ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

常識の三分の一以下の期間を「納期」とする。

2013年02月13日 | Weblog
「加速力で成功をつかめ!」齋藤孝著より。

数冊の本を同時並行で読んでいるため、何日か前にもこの本からのフレーズを取り上げたが、読み進むうちにインパクトがある個所があったので、再び取り上げてみたい。

それが上記フレーズで、齋藤氏自身の経験から語っているものだった。氏がまだ知名度がないころ、たまたまある新聞社から一本の原稿執筆依頼をされたのだ。その時は締め切りはあってないようなものだった。

しかし、その原稿をなんと!二日後に上げたという。当然ながら担当者は驚きつつも、すぐに掲載してくれたのだ。するとそれを見た出版社からも執筆の依頼があり、締め切りは数カ月後との話だったが、それも1ケ月で書き上げたという。

氏の若い頃のモットーは、依頼された仕事はけっして断らないことと、納期を通常の三分の一にすることだったようだ。これも実力と自信があるからこそできる技なのだろうな。

結果として、これを守っているうちに仕事が止まらなくなったと振り返る。加速力を印象づけるには、相手を驚かせることが必要だったようだ。


会社勤めも、あなたの人生の一部。

2013年02月12日 | Weblog
「学び続ける力」池上彰著より。

会社や組織での仕事がすべてではないということだろう。現役時代はついつい忘れがちなことでもありそうだ。むしろ会社を利用して自分を高めるという考え方があるべきということだろう。

しばしば、仕事は人間を成長させるなどとも言われるが、それも本人の自覚次第だとも思える。池上さんは、かつての職場であるNKHの社会部時代から、せっせと時間をつくっては勉強していたという。

実に地道に努力を重ねていたようだ。むしろ勉強しているということを、周りに知られないように、こっそりと勉強していたのだ。それは、日本の社会では勉強しているのはあまり好まれないからだった。

日本の企業社会はその企業への社員の忠誠心を求めて、会社のために人生を賭けるタイプが好まれるようだ。しかし、むしろ自分を高め成長させる時間を確保すべきだと主張していた。

池上さんは社会部記者時代には、その時すぐに役に立たないと思われる英語なども時間を見つけては、熱心に勉強していたのだ。しっかりと目標をつくって、継続していたのがすごいと思える。


「すぐ役に立つことは、すぐ役にたたなくなる」

2013年02月11日 | Weblog
「学び続ける力」池上彰著より。

しばしば池上さんのニュース解説をテレビのバラエティ番組で見ることはあるが、いつも具体的でわかりやすい。だから、きっと視聴率も望めるから登場する回数も多いのだろう。

役に立つことを学んだとしても、その知識はすぐに陳腐化してしまうものだったのだ。ということは、常に学び続けていなければならないということにつながっていた。

むしろ、「すぐには役に立たないこと」を学んでおけば、「ずっと役に立つ」のではないかと、池上さんは語っている。これは言いかえれば教養とも呼ばれるらしい。

今まで知ってるようで知らないことは実に多い。そこで、学んで知ることができれば楽しくもなる。学校で強制的に教えられることは楽しくはないが、自分で進んで学ぶことは楽しい。あとはそれを継続できればいいのだが。


精神的にも身体的にもくつろがなければ、良いアイデアなど生まれようがない。

2013年02月10日 | Weblog
「アイデアの極意」内藤誼人著より。

これも自分をアイデアマンにする基本の一つだった。いつもストレスを感じている状態では、無理だったのだ。内藤氏は人間の創造性が高まるのは、身体的なリラックスと、精神的な安定があってこそだという。

それはよく理解できそうだ。たとえば、狭い会議室でプレシャーを与えられると、気持ちが凝り固まってしまって、いいアイデアなど浮かびそうもない。

アメリカのリンカーン大統領は、いつでも机の上に足を投げ出して職務を行っていたというが、本当だろうか。リラックスこそがいい発想を生む第一歩のようだ。

背広を着てネクタイで首をしめつけている状態では、いいアイデアを出そうとするほうが無理かもしれない。経験からも自宅でくつろいでいる時のほうが、独創的なアイデアが浮かぶものだ。

まずは、楽な服装でベッドに寝そべったり、椅子に寄りかかったりしながら、いろいろと思考するのがいいのかもしれない。最近そんな時間を過ごしているだろうか・・・


何の根拠もないのに自信過剰であることが、アイデアマンの必須の条件・・・

2013年02月09日 | Weblog
「アイデアの極意」内藤誼人著より。

つまり発想力の才能がないと嘆く前に、“自分はアイデアマンだ”と思いこむことも、有益なようだ。発想力はスキル(技術)だと考えたほうがよさそうだ。

もし、自分がもともと平凡な人間だから無理だと考えるなら、創造性も逃げてしまうそうだ。それではもったいない。むしろ、できるという自己暗示こそが大事だったのだ。

たった一つのいいアイデアを生み出すためには、膨大なつまらないアイデアがあるものだと考えたほうがよかった。いきなり数個だけ考えて諦めるのはもったいようだ。

もっと楽観的に考えて量産すべきだったのだ。まったく別なことだが、ここに面白いことが述べられていた。それは野球で、ベーブ・ルースは野球人生で714本の本塁打を打っているが、1330回も三振をしていたことだ。

日本のプロ野球では王貞治さんは868本の本塁打の記録を残しているが、三振も1319回記録していた。いくら三振しても結果的に本塁打の記録は偉大なものだ。


ビジネスはいかに優秀な「アイデア」を数多く出せるかにかかっている。

2013年02月08日 | Weblog
「アイデアの極意」内藤誼人著より。

商売を考えた場合、たとえ現在の業績がよくても、いつも同じようなことをくり返しているばかりでは、先行きが不安だ。常に新しい何かを付け加え、改良を重ねていかねば頭打ちになってしまうだろう。

そのためには、いつもアイデアを考えておく必要がある。切羽詰まった状態で、義務感で考えたところですぐにいいアイデアが思い浮かぶわけではない。

できれば普段から、発想が豊かになる方法を身につけておくべきなのだろう。売り上げなどは、人と異なるちょっとしたアイデアで結果として異なってくるものだ。

有能と思われるビジネスマンはやはりいいアイデアを出すコツをつかんでいると思われる。その方法として心理学は使えるという。たとえばその一例として身体を動かしたり、笑った後でアイデアを出すように努力する方がいいようだ。


完璧主義的に仕事をしようとすることは、マイナス面のほうが大きい・・・

2013年02月07日 | Weblog
「加速力で成功をつかめ!」齋藤孝著より。

これだけ見れば、おやっ!とと思ってしまう。ほとんどの仕事は7~8割はかなりのスピードでこなすことはできる。もし、それを完璧にしようとすれば、あとの2割にかなりの時間を費やさなければならないからだった。

これはかなり非効率的でもあるようだ。逆に8割でいいと割り切ってしまったほうが、仕事はたくさんできるものらしい。筆者は「八割よければOKでいこう」、と考えていた。

実際そのほうが、たくさんの仕事ができるのだった。まあ、仕事やスポーツによっては100%完璧でなければならないものもあるが。仕事がどんどん進んでいる時のほうが、クリエイティブにもなれる。

7~8割の完成度でいいということは、そこに大きなミスはないということが大前提でもあった。いずれにしても、はじめからさほど大事だと思えない部分の仕事には、余計なエネルギーを使わないのが賢明なようだ。


若々しさのない人に、子どもや若者はついていこうとはしない。

2013年02月06日 | Weblog
「加速力で成功をつかめ!」齋藤孝著より。

最近、自分の周りでは仕事が速いとか、勢いがあると感じられる人は少ない。ある意味それは加速力がないようにも思える。人から言われたことや与えられた課題だけをこなそうとしているうちは、まだまだ仕事は楽しめないだろう。

一番やりがいがあるのは、自ら企画、実行して結果が得られた時だ。そんな時はやはり加速力があると言ってもよさそうだ。そして、元気な人はやはり周囲の人からも好かれる傾向があるようだ。

逆のことを考えてみてもわかる。元気がない人には迫力も感じられないし、あまり説得力もないものだ。子どもや若者はその点が敏感なのだろう。

いくら能力があっても元気がない人にはついて行きたくないものだ。元気がなければ、余裕がないので、余計なことは考えないのだろう。人は楽しませてくれる人には近づきたいと思うものだな。


加速して仕事すること自体が快感・・・

2013年02月05日 | Weblog
「加速力で成功をつかめ!」齋藤孝著より。

そもそも普段あまり加速と言う言葉は、車を運転する時くらいしか縁がない。筆者によれば、ここでの加速とは、何か新しいことにチャレンジし、それを身につけていくプロセスを指していた。

確かに、新しい仕事を覚えてそれがどんどん進んでいくようになれば、気持ちがいいものだ。つまり、自動化した仕事が増えれば、その時は加速しているといえるようだ。

それも、あまり慣れ過ぎればマンネリに陥ってしまい、あまり効果はなくなるのだろう。仕事も楽しくできるうちが一番上達または結果が出ている時かもしれない。

目標が達成できれば、それが次へのパワーともなるものだ。最近はなかなかそんな気分になれることが少ない。目標を失っているためだろうか・・・


新年のチャレンジで思い浮かぶのが日記。

2013年02月04日 | Weblog
朝日新聞2013年1月26日付け、土曜版より。

そういえば、学生の頃、新年になると今年こそ何かをやろうと決めたものだったが、春になるとそれが何だったのかさえ思い出せないことばかりだった。

日記も“今年こそは・・・”と思って書き始めたことは何度かあった。しかし、数か月か、数年でやめてしまったものだった。またたとえ書いても読み返すほどのものではなく、それも億劫だった。

ここには「日記をつけていますか?」というアンケートと記事があった。それによると、「はい」が41%で「いいえ」が59%だった。回答者は2957人だったが、「はい」が意外にも多くて驚かされた。

実際に自分の職場や知人たちで日記をつけている人はほどんどいないからだ。「はい」と答えたうちで、60%の人が10年以上継続しているという。これもすごい。

その日記を何につけているかのアンケートもあった。一位は日記帳ではなかった。スケジュール帳や手帳だった。やはり身近なものが書きやすいのだろう。

最近ではブログやツイッター、フェイスブックなどで日記のようなものを書いている人が増えているのかもしれない。まあ、自分が最も書きやすいものに書けば何でもいいのだろう。


人間の付き合いというのは、「腹六分」がちょうどいい。

2013年02月03日 | Weblog
人間の付き合いというのは、「腹六分」がちょうどいい。

朝日新聞2013年1月26日付け、土曜版より。

たまたまこの日の土曜版には興味深い記事がいくつも目についた。これは「悩みのるつぼ」という人生相談のコーナーで美輪明宏さんが、相談に答える形で語っていたことだった。

その相談とは18歳の男子学生が、人との友好関係が維持できないという悩みだった。長く親しい友人関係を保つのが不得意らしい。それに対して美輪さんは、逆にあまりべったりとした人間関係でないほうが長続きするものだというニュアンスで答えている。

親友なんて一人できればいい方で、離れていく人は、ニセ者だから惜しむ必要はないという。仲よしでもつかず離れず、というのが大人の関係らしい。

相談者には次のようなアドバイスもしていた。ほほ笑みのない人に近づく人は少ない、いつもニコニコしている人を嫌いな人はいない、と。実にシンプルだが忘れがちがことでもありそうだ。さらに口べたなら聞き上手になれば、そのほうが信用されるとも。実にわかりやすい。

「おしゃべり力は」、実は社会共有の財産・・・

2013年02月02日 | Weblog
「おしゃべり力は」、実は社会共有の財産・・・

朝日新聞2013年1月26日付け、土曜版より。

これはかなり大げさな表現にも思えたが、フリーライターの金子由紀子さんのコラム「お金のミカタ」にあったものだった。おしゃべりとお金がどういう関係があるのかわからないが、中ほどに“おしゃべりは永遠にタダ”、“お金のかからないレジャー”とあったので、そういわれればそうかもしれないと思った次第。

もともとおしゃべりは女性のものだという意識がある。そのおしゃべりの中には、自治体の担当部署には見えづらい、地域にとって重要な問題が含まれていることがしばしばあるようだと、筆者は語っていた。

単なる雑談のなかにも意味のあることが含まれていれば、考えさせるだろう。おしゃべりは個人の生活をも豊かに潤すという。確かにコミュニケーションと考えれば、人間関係も円滑になるだろう。

男性に比べて女性はちょっとしたネタもふくらませてしまう能力は高いと思われる。しかし、中にはおしゃべりがうまい男性もいる。筆者はそんなおしゃべり力の高い男性は、知的でユーモアにあふれ、魅力的だという。(口下手な私にはとうてい無理だ・・・)

おしゃべりのスタートはまず、「あいさつ+一言」から始めるといいとアドバイスしている。「おはようございます。+寒いですね」でいいようだ。そのあとのネタが問題かな・・・

「芸術の力で、山をいくつも乗り越えてきた」

2013年02月01日 | Weblog
「朝日新聞」2013年1月26日付け、土曜版(フロントランナー)より。

前衛芸術家の草間彌生さんの特集記事で目にしたフレーズで、彼女自身のことだった。83歳になってもまだまだ忙しく仕事をこなしている。描き続けるのは「心の病の克服」があったようだ。

子供の頃から水玉の幻覚で苦しんだという。絵を描くことで孤独を紛らわしてきたと述懐している。忙しくて大変だが、命がけで描いている。しかも病院でも描いていた。エネルギーはいくらでも生まれてくるとも語る。

しかも、アイデアは描いているうちに、ジャンジャン出てくるというから驚かされる。それらは下絵もなしで、直したことも、失敗したこともないのだった。私も画廊や画集で何度か作品を拝見したが、迫力があって圧倒される。

すでに日本でも世界でも認められている芸術家だが、永遠に描きたいと願っている。芸術で築き上げた世界に、この年になって自信が出てきた、しかもこれからが本当の草間彌生の世界だと語っている。