ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

自分が、まわりの人にとって「面白い人」になれているだろうか。

2012年01月16日 | Weblog
「3分で金運がついた」中谷彰宏著より。

このセンテンスのあとには、「面白い人に、お金が集まる」とあった。つまり金運と面白い人はセットになっているということのようだ。ここでの面白い人とは、ギャグやユーモアがあったり、ジョークを言う人のことではなかった。

面白い発想、見方ができたり、面白い体験、面白いエピソードで楽しませてくれるような人のことだった。観た映画や読んだ本のことを話せる人には金運も転がり込んでくるという。

お金のエキスパートになることではなく、自分自身が面白い人間になることが大事なようだ。同じ場所に遠足に行っても、面白い作文を書ける人とそうでない人がいる。

つまり面白いことを見つける力があって、それを表現できるということだった。松本人志の「すべらない話」というTV番組では、お笑い芸人たちが、自分の体験を実に面白く語っている。

またそれを周囲の人たちは楽しんでいる様子もいい。人の話を楽しく聞けるというのも、面白い人になる条件のようだ。誰もがあれほどの話芸ができるわけではないが、そんな心がけは持っていても損はないかもしれない。


素早く動きながら、根気よく継続できることが、金運を強くしていくコツ・・・

2012年01月15日 | Weblog
「3分で金運がついた。」中谷彰宏著より。

ここでははっきりと金運についてのコツについて述べられていた。それが上記フレーズだった。また、そのエピソードとして、ちょっとした雑学のようなものがあった。

ここでのタイトルは「えびすさんの持っている笹が、金運を呼ぶ」とあった。その笹には2つの意味があった。1、さっさとする。2、根気よくやる。1、は「笹」と「さっさ」の音をかけていた。2、は、笹は60年に1度花が咲くことに由来していた。

さっさとすることと根気よく継続することは両立できることだった。つまり金運のつく人には、スピードと根気よさの両方を兼ね備えているという意味だった。

もし何かいいアイデアが思い浮かんだら、とりあえずすぐに形にしてみるということだろうか。あとは、それを根気よく完成度を高めていけるかどうかかな。

失敗した時、「いい経験をした」と思える人は、成長する。

2012年01月14日 | Weblog
「3分で金運がついた。」中谷彰宏著より。

つまりそれで、授業料を払ったと言えるかどうかだった。へたな言い訳はしないほうがいいのだろう。その例がギャンブルだった。そこで「負けた」と言える人は、深みにハマらないという。

それを逆に隠そうとするともっと深みにハマってしまう。これだけで、昨年も大手製紙会社の元会長がカジノでの大きな負けをギャンブルで取り返そうとして事件になったことを思い出す。

いくら頭がよくても、ギャンブルのプロから見れば、エリートはいいカモだったのかもしれない。短期間で大儲けさせれば、さらに大金をつぎ込みたくなるものだ。

ここには「優等生が金運を失いやすいのは、エリートとしてのプライドが高いからだ」ともあった。人にSOSを出せなかったのだ。カジノの負けはカジノで取り返そうと思ってしまったのだ。

まあ、庶民には創業三代目のあの元会長のように、際限なく引き出せるような資金もないが、気をつけるに越したことはない。成長するためには、失敗しても「いい経験をした」とすぐに反省できるかどうかだな。

企画力は、やってみる勇気の差でしかない。

2012年01月13日 | Weblog
「3分で金運がついた。」中谷彰宏著より。

まず、金運ということからみれば、それは頭脳ではなく、勇気から生まれるという。儲かるかどうかは決断の差でもあるようだ。しばしば、競馬でも、買っていれば、儲かったという話は聞く。しかし、実際は買う勇気のなかった人の言葉に過ぎない。

ここには「こういう企画をやってみようか、と企画を思いつくまでが勝負ではないともあった。要するに思いつくまではみんなができるが、問題はその先だった。

ほとんどの場合、二番煎じすらできない。それは、始めやってみる勇気がなかったからだろう。たとえ二番煎じでもやって、成功するためには、ノウハウの蓄積がなければならない。

もし、10年先にやった人に追いつこと思えば大変なことだろう。完成度の高い仕事を継続していくのは、しばしば改良を重ねなければならない。いずれにしても、二番手にしても踏み出せるかどうか・・・


女性は、男性が頭の中で計算したとわかると、せこいと感じる。

2012年01月12日 | Weblog
「3分で金運がついた。」中谷彰宏著より。

この本のサブタイトルは、“お金に愛される43の秘密”となっていた。誰でもお金に関心のない人はいないだろう。また、本の帯には、“生きたお金の使い方をする人に、金運の神様は近づいてくる!”ともあった。

要するに、普段の生活で金運がついてくるような考え方、行動について述べられている一冊だとわかる。そして、読み進むうちまず気になったのが上記のフレーズだった。

金運を呼び寄せるような人は、瞬間的に考えて、計算よりも直観で行動をするという。いちいち計算をしてから行動をとっているようでは、女性からみればせこいのだろう。

たまにモノを見ると「それいくら?」と必ず聞く人がいる。こんな人は男から見ても、やはりせこいとも思える。傍で見たり耳にしても感じがいいものではない。

こんな人とは深い付き合いができないのかもしれない。金運を呼び寄せるような人は、プレゼントをするときなど、しつこく値札にこだわったりしないのだろうな。


大衆の心をとらえるネーミングは合議制からは生まれない。

2012年01月11日 | Weblog
「ネーミングの極意」木通隆行著より。

ここでの小タイトルは「悪いネーミング会議」だった。商品のメーミングは当然ながら一人で決めるわけではなかった。いくつもの会議で時間をかけて決定されていくものだった。

専門家や現場の意見を聞きながら練り上げられていく。その内に当たり障りのない平凡なところに落ち着いたりすることもあるようだ。つまりみんなで決めれば怖くないというように責任も曖昧になってしまうのだろう。

自分はこう思うとか、私ならこうするという強い意志が感じられないときもあるようだ。複数の意見でテーマをもみ合ううちに鋭いセンスも消滅してしまうらしい。

作る側の思いこみと受け取る側の感覚がずれてしまうことはよくあることのようだ。それだけヒットする優れたネーミングを生み出すのは難しいということなのだろう。


「準備の充実なくしていい結果は得られない」

2012年01月10日 | Weblog
「野村ノート」野村克也著より。

ここではたんなる準備をすればいいというだけのことではく、その準備さえも充実したものである必要があるということだった。確かにいい加減な準備なら、結果もそうそう期待はできないだろう。

いったいどうのような準備をしたかによって期待値は異なってくるものだ。準備重視(=プロセス重視)というのが野村氏の野球だった。ただ結果オーライだけではく、どうしてそう考えるのかという理由がなければならなかった。

いい打者と普通の打者の境界線は3割だった。常に3割以上をキープできることはすごいことだった。7割までは失敗は許されるということにはなるが。打撃チャンスでは8割の成功率のバッティングをしなければならない。

それができないと思えば待つというのも戦法だった。自信がないのに打ちにいくのは自己中心的な性格でもあったのだ。いずれにしても、練習や準備が充実しているかどうかで、明日のやる気がまったく違ってくることはしばしば経験していることだ。


出会いや縁を無駄にしてしまう選手は、将来の可能性まで狭めてしまう。

2012年01月09日 | Weblog
「野村ノート」野村克也著より。

この“選手”という部分は一般的な人にも置き換えられるだろう。ここでの小タイトルは「意外な選手に感謝されていた」となっていた。ここでは野村氏がいくつかの球団で監督をしていた時のことを述懐していた。

氏は感謝の言葉は黙っていては伝わらないということも言っている。確かにそうだろう。たとえ短い言葉でも人を感動させることもできるようだ。「言葉は力なり」でやはり言葉ななければ伝わらないものだ。

現役時代にあまり交流もなかった選手が、後にコーチになった時「ノムラの考え」という冊子を使って選手に教えていたというのを知って感動している。

つまり縁を大事にしてきたということのようだ。ここで、もう一度今日のフレーズを振り返ってみた。やはり日々の仕事をスムーズにしていくためには縁を大事に育てていくのも大事なことなのだろうなぁ。


人格が仕事の成否を左右する。

2012年01月08日 | Weblog
「野村ノート」野村克也著より。

短いが野村氏の人生哲学が詰まっているようなワンセンテンスだと思った次第。この部分の初めには、「人間は仕事でもって人生を生き抜いていき、仕事のなかで人間形成がなされる」と述べていた。

もうこなると、たんに野球のことだけを言っているのはないことに気づく。仕事をやっていくうえで、人間形成、人格形成はいちばんの基本だと断言していた。なかなか世のため、人のためということを考えるのは難しい。ついつい自分のことで精いっぱいなときがほとんどだ。

野球に話を戻すと、野球は当然ながらチームプレーで、個人の力だけでは勝ちには結びつかない。そこで、かつて巨人に在籍していた上原(現オリオールズ)を引き合いに出していた。

先発していた時、首脳陣から交代を打診された時、自分が勝ち星につながるかもしれない時、チーム優先で交代することがあったらしい。本当は不安定なリリーフに託すより自分が投げ続けたほうがよかったかもしれない。

しかし、チーム優先主義だと「譲る」「我慢する」が前面に出されるが、時には「勝つためにはエースであるおれが投げる」と自己主張するのも立派なチームスピリットだと野村氏はいう。

もし、エースと言われるくらいの投手ならそれくらいの気慨が求められるようだ。責任の重さということを考えるなら、なるほどそういう考え方もあるのかと思わせられる。常に従順であることがベストな選択ではないことにも気づかされる。


強い者が必ず勝つとはかぎらないのが野球。

2012年01月07日 | Weblog

「野村ノート」野村克也著より。

しばしば、結果的に勝ったものが強いと思いがちのではないだろうか、と思わず突っ込みをいれたくなってしまう。勝負の世界では実力の差で勝負が決まってしまうものだが、野球の場合、戦力に4対6、3対7くらいの戦力の差があっても弱者は勝者になれることもあった。

それはつまり勝率が5割台であっても優勝チームになる可能性があるからだった。年間144試合でも最後は1勝の差であったり、優勝決定戦までもつれ込むこともある。

最後まで優勝の行方がわからないというのも、観る側のファンにとっては面白いことでもある。またヤンキースや巨人のように、莫大な資金で補強したからといって、優勝できるとは限らない。そこを野村氏は強い者が必ず勝つとは限らないと表現していた。

初めから戦力に大きい差がある場合、弱者が強者に勝つにはどうするのか。そのために対策、戦略を練っている。それは考えて戦うことだという。これはふだんの仕事でも同じことが言えそうだと思った次第。

中小の会社も大企業にない技術力、機動力、人材力などをもつことで十分太刀打ちできることもある。決裁までに時間がかかる大企業よりも、アイデアとスピードに優れた個人企業のほうが顧客にとって内容がいい仕事ができるかもしれない。

またきめ細かさ、丁寧さ、サービスの良さ、アフターケアの良さ、応用力などを考えれば、大きくて強い組織がかならずしも優れているとは言えそうもないことにも気づく。



感謝こそが人間が成長していくうえでもっとも大切なもの・・・

2012年01月06日 | Weblog
「野村ノート」野村克也著より。

これは単なる野球の技術に関することだけが述べられている一冊ではなった。むしろ人生訓のようなものがたくさん含まれている。上記は野村氏の長年の監督としての経験を通しての持論でもあった。

平成17年のヤクルトの監督時代のこと。二軍のグラウンドで練習する機会があったときロッカーに貼ってあったある社会活動家の言葉が気になったそうだ。そこにはつぎのようにあった。

「・・・いったい自分とは何なのか。親のおかげ、先生のおかげ、世間様のおかげの塊が自分ではないのか・・・」。このような言葉を目にして、氏は思い当ることがあったという。

それはいまの選手にもっとも欠けているものは、「感謝の心」だと気づいたことだった。野村氏の若い頃は、親に楽をさせたいという思いが一流選手の原動力だったようだ。

実際一流と呼ばれている選手で親を大切にしない者はいなかったと振り返る。親孝行とは感謝の心だった。ついつい「~のおかげ」という感謝は忘れがちになってしまう。念頭に置かねばと思った次第。


特訓・修業も、遊び心を持って楽しくやったほうが絶対成果が上がる・・・

2012年01月05日 | Weblog
『結果を出す人の「やる気」の技術』齋藤孝著より。

そもそもこの章のタイトルは「やる気が切れない特訓モードのつくり方」となっていた。特訓や修業という言葉からは苦しみや辛いことをひたすら我慢するというイメージがある。

しかし、苦しかったり辛いことがイコール上達とは限らない。むしろそれを楽しんでしまったほうが効果がありそうだ。まず自分は何のためにそれをやっているのかをブレさせないことだった。

スポーツにしても、遊びにしてもそこにルールがあるから楽しめる。してはいけない行為があってペナルティもある。上手にルールを利用できたものが楽しめるのだろう。

筆者は最後に「論語」を取りあげていた。「これを知る者はこれを好むものに如かず、これを好むものはこれを楽しむ物に如かず」だった。結局、特訓・修業も楽しみながらできたほうが効果が上がるということのようだ。

どこの場でやると、自分は集中できるのか、やる気を維持できるのか、それをつかむ。

2012年01月04日 | Weblog
『結果を出す人の「やる気」の技術』齋藤孝著より。

何かに集中したい時、自分だったらどこがいいのだろう、とふと考えてしまった。(まあ、やることによって異なるだろうが)いつでもたっぷりと時間があるわけではなない。また短い時間をどう生かせるかも知っておくことも大事なことだろう。

そういえば、かつてブログの書き始めたころ、その内容は帰りのバスの中で10分か15分で考えてメモしていたことがあった。短い時間だからこそ集中できたともいえる。最近ではだらけてしまったが。

読書も家ではなかなかゆっくりと時間がとれない。せいぜい職場への行き帰りの電車内がメインになっているだろうか。それもその日の体調によりけりで、残念なことだが、最近では居眠りのほうが多いかも。

さて、齋藤氏は自分に合った空間のことを「マイ道場」と呼んでいるらしい。勉強に集中しやすい場所という意味で、たとえば自室、喫茶店、図書館などがあった。私などは飽きやすいから場所を変えるようにしているが。

勉強は必ずしも、机に向かわなくてもいいようだ。たとえば、半身浴をしながらやジムのランニングマシーンで走りながら、英語を聴いて耳を慣らすのも可能なようだ。トイレでは英単語をを覚えるなども入るらしい。こう考えるといろいろな場所が道場になる。

ある意味これは「ながら道場」と考えることもできそうだ。電車やバスで読書や勉強は誰でもやっていることだろう。結局コマ切れ時間に集中できそうな場所はあるかどうかということになるかも。


ピンチのときこそ大きく息を吐く気持ちで、先を読む目を持たなければ・・・

2012年01月03日 | Weblog
『結果を出す人の「やる気」の技術』齋藤孝著より。

ピンチに立つと、誰でも焦ってしまう。しかしその焦りは何も有益なものは生まないものだった。しばしばピンチをチャンスにとはいうものの、そうそううまくいくものではないだろう。

そこでここでは、そんな逆風を追い風にしてビジネスの世界で成功している例として孫正義氏を引き合いに出していた。20代の後半に立ち上げた会社は軌道に乗りかけたが、重い肝臓病で3年間の闘病生活を送らねばならなかった。

その間、電話とパソコンを持ち込んで仕事もしたようだが、本を数千冊も読んだという。自分がステップアップするための充電期間と考えて、知恵を蓄え考え方を磨いていたのだ。

闘病時代に経営に対しての自分の「核」となる考え方をつくりあげたらしい。ある意味病気をも最大のチャンスにしたということになる。凡人にはなかなかそういう発想は思い浮かばないだろうが。

モノに思いがのって初めてプレゼントになる。

2012年01月02日 | Weblog
「男は女で修業する」中谷彰宏著より。

たまたま前日最後の部分でプレゼントということに触れていたので、まったくべつのページにあったこのフレーズが気になった次第。ここでのタイトルは「男は、仕事を終えて、プレゼントを探しに行く。女は、お客様へのプレゼントとして仕事をする」となっていた。

このタイトル自体面白くて考えさせる。男は仕事とプレゼントは別ものと考えるが、女は仕事をプレゼント化できるという。仕事に思いを込めるという意味らしい。

たとえば、カードを添える。メンテナンスのアドバイスをしてあげるというようなことらしい。ただ梅干しを送るのではなく、この梅干しは何に効いて、どういう食べ方がいいというひと言を添えるのもいいようだ。

つまりモノだけではプレゼントにならなくて、思いがのるかどうかがポイントだった。仕事をプレゼントにしようと思えば、そこに思いをのせるということになる。

商品を買って、全然関係ないモノをくれる時があるが、それはただのおまけだった。女はお客様へのプレゼントのつもりでサービスができるところがすごい。男もこんなところを修業しなければな・・・