ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

さあクリスマスだと教会へ行き、讃美歌を歌う、という人はあまりいない。

2009年12月16日 | Weblog
「「産経新聞」2009.12.13付けより。

“邂逅”というコラムのなかで、赤瀬川原平さんが述べていたフレーズだった。そう言われてみれば、ちょうど今盛り上がっているクリスマスは、ほとんどの日本人にとって、楽しむための口実みたいなものになっているように思える。

近所では、小さい子どものいる世帯では、夜になると自宅でイルミネーションを点灯させている。なかには家どうしでその光の点滅を競っているかのように派手な家もある。

自宅でも、数年前までは庭にクリスマスツリー(ドイツトウヒ)があった時には、イルミネーションを楽しんでいたものだった。しかし、木の背丈が伸びすぎてしまいとうとう切ってしまってからは、辞めてしまった。

クリスマスはプレゼントやふだん食べない料理などを楽しむためだけの行事になってしまったようだ。せいぜいその程度で、12月25日になったからといって、別に特別なことをするわけではない。

子どもらには楽しい季節でも大人にはあまり関係ないかな。キリスト教徒でもなければ、教会にも讃美歌にも無縁だろう。まあ、街中では今年も派手なイルミネーションをタダで眺めることができれば、それなりにうれしいことでもあるかな。

ブランドに場所を貸す不動産業・・・

2009年12月15日 | Weblog
「朝日新聞、土曜版」2009.12.12付けより。

“デパートで買い物している?”というアンケート結果が掲載されていた。回答者6247人のうち、「最近3ヶ月間にデパートで買い物した?」という質問では「はい」が60%、「いいえ」が40%だった。

日本百貨店協会が発表した、10月の百貨店売上高は20カ月連続で前年割れとなっていた。別に悪いのはデパートだけにはとどまらす、ユニクロや一部の安売り店を除けばほとんどがマイナスの連続だろう。

所得の減少、雇用不安、消費者の買い控えがはっきりしている。そこでデパートを見てみれば、今では百貨ではなく、取扱品目も減ってきている。電気製品やカメラなどは家電量販店のほうが当然強いから並べても勝ち目はない。

海外の一流有名ブランドは、デパートに進出しても店内の最もいい場所を指定してショップをオープンしてくる。ブランドの強さを感じさせる。まだまだ海外ブランドパワーは銀座、原宿など人通りの多い所に出店している。どこのデパートでも似たり寄ったりの商品が並べられ特徴もない。

ここには「デパートに望むのは?」という質問があった。そこでの上位には商品の質や品揃えがあり、その次には「買い物をするワクワク感、サービスの良さ」が挙がっていた。この辺をどれだけ強化できるかが今後のポイントだろうなぁ。(ブランドに場所を貸す不動産業になってしまったら悲しい)

高価なものが贅沢なのではなく、“好き”に囲まれた生活が贅沢・・・

2009年12月14日 | Weblog
「メトロポリターナ」2009.12月号より。

“ひとりもいい”(文:八坂裕子)というコラムのなかのワンフレーズだった。一般的には何でも値段の高いものが贅沢だと感じてしまうもの。だがそれが手に入らない人のほうが多い。それならむしろ、人に見せびらかすよりも、自分がいかに快適に過ごせるかを贅沢だと思ったほうが幸せ感がありそうだなと思った次第。

このコラムの前半ではシャンペンについて語られていた。そこでは、シャンペンは特別の日のための美酒で、味わえるチャンスは少ないというのが常識的な考え方だろうとあった。ならば、シャンペンを飲むことでどんな日も特別な日に変えられる、という考え方を提案していた。

八坂さんは面白いことをその例として挙げていた。仕事でミスをした日、恋が終わった日、元気が行方不明の日、もしこんなシチュエーションに置かれたらシャンパンの出番だという。シャンパンをお気軽に飲むための口実のようでもあるな。

さて、贅沢なひとり時間を過ごすには、好きなモノたちに囲まれているのがいいというが、それは意外に身近にあるお気に入りの椅子、クッション、スリッパなど、なんでもいいようだ。

はたして部屋を見渡してそんな愛着のあるモノはあるだろうか。せいぜい捨てられない本や使い慣れたノートパソコンだろうか。(でも、そんなものはとても贅沢とは思えてこないが・・・)

本は自分を映す鏡・・・

2009年12月13日 | Weblog
「朝日新聞」2009.12.6付けより。

“十代、こんな本に出会った”というタイトルのコラムのなかで、元プロテニス選手の杉山愛さんが語っていたなかのワンフレーズだった。この部分の表現がなんとなく新鮮に思えた次第。

この意味は、たとえば疲れている時なら、つい癒し系の本に手が伸びて、壁にぶち当たると「他の人はどうやって乗り越えたんだろう?」というような体験的ノウハウ本が読みたくなるという。振り返ってみれば、その時の自分の精神状態にあった本を手にすることはしばしばだ。

かつて杉山さんは、現役時代に自分のテニスを見失ってもがき苦しんだことがあったらしい。そんな時に読んだのが『イチローに学ぶ「天才」と言われる人間の共通点』で、自身の参考にもなったと語っている。

現役時代の彼女にとっては読書はリラックスするものの一つであったのだ。つまり勝負師から一人の人間に立ち戻るために読んでいたのだった。10代のころから今でも読んでいる本には『星の王子さま』があり、読むたび心がピュアになるという。

もちろんそれ(リラックスする方法)は人によって様々なものがあるもの。スポーツであり、旅行であり、創作活動、食事や会話、ショッピングかもしれない。なかでも、読書は一人でお手軽にどこでもできるものに違いないな。

くじはドラマの始まりでしかない。

2009年12月12日 | Weblog
「朝日新聞」2009.12.6付けより。

これはこの日の「天声人語」のなかで目にしたフレーズだった。メインは来年開催されるサッカーワールドカップ南アフリカ大会の組み合わせ抽選会について述べられていた。

まずは32チームが8組に分かれて戦うわけだが、その組み合わせから、熱心なサッカーファンはいろいろと予想し始めるらしい。当然ながら日本はどの組かが関心の的だ。結局オランダ、デンマーク、カメルーンと同じ組だった。

そこで、ここではそのくじの“気まぐれ”について’74年の西ドイツ大会を引き合いに出して書かれていた。西ドイツは初出場の東ドイツと当たり、当然西が勝つだろうと思われていたが、1-0で勝ったのは東だった。

しかし、負けて2位で勝ち上がった結果として、強豪のブラジル、オランダと当たらずに決勝戦まで進んで、優勝候補のオランダを下して頂点に立ったという。

甲子園での高校野球でも最初の組み合わせ抽選で、一喜一憂する姿はよく見られる。だから、組み合わせによっては、前評判の高い強豪校と決勝まで当たらず、初出場で初優勝ということもあった。

また、くじといえば、宝くじで億万長者になった人たちは、その瞬間から新たなドラマが始まるのかもしれないなぁ・・・。(それがいい場合も、人生が狂ってしまう場合もあるかも。)

インプットばかりでは、自分の力がわからない。

2009年12月11日 | Weblog
「朝日新聞」2009.12.6付けより。

(前日のつづき)
これも同じく木村政雄さんの言っていることだった。自身の経験から、インプットするのは大切なことだが、それだけでは決して仕事人としては伸びていかないという。

もし、本を読んだなら、そこから何を受け取って、自分の古くなった知識と入れ替え、どう活かしていくのかが問題らしい。まあ、エンターテイメント系の雑誌や本ならその時だけ楽しめればいいのだろうが、その他の書物で知識を得られたら(つまりインプットできたなら)、それを実際の仕事で活かしていけるかどうか。

そしてどうアウトプットできるかに、その人の力や個性が表れてくるようだ。繰り返しになってしまうが、つまり、得られた知識を自分のなかでしっかりと消化して、仕事にうまく活かせているかが問われているのだろう。

確かに、インプットした知識もアウトプットしようとすれば、それほどた易いことではない。頭では解ったつもりでもそれを表現しようとすると、それが実に不完全であるものだと気づく。ついついそれで自信を失ったり・・・

お笑いの世界のクリエイティビティーはトップクラス・・・

2009年12月10日 | Weblog
「朝日新聞」2009.12.6付けより。

“仕事力”というコラムのなかで、木村政雄さんが述べていたフレーズ。ちょっと意外なことだが、もともと木村さんは芸能界にも、お笑いにもそれほど興味がなかったと語っている。本当は新聞記者になりたかったようだ。

しかし吉本興業に入ってみて初めて、お笑いの世界のクリエイティビティーはトップクラスだと気づいたのだった。というのも、俳優には台本、役名、監督がいて、セリフがあった。歌手の多くには作詞家、作曲家、編曲家、ミキサーが周囲を固めている。

ところが、お笑いはすべて自分たちで肉付けをしなければならない。ほかの誰かとは全く違った芸風を確立せねばならない。つまり常に新しい創造性が求められる厳しい世界でもあった。チャンスは自らつかまなければならない。実力の世界だ。

にもかかわらず、お笑いの扱いは低かったのだ。そこで、木村さんはこの世界をもっとメジャーにして評価をえられるようにしたいと腹を決めたと述懐している。そして、現在ほどお笑い芸人が、テレビ番組に頻繁に出演していた時期はなかっただろう。

ほとんどテレビのどのチャンネルを回しても朝から深夜までお笑い芸人はたくさん出演している。旬のお笑い芸人は一時もてはやされるが、消えるのも早い。常に新鮮なネタを創造していくのは実に大変なことだろうな。

蛇足
今月6日には、M1グランプリの決勝進出者8組が決定した。そのうち6組は「よしもとクリエイティブ・エージェンシー」の所属だった。毎回吉本系のコンビが多く決勝戦に残っているな。もともとこのコンテスト自体がお笑いの総本山といわれる吉本興業の主催だから当然だろうが。

話の草稿はつくるが、それは骨子にとどめる。

2009年12月09日 | Weblog
「人を10分ひきつける話す力」齋藤孝著より。

これはあとがきの部分にあったフレーズだった。人前で話をするには当然ながらある程度の準備が必要だが、それは詳しく書きすぎるとそれに縛られてしまう。むしろ現場で話がふくらませるのがいいらしい。

ここには、この本のまとめのようなものが4つ書かれていた。今まで書いたことの繰り返しになるが、自分の確認のためにもそれらを簡単に抜粋してみたい。

1、話にどれだけ意味はあるのか。つまり「意味の含有率」が高いかどうか。
2、ライブ感が大事であること。その場の空気を感知して聞き手の反応をよく読んで話すこと。
3、ネタの豊富さ。その場で聞き手にもっとも相応しいテーマや具体的なエピソードを話すには、ネタを多く持っていなければならない。
4、身体性を考える。聞き手に対する声の張り、トーン、身体全体の動きで「自分はこんな人間だ」ということを分かってもらうこと。

あとは、それらを意識して練習することかもしれないな。

記憶の生け簀・・・

2009年12月08日 | Weblog
「人を10分ひきつける話す力」齋藤孝著より。

「話す力」のトレーニングのためには、抽象的なことを自分の言葉で言い換える練習をするのがいいという。そして、抽象的、難解な言葉を自分の言葉で表現するには、具体例が挙げられるかどうかにかかっていたのだ。

そのためには、頭の中に豊富な具体例のネタを持っているほど有利になる。齋藤氏はそれを「記憶の生け簀」と表現していた。ちょっとおもしろい。その生け簀のなかにはいろいろな魚(=具体例)がいて、そこから網で目当ての魚をすくうというイメージだそうだ。

ということは、ふだんからたくさんの情報に触れ、読書などによって、知識を蓄えておかねばならない。まあ一度読んだだけでそう簡単に記憶に残るとは思えないが。とにかく自分の言葉で説明できなければダメなのだろう。

筆者は、ある抽象的な表現について、「これはどういうことか」を子どもにわかるように説明ができるかどうかだともいう。もし、それができるなら、自分がちゃんと理解できて話がうまいはずらしい。まずは、「記憶の生け簀」に魚をためておくことかなぁ・・・

独りよがりな話とは、たとえばホームビデオのようなもの・・・

2009年12月07日 | Weblog
「人を10分ひきつける話す力」齋藤孝著より。

他人の結婚式や子どもが映ったビデオを本当に面白く見られるのは、それを撮った本人か撮られた本人たちだけだろう。見せられているほうは、かなり笑えるなどのオモシロ映像でなければすぐに飽きてしまう。それが5分も続けば苦痛になってしまうに違いない。

要するに共感できなければ、映像も話も意味はないということだろう。話す相手に共感を呼ぶようなネタを選んで話しているだろうか、と考えることも必要なのだ。

またおもしろい話には聞き手に新しい発見や気づきがあるかということもポイントのようだ。今まで知らなかった知識を教えられるとやはりオトク感があるもの。

単なるマスコミからの情報だけでは新鮮さも発見もない。むしろ書物からの知識などのほうが新鮮に感じられたりもする。雑学や蘊蓄プラス自分の意見が必要かも。

独りよがりではなく相手の共感を得るためには、やはりふだんからたくさんのネタを持つよう努力していなければならないのだろうなぁ。もちろんその場の空気を読むのは当然だろうが。

「意味の含有率」という感覚・・・

2009年12月06日 | Weblog
「人を10分ひきつける話す力」齋藤孝著より。

今年もう一度同じ本を読み返してみると今度はまた別の個所が気になったので、取り上げてみたい。下記は昨年の11月に読んだ時に取り上げたちょっと気になったフレーズ。

1、話す力をみれば、その人間のポテンシャルがわかってしまう。
2、平凡な話しかできないのは、その人自身が平凡だから、というだけではない。
3、人間には問題を出されると、つい答えてしまうという習性がある。
4、もっとも基本的な「話す」という行為について、教育もされていないし、評価もされていない・・・
5、受けるネタとは、話にきちんとオチがあるものだ。
6、話だけで勝負するのではなく、関連した物を持参して見せると効果は大きい。
7、平凡がいちばんリスクが大きい。
8、発言するときは、会議を「リング」だととらえなくてはいけない。

筆者は「言っている話にそもそも意味はあるのか」というポイントから考えることが大事だと述べている。いい話には「意味の含有率」が高いということになる。

この「意味の含有率」感覚を高める第一歩は、自己チェック機能を持つことだった。つまり、自分の話していることに意味がないんじゃないかという不安を持つことだそうだ。

話し慣れてくると確かにうまい人はいるが、それが本当に意味があるのかどうかはまた別のことでもあったのだ。上記の2番と7番に関連していそうだが。

たかが21日、されど21日。

2009年12月05日 | Weblog
「百式」2009-12-02より。

この日の記事にこんなのがあった。「習慣化のためにとにかく21日間続けよう!」というタイトルになっていた。要するに始めたことが3週間継続できるかどうかだった。継続は力なり、とは言い古されたことばだが、それを実際3週間以上実行するとなると難しい。いままで3日坊主であきらめたことのほうがはるかに多いことを思い出す。

朝のジョッギング、腹筋、ダンベル体操、とくに運動系がダメだ。ついつい単調で面白くないからいろいろな理由をつけて辞めてしまう。Habit Forgeというサイトでは、「21日間、何かを続ける」ことを支援するだけのシンプルなツールとなっているそうだ。

このサイトに続けたいことを登録すれば、毎日メールが送られてきて、やったかどうかをイエス、ノーで答えるというものだった。21日続くまでに1日でも達成できない日があったら、カウントはゼロに戻ってしまう、という仕組みになっているというが、ここで、心配なのは、そのメール自体をちゃんと毎日(21日間)チェックし続けることができるかどうかだな・・・・

タバコの値上がりが心配な人はとりあえず「禁煙」でやってみる・・・?21日間、なにかを続けることを支援するシンプルツール。Habit Forge 
http://habitforge.com/

ここには私しかいないというすき間を手探りし、ユニークなセールスポイントを作っていく・・・

2009年12月04日 | Weblog
「朝日新聞」2009.11.29付けより。

(前日のつづき)
ここには島田紳助さんの駆け出しのころの例があった。彼は縦軸横軸を用いた綿密なチャートを作っていたという。そこには先輩芸人の年齢、芸風、ネタのジャンル、一人ひとりの強み弱みを鋭く観察して書き込んであったのだ。

それによって、自分はどこのポジションにいて、どこに立てば他の芸人とかぶらないかを見出してきたという。木村さんは、これは芸能の世界だけでなく仕事をするすべての人に当てはまると考えている。

自分だけのポジションを見出して、それが他人にとっては魅力的なものであることが必要だという。世阿弥はそれを「離見」と呼んだそうだ。その意味は、自分が持っている個性の中から、人を引き付ける要素を客観的に見つめることだった。

芸能界にかかわらず、人から長く認められるような仕事をし続けている人には、きっとこのような、魅力的な個性があるのだろうな。常に客観的に自己を見られるかどうか、それは難しそうだが、大切そうなことにも思えてくる。

成人になるころには収まりのいい規格品になってしまう。

2009年12月03日 | Weblog
「朝日新聞」2009.11.29付けより。

“朝日求人”の「仕事力」という連載コラムのなかで、元吉本興業常務の木村政雄さんが述べていたフレーズだった。人は自分だけは異なっていると考えていても、実際は意外にもそうではないようだ。

多くの人は大人になるにつれて、いろいろな規制によって収まりのいい規格品になってしまうらしい。しかし、幼い子どものころは元気で自分の個性を生きているが、学校に行くようになると校則で縛られる。

その後もいろいろと制約されて長い時間をかけて知らずのうちに規格品のようになってしまう。もし肩書がついたりすれば、その範囲での仕事しか発想できなくなってしまうようだ。これは実にかなしいことでもあるな。

木村氏は、そこに自分個人として加えることはないか、掘り下げる努力をしたらどうだろうか、と提案している。これは芸人だけでなく一般に仕事をする人に向けた言葉でもある。

もし、それが芸能界だったら同じような個性の人間はまったく必要とされないということになる。やはり吉本興業で33年間にわたって人づくりにかかわってきたからこそ、実感することなのだろうな。

「組み合わせ力」で伝える、家族のためのギフト・・・

2009年12月02日 | Weblog
「メトロミニッツ」2009.12月号より。

ここでのタイトルは「家族のための、組み合わせ主義の贈り物」であった。もちろん家族以外でも使えるものだが。ちょうど贈り物が活発になるシーズンに突入したのではないだろうか。

ただ単に既成品を単品で贈るのではなく、ある程度の予算に合わせて組み合わせて贈るという提案だった。例えば、お母さんへの手荒れ対応ギフトというものでは、ちょっとしゃれたハンドソープ、ハンドクリーム、それにコットンの手袋の組み合わせというふうになっている。これで4,000円弱といったところだ。

また、子供のクリスマス会に持たせたいプチ・ステーショナリー、としては、消しゴム(乗り物や食べ物などいろいろな楽しい形のものを組み合わせて)と、かわいいボールペンなどの組み合わせ。これは数量によって価格はいくらでも作ることができる。

また、変わったところでは、風呂でゆっくり夜空を眺めてもらいたい父へという設定で、バスピローとバスプラネタリウムの組み合わせがあった。風呂や部屋でもお手軽に星空が眺められるようだ。合計でも5500円以内だ。

これらは贈る人のセンス次第だろうな。努力すれば選ぶ側も楽しそうだし、それなりに喜んでもらえそうだな。今後は親しい人には、金額の大小よりもむしろ「組合わせ力」を考えてみようかなと思ったり・・・。