを発信する場合、図を描いてみると骨組みや全体像がつかみ易いらしい。また筆者は“考えるということは企画とも言い換えられる”と語っていた。しかもその企画は常に自分の内側にあるという。

その意味は、本人の経験や能力、人格を超えるような企画はなかなか出てくるものではないからだった。確かに自分が実感を持っていないことは、説得力もないだろう。

また図を使うことによって、自分自身との対話を自然に行うことができるらしい。ここでは図を描くまでを3つのステップに分けていた。

ステップ1、何を言いたいのかキーワードを書きだすこと。ステップ2、キーワードから骨格をつくる。部分ができたらそれらを組み合わせることで、全体図が出来上がってくる。ステップ3、骨格に肉付けをして図を豊かにする。

まだ細かいことはいくつかあるが、基本的なことは上記の3つのステップのようだ。これだけ知っているだけでも文章を書くときには気が楽になりそうだな。


図解は文章の設計図だ。

2013年03月14日 | Weblog
「図で考えれば文章がうまくなる」久恒啓一著より。

一度さらっと読んでみて、気になる部分をマークした後でもう一度読み返してみた。まずはじめに気になった部分が上記のフレーズだった。

しかも、このワンセンテンスはこの本の主題ではないかと思った次第。筆者は“文章を書くのは家を建てることに似ている”と述べていた。今までそんな発想はなかったので新鮮に思える。

自分も25年も前に家を建てた時は、どんな感じの家にするか、間取りや資金計画についてどうするかを考えたものだった。また設計図はその中心とも言えるものだった。

やはり文章もそれなりに真剣に考えないといいものは書けないのだろうな。ついつい行き当たりばったりで書いてしまうことが多いが、それでは後悔することのほうが多いものだな。

いずれにしても、全体のイメージをしっかり考えてから書いたほうがいいのだろう。このようなブログではあまり必要ないのだろうが、まとまったものを書くときには図を意識してみたい。


笑いのないビジネス人生を過ごしている人は不平不満のままくすぶっている。

2013年03月13日 | Weblog
「笑わせる!技術」中島孝志著より。

会社や組織に対する不平や不満は誰しも、ある程度は持っているものだろう。しかし、それを口にしたところで、何も変わるわけではない。

かつて、IBMの社長を務めたことがある人も、工場に配属されたときに、不平不満をそこかしこで言い放っていたという。そんな人の前に、アメリカから工場建設のスペシャリストが派遣され、印象的なメッセージを与えた。

それは、「不平不満を言うなら、Glorius Discontentを言え」だった。これは「栄光ある不満」という意味らしい。つまり、こうしたらどうだろうというような、具体的方法論を提案することだった。

それこそが生産性があることでもあった。自分たちもついつい不平不満を口にしてしまうものだが、それなら、いったい何をどうすればいいかまで、考えるべきだったのだ。

しばしば、不平ばかり口にする人の周りには、同類が集まってくる。やはりネガティブな意見ばかり口にする人とは、あまり付き合いたくはない。仕事は少しでも楽しくしたいものだし。


人を笑わせる門にはもっともっと福が飛んでくる・・・

2013年03月12日 | Weblog
「笑わせる!技術」中島孝志著より。

誰でも「笑う門には福来る」は知っている。まあ、笑顔でいればそれなりにいいこともあるのかもしれない。いつも暗い顔でいたら周囲に人も寄ってこないだろう。

福を呼びこむためには、まず自分が笑顔でいることが先決ということになる。しかし、さらに福を呼び込もうと思えば、人を笑わせることだった。

これも、言われてみれば、なるほどそのほうがいいに違いないとも思えてくる。かつて、読んだことのある本のタイトルにも「喜びは与えれば与えるほど与えられる」(中谷彰宏著)があった。

ここでのフレーズもまさに、それと同じことを意味しているのだろう。自分が得をすることよりも、人が喜ぶことをしてあげるほど、いずれはそれが自分に返ってくる。

まあ、サービスの基本だろうが。とはいっても、実際どういうふうに人に笑ってもらえるかを考えるには、それなりの努力も必要なことだな。


営業マンは本来、ハンターだから、じっと待っているようではいけない。

2013年03月11日 | Weblog
「笑わせる!技術」中島孝志著より。

営業マンであるからには、待ちの商売ではまったくお話にならないであろう。常に何かを仕掛けていかねば、成果は上がらないものだ。

お客さんが振り向いてくれるような、演出ができるかどうかもポイントになる。ただ当たり前に、まじめにやっているだけで成果が上がると考えていたら甘い。

やはりどこかに関心や感動といったことを与えられなければ、長く営業マンはやっていられない。また、接客自体を自分が楽しんでこそ結果として表れるものだ。

ある営業マンは、ア行とハ行に注目して成功したという。たとえばそれらは「あっ」(驚き、発見)、「うっ」(急な驚き)、「えっ」(驚き、疑問)、「おっ」(驚き、感動、感心)、「はっ」(驚き、感心)、「へぇ」(驚き、感心、納得)、「ほぉ」(驚き、感心、尊敬)などだった。

はたして、ふだんそこまで意識して営業活動をしてる営業マンはどれほどいるだろうか。これらを意識して仕事ができて、はじめてハンターだと言えるのかもしれないな。


おもしろくしゃべれるかどうかは、愛嬌のあるなしで決まってくるような気がする。

2013年03月10日 | Weblog
「話のおもしろい人、つまらない人」高嶋秀武著より。

ふだんかなりまじめに仕事をしている人でも、つい本音でおどけたような発言をすれば、親近感を持ってしまうものだ。それもタイミングによるだろうが。

人は年齢や立場、肩書に関係なく素の自分を見せてくれたときに、ほっとするものだ。常に建前ばかりの話をしている人には相手も気を許さない。たとえ、それが独り言のようなものでも、ちらりと本音でしゃべってくれれば、気を許すだろう。

愛嬌があるというのは、自分の弱点を見せてもいいという人間的な懐の深さを持っている証拠だと高嶋氏は語っていた。自分のウィークポイントを話せるような人は自分に自信があるということかもしれない。

また敬語で話しているうちは、なかなかうちとけないものだ。やはり親しくなるには、ある程度腹を割った話ができるようになってからだろう。まあ、仕事上ではなかなかそれが難しいことではあるが。


人間は、自分がよく知っていることをしゃべるときが一番いきいきする 。

2013年03月09日 | Weblog
「話のおもしろい人、つまらない人」高嶋秀武著より。

この本のサブタイトルには、“人間関係が10倍うまくいく話し方のヒント”とあった。まさに人間関係がうまくいくかどうかは、話し方が左右することは頷ける。

しかし、これをうまくやるには、やはりそれなりの努力なしにはできないものだ。そこで、話がおもしろい人のところには、人が集まってくるというのも実感する。

逆に無口な人だとその人がどんな人柄なのかは伝わりにくいものだ。話がややそれてしまったようだが、話す内容について実際によく知っていればその話には臨場感がある。

また、書物で読んだり人からの又聞きなどの話題は、それほどおもしろいとは感じられない。たとえそれが聞いた話でも、その話をよく知っている当事者からの話ならよりおもしろく感じられる。

やはり自分が実際に体験した話やまた本音が出ているときのほうが話もおもしろいものだ。以前人と話をしている時に自分が育てた家庭菜園の植物の話になったことがある。すると相手の人から、声が大きくなったねぇと言われたことがあった。

やはり、自分の趣味や関心が高いことをしゃべる時はついつい声も弾んでしまうものだな。まあ、そんな時の方がすらすらとおしゃべりができて説得力があるようにも思えるな。


ブランドという言葉を、「信用」という言葉に置き換えて考える。

2013年03月08日 | Weblog
「改革王になろう」中谷彰宏著より。

ブランドと耳にするだけで、単にカッコイイとかおしゃれと思いがちだが、実はもっと大事なことは、「信用」だった。このブランドなら間違いがないと思って商品を購入するものだ。

ブランドは知名度でもなかった。むしろ「評判」と考えた方がよかった。評判が悪くなるというような危機管理意識も必要だった。知名度が上がったとしても、マイナスの面で上がっても意味がない。

地道な日々の対応の積み重ねによって、その評判は上がっていくものだった。また、万一危機に遭遇した時も、逆にその対応の仕方によって評判を高めることもできる。きっとこの会社なら信用できる、というようなことだろう。

それは時には広告宣伝費を使わないPRともなる。逆に企業のブランドイメージが失墜すれば、長年かかってせっかく築いた信用も失ってしまう。恐ろしいことでもありそうだ。


謝り方の下手さが、火に油を注ぐ事態となる。

2013年03月07日 | Weblog
「改革王になろう」中谷彰宏著より。

(前日のつづき)
これ自体は、特別目新しいフレーズではなく、たまに思い浮かべることでもあるし容易に想像できる。こんなことは仕事に限らず、日常でもコミュニケーションが悪いと起こりやすいのではないだろうか。

つまり大事なのは起こってしまったあとに、どうおわびすることができるかということだった。謝らなくてはいい時間が長ければ、それはそれで実にラッキーだとも思えるが。

さて、ここでは謝り方の5原則というのがあったので、転記してみたい。それは〈社長限界デショ〉と覚えればいいようだ。1、シャ(謝意表明)。2、チョウ(調査報告)。3、ゲン(原因分析)。4、カイ(改善提案)。5、デショ(処分)、だった。

これら5つが満たされて、初めてちゃんと謝ったことになるという。シンプルだが、実に大事なことだとも思える。まあ、できればこれらを思い出さずに過ごせればベストなのだろうが。


リスク・マネージメントのポイントはサービス。

2013年03月06日 | Weblog
「改革王になろう」中谷彰宏著より。

これは中谷氏との対談の中で、ある企業の危機管理専門会社の社長の言っている言葉だった。また、これは危ないぞと感じる感性が、サービスの原点だとも語っていた。

一見サービスと危機管理は関係がなさそうだが、そうではなかったのだ。時どき欠陥商品などが出回ってしまって、あとでお詫び広告が新聞に掲載されるのを目にすることがある。

やはり常にお客様の立場に立ったサービスを考えるなら、やはり危機管理の意識が必要なのだろう。すべての安全はその基本的な事柄とも考えられる。

サービスが悪くて店などの営業状態が悪化して店や会社が存続できなくなってしまうこともある。そんなことも考えれば、上記フレーズがよく理解できそうだな。


笑顔が出るくらいリラックスしてやるとエルギーが出続ける。

2013年03月05日 | Weblog
「笑わせる!技術」中島孝志著より。

スポーツの試合の前に笑顔の選手を見かけることがあるが、そんな姿を見るとリラックスしている様子がうかがえる。むしろ緊張でがちがちになっているほど力は発揮できそうもない。

あるいは、余裕があるからこそ笑顔がでてくるとも言えるのかもしれないな。筆者は仕事で講義や講演を行っているが、笑いが多いほど名講義になっているようだ。

聞く人にとって面白いと思ってもらえれば、集中力が続くともいう。学生時代の授業でもおもしろい授業ほど眠気は少なかったものだ。

笑わせてくれる話を聞くのは楽だが、意識して笑いをとるのはそうそう簡単ではない。ユーモアやウィットを会話の中に入れるのは、たくさん聞いて話すことしかないようだ。

つまりできるだけ多く、頭の回転の速い人とコミュニケーションをすることで、ネタを仕入れるしかないようだ。何ごとも練習あるのみなのかなぁ・・・


人は成功談を聞かされるよりも、失敗談を聞く方がホッとする。

2013年03月04日 | Weblog
「笑わせる!技術」中島孝志著より。

自慢話は嫌われるが、失敗談については意外にも喜ばれたりする。本人は恥ずかしいことでも、それも他人から見れば笑いの種にもなっている。

失敗の経験をうまく話せるなら、人に好かれるかもしれない。しかし、ついついカッコよく話したくなるものだ。自分に起こったいいことは話しやすいものだから。

お笑い芸人はやはりプロだから、自分の失敗もしっかりとネタとして喋って、笑ってもらえるのだ。ある意味美味しいと考えているのかもしれない。

個人的な失敗のエピソードをどれだけ持っているかも、人にウケるポイントなのだろうな。披露できる失敗を考えておくというのも面白そうだ・・・


「これ、聞いた話なんですけど」と切り出す。

2013年03月03日 | Weblog
「笑わせる!技術」中島孝志著より。

人が知っていなさそうなことを話すときに、教えてあげよう、というような話し方はいけないようだ。人が知らないと思うと、ついつい自慢したがってしまうものだ。

しかしこれをやると嫌われてしまう。むしろ一段下がる姿勢が大切だった。そこでのポイントは、自分が勉強して仕入れた知識でも、「この前こんなことを聞いたんですけど」というフレーズを入れることだった。

そのことで、知ったかぶりは和らげられるようだ。少しでも謙虚に聞こえる方が印象はいいのだろう。つまりワンクッション置くということだろうか。

また内容についても、政治や経済などの大きな問題よりも、もっと身近な趣味や健康関連の情報など身近な話題のほうが、関心を持ってもらえるものだ。


飽食終日の食が、仕事を意味する職になっていた・・・

2013年03月02日 | Weblog
「信なくば、立たず」江上剛著より。

サラリーマン「論語」小説のなかで目にしたワンフレーズだった。これはもともと「飽食終日、無所用心」という孔子の言葉があって、毎日食うことばかりに明け暮れ、何も考えず、感動しなければ、人としてダメになるというような意味だった。

その食を職に変えても別の意味になって使えるということのようだ。つまり、仕事をやり過ぎても、ぽっかりとした虚しさを覚える。むしろ自分で選んだ好きな道なら充実しているとも考えられるということだった。

勝手な解釈もそれなりに説得力を持つものだ。職がなければ食も得られない。ショクひとつでも意味合いが深いと感じられる。職は仕事で、人によってはそれは芸にも通じるものだ。

小説の中では、仕事が下火になってしまったある役者が自身のことを振り返っている。「飽くまで食らいて日を終え、心を用いる所なきは、難いかな」、を本物の役者になるために必死に芸を磨けという言葉に聞こえたという。