ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

チームワークというのは「掛け算」で、・・・

2007年11月15日 | Weblog
「クーポンランドアミューズメント」2007.11月号。

たまたま入った喫茶店に置いてあったフリーペーパーをめくっていたら目についたフレーズ。言っていたのは坂口憲二さんだった。先月からスタートした新ドラマ『医龍2』で、主役の天才外科医を再び演じている。続編が作られるドラマは限られているからラッキーな役者だともいえそうだ。

彼がチームワークが掛け算だと考えるのは、誰か一人がゼロだと他のメンバーがいくらいい演技をしても全てゼロになってしまうと考えたからだった。とくに手術シーンでのチームワークは大事なのだろう。そのためリハーサルも何回も重ねているようだ。

よくテレビではNGという言葉が用いられる。一発でOKとなればいいだろうが、いつもそうとは限らない。そして、演技では一人でもセリフや動作を間違えれば、撮り直しとなってしまう。そんなNG集だけで番組ができてしうまうというのもある。

たまに、そんな特集番組を目にすることはあるが、シリアスなシーンでセリフを間違えてそのあとで笑い声などが聞こえるとちょっとがっかりする。ドラマでは真剣なのに現場では軽い感じだったりするのだろうか。まあ、てれ隠しだろうが。

大学の一部の運動部員の不祥事から連帯責任をとらされたり、高校野球などでも過度のしごきによるケガが明るみに出てリーグ戦の出場辞退などという記事はしばしば目にする。せっかくそれまで練習、努力してきたのに、ほとんどムダになってしまうのは、やはりこのゼロによる掛け算にもに似ているかな・・・


インターネットの威力を実感・・・

2007年11月14日 | Weblog
今年春の朝日新聞コラムより。

子供のころよく(授業中などに)指に輪ゴムをひっかけて銃のようにして飛ばして遊んだものだった。また雑誌の付録などには輪ゴムを飛ばすための厚紙の組み立て式の銃がついていた。実に無邪気に組み立てて楽しんでいたもの。

新聞記事にあった中村さんは自身で作ったホームページをユニークなものにしようと、「日本ゴム銃射撃協会」としたのだ。それは実にもっともらしい仮想世界だった。

ところが、会員になりたいという人が次々と現れ、仮想のつもりが本物の協会になってしまったのだ。会則を決め競技会も開いている。しかも1300人以上の会員(今年3月現在)がいるという。インターネットの威力はすごいものがある。

自分で自慢のゴム銃をつくって競技に参加するというのはけっこう面白いかもしれない。またそれだけ多くの人がゴム銃に関心があることにもちょっと驚き。この記事を見るまでそんな協会があることなど知らなかった。

ホームページのなかの「ガンロッカー」をのぞくと、そこではこだわりの手づくりのゴム銃をたっぷり見られる。写真だけ見ればまるで本物のピストルと勘違いしてしまいそうだ。身近なものに熱中できるって実にすばらしいこと!

日本ゴム銃射撃協会


クリスマスツリー(その後)・・・

2007年11月13日 | Weblog
先週(11/8)自宅のクリスマスツリーを切ったという日記を書いた。(その続き)

その後、切ったままで数日が過ぎ、やっと後片付けが終わった。天候も悪く、時間もとれなかったので約1週間もほったらかしにしていた。やはり庭に切ったままの5メートル以上もの木が横たわっているだけでうっとうしいもの。

枝をノコギリとナタで切り落とす作業をしたが、やはり幹を切るよりはるかに楽であった。切り終わると枝が山のようにできていた。今回ははじめからナタがあることで作業は楽に進められた。その大量の枝は束ねて燃えるゴミの日に出してしまうと気分もさっぱり。

残った幹を持ち上げようとしたら、ドシリと重たい。そこで、細い方から2メートルの部分で切ることにした。そして、それをちょうど今、枝もたわわに実っているユズの木の支えとした。昨年までは10個前後しかとれなかったユズが今年は思いのほか100個前後実っていたのだ。そのため木も重たそうだった。

切った幹の太い部分はまだ持ちあげるには重いので引きずり、とりあえず庭の片隅に置いておくことにした。いずれ何かの時に利用できるかもしれない。

また、切り落とした枝には素手でつかむと痛いほどギザギザの葉がたっぷりついていた。そこで、ノラ猫よけにちょうどいいと思って20センチ前後に切って、庭のあちこちにバラまいておくことにした。

最近またノラ猫が庭にやってくるようになって困っていたので、これは使えると思った次第。もしかしたら当分猫忌避剤を使わなくても済みそうな気もするが・・・


苦労のレベルが違う・・・

2007年11月12日 | Weblog
上記は先日、私の母の七回忌の法事の際、和尚さんの話の中のワンフレーズ。

「私たちはよく苦労をしたといっても、大したことはありません。しかしお母さん(私の母)の生きてきた時代は本当に苦労の連続だった。戦争の時代を過ごされたお母さんたちは生きるか死ぬかの苦労をしていた。戦後生まれの私どもが苦労といってもすでに食べるものも十分にあった。苦労といっても大したことはない」というようなことを話していた。

実際、和尚さんは私の母と話をしたことも何度かあり、戦争時代の苦労を書き綴った手記も読んでくれていたのだ。その手記は大学ノートに書かれたものだったが、私も読んだことがあり、約25年ほどまえに私がワープロに打ち込んで清書したことがあった。和尚さんの話を聞きながらそんなことを思い出していた。

そのノートを読みながら、意味がわからない部分や漢字なども聞きながらワープロの活字にしていった。そこには悲惨な戦争を通じて忘れられない苦労を残しておきたいという気持ちが表現されていた。手書きのノートも印刷文字にすると意外にコンパクトになったが、それでも数日間はかかった。

和尚さんは、このような法要は母たちが経験した本当の苦労を思い出すいい機会かもしれないと述べていた。やはり生きるか死ぬかの苦労のレベルは私たち戦後生まれの人間の苦労とはまったく異なるものだろう。親たちのした苦労を思い出すことはまた、平和のありがたみを改めて感じるいい機会かもしれない。

(和尚さん自身も私より4、5歳年上だから当然戦後生まれで、母との話からいろいろ経験していない苦労話を聞かされたのであろう。)


女性を見る目がなくて。

2007年11月11日 | Weblog
「ギャグ返し講座」浅井企画放送作家セミナー著より。

まずは、私個人の経験を述べてみたい。もう10年以上前のことになるが、仕事で知り合いの方に念願の子供が生まれたのだ。そして、そのお子さんを見せてもらったとき、私は確信をもって「男の子ですか?」と聞いたのだ。すると、即座に「女の子です」とその奥さんに言われてしまった。

私は心の中で(あっ、しまった!)と思ったがもう遅い。その奥さんはちょっとがっかりした様子だったので、私は「あ、そうですか、失礼しました」とあやまってその場を取り繕ったのだ。そして違う話へと移ってしまった。私の目には、その時はどうみても女の子には見えなかったんだがなぁ。

やはり子を産んだばかりの母親からすると女の子はかわいい、男の子はそうでもない、というのが暗黙の了解なのだろうか。後日、そのご主人から「○○さん(私のこと)に男の子と言われてちょっとムッとしてましたよ」と言われてしまった。

やはり、見たまま感じたままを“正直に”口に出してしまうのは時にはまずいことなんだと痛感。で、今後は赤ちゃんをみたらとりあえず「かわいいですね、女の子ですか?」といえば、たとえその子が男の子でも嫌な気分をさせないだろうと思った次第。

さて、もし「かわいらしいお坊ちゃんですね」と言ってしまったあとで「女の子です」と言われたらこんな答え方もあったのだ。「すみません、僕、女性を見る目がなくて」と。つまりギャグでかわしてしまうわけだ。そうすれば、意外に笑って済ませられるかもしれない・・・・


実力以上の結果でも・・・

2007年11月10日 | Weblog
(やや前日の関連みたいなもの)
しばしば、仕事でもこんなにうまく行っていいのかと思うくらいの時がある。そして、それはたまたま運がいいだけだったりするだけかもしれない。それを自分の実力だと勘違いすると大変なことにもなってしまう。

調子がいい時はそう長く続くわけでもない。もし営業だったら、それほどの努力をしなくても運がいいだけで予算を大幅に達成したりすることもあるだろう。それは実力ではなく偶然いい波に乗れただけだったかもしれない。

いったいどんな要因でうまくいったのかさえ思い出せないこともある。もしかしたら、たまたま約20年前のバブル経済のときのように、社会全体が浮かれていることもあるが、そのあとが大変なことになっている。

諺にもあるように「禍福はあざなえる縄のごとし」で、いいことも悪いこともそう長くは続かないのだろう。それはまた仕事以外の遊びの世界、とくにギャンブルなどでもいえそうだ。

たとえば、若いころよく麻雀をしたがツキに左右されることが多かった。大して考えもしないのに簡単にあがれて勝てる日もあった。また、いくら勝とうとしてもまったく勝てない時もあった。やはり本当の実力がないと波も大きいのだろう。(やはりギャンブルに深追いは禁物かも)

そういえば、今年メジャーデビューを果たした松坂投手も15勝していた。しかし完全に負け試合だったにもかかわらず、味方攻撃陣が大量得点をあげて勝ち投手になったことも3回はあっただろう。まだまだ本当の力を発揮するのは来年以降だろうか。期待したいもの。


楽しさも限度を超すと不安を感じる。

2007年11月09日 | Weblog
(やや昨日の続き)
クリスマスツリーの大きさも、その庭にあったほどほどの大きさならいい。しかし生きているこの木はいつまでも同じ高さでいてくれるわけではない。かなりの高さまで成長する。自分でイルミネーションが飾れなければその木はただの無用の長物にしか過ぎないと思った。切っても何の未練もなかった。

話はややそれるが・・・たとえば、宝くじが当たればいいと思いいろいろと楽しい夢を思い描くものだが、万が一、数億円が当たったならそれと同時に不安になるのではないだろうか。疑心暗鬼になってしまったり。今度はそれをどうやって守ろうとかそれまで考えなかったいろいろなことが頭をよぎるのではないだろうか。人生が狂ってしまうかもしれない。

幸せ感も同じものに思える。美人過ぎる女性と結婚したなら、またそれも不安の種かもしれない。実際、私の知り合いの歯科医の息子さんが25歳の時超美人と結婚したのだ。彼自身はIT関連の会社員だった。女性はテレビに出演しモデルの経験もある人だった。私は結婚式の写真を見ただけだが、驚くほどきれいだった。しかし、幸せな期間は一年ともたなかった。非は女性側にあったのだ。

なぜかそこで思い出したのは「神田川」(南こうせつとかぐや姫)という歌だった。そのなかの「~ただあなたの優しさが怖かった♪」というフレーズの部分だった。中年以降の人ならきっとこのヒットした懐メロを覚えていることだろう。優しさも度を超すとやはり不安になるものかもしれないな・・・

クリスマスツリーを切った。

2007年11月08日 | Weblog
今日はきわめて個人的な日記になってしまう。
街中ではちらほらとクリスマスイルミネーションが始まっている。この時期に切ってしまうのは、もったいないことだ、と思うかもしれない・・・

庭の片隅にあったクリスマスツリー(ドイツトウヒ)が大きくなりすぎたので、先日切ってしまった。たとえ木が一本でもなくなると視界が開け急に明るくなった感じもする。

この苗木を買ったのはもう18年ほど前だろうか。はじめは家の中でクリスマスのオーナーメントを飾り付けていたが、その当時はせいぜい90センチほどの高さだった。そして、翌年から地面に植えたらどんどんと成長していった。

そして毎年のように12月に入るとイルミネーションで飾って楽しんでいたものの、ついに数年前には二階の屋根にまで達するほどの高さになってしまた。とうとうイルミネーションを飾ることはできなくなってしまったのだ。

もうそうなると、ただの大木で無用の長物になってしまった。庭を狭くするだけなので、そのうち切ってしまわねばと思いまがらも2,3年がたってしまった。天気のいい休日に思い立って切ることにしたのだ。

はじめはノコギリで切りはじめたものの、なかなかびくともしない。中ほどの枝に紐をつけてお隣の家を直撃しないように気をつけながらノコギリをひいていたが意外に頑丈だった。そこで、ナタで削っていく方が早そうなので、途中でホームセンターに行きナタを購入して木に打ち付けはじめた。

やはりそのほうが早かった。かなりの力を入れて木の幹を削っていくと細くなっていくのが実感できた。そしてかなり細くなったところで紐に力を入れるとバリッという音とともに庭にドスンと倒れ落ちてくれた。

ほっとしたものの、ゴミとして出すためにそのあと横たわった枝を切らねばならない。それも一苦労だ。日が暮れたのでそれはまた後日にしようと思った次第。


「健康」「幸せ」というのは、他力本願では得られないもの。

2007年11月07日 | Weblog
「相鉄瓦版」2007.11月号より。

健康にしても幸せにしても、誰かにしてもらおうと漠然と期待していてもなかなか近づいてこないものだ。結婚すればすぐに幸せになれるとは考えられない。自分でなるという意識がないと難しそうだ。(時として、それでも無理なことはあるだろうが)

数年前よりデトックス(毒だし)がブームになっている。それは体の掃除のようなものだろう。体調不良のときは気持も前向きにならないことが多い。体の調子がいいときは心も軽く積極的になれる。よく病は気からともいわれるが、それもまた真なりだろう。気分次第で体調も悪くなることもある。

つまり体と心は常に連動している。話がそれてしまったかも。日々の生活でもからだの清掃はできるという。それには毎日、新鮮な果物や生野菜を食べることでビタミン、ミネラルがとれて間接的には解毒にもなるようだ。つまりデトックスができるということだ。

一方、心のデトックスというのもあった。人によっては口を開けばネガティブな発言やマイナスの意見しか言わない人もいる。そんな人と一緒にいるだけでもなんだか運が逃げてしまいそうな気もする。できればそんな人は遠ざけたいものだ。

時には日々のニュース記事でも怒り、悲しみ、不安などを感じることもある。必要以上に人を落ち込ませる情報はできるだけ無視したいもの。結局はある程度は自分でコントロールするしかないんだろうな。体も心の掃除も。

「そうじ力」を導入した独自の企業発展プログラム・・・

2007年11月06日 | Weblog
「相鉄瓦版」2007.11月号より。

たまたま前日ゴミについて触れたら、この最新号では“掃除”についての特集だった。掃除には力があるようだ。ここで書いていた舛田光洋さんの肩書は「そうじ力研究会」代表となっていた。実にユニークなものだ。

タイトルは“ビジネスに生かすそうじ力”だった。しかし、氏自身は長年掃除の仕事に携わってきたものの、会社は倒産し、プライベートでも人生のどん底を味わったという。そしてふさぎこんでいたら、友人が訪ねてきて部屋の大そうじをしようと提案したのだ。

そして、彼と一緒に掃除をする中で自然と「もう一度、やり直そう」と思えるまで力がわいてきたという。それまでは掃除の仕事はつまらないと不平不満の気持ちでやっていたのだが、友人は親身になって掃除をしてくれたのだ。

そして、氏はこの掃除と心の力を組み合わせた時に生まれる強力なパワーを「そうじ力」と名付けている。ゴミと同様に掃除も一生付き合っていかねばならない。それなら、積極的に取り組んだほうがいいかもしれない。

それにしても、掃除に力があるとはバカにできない。しかも、舛田さんの場合はそれで中小企業環境整備コンサルタントとして活躍できてしまうのだから。しかも掃除に関する著書は15冊もあった。恐るべし「そうじ力」!(今日はこのパソコンに向かう前に掃除機でちょっと掃除をしてみたが・・・)

http://www.heavenworld.co.jp/


人は一生ごみと切っても切れない道連れ・・・

2007年11月05日 | Weblog
「包む」幸田文著より。

まず、庭ゴミについて触れていた。木の葉、花びら、小枝、むしった雑草・・・これら植物のゴミがたまっていてもさほどきたない感じでも、見苦しいものではない、と述べていた。そういえば、こう言われる前まではそんなことも気に留めなかった。

実際、時どき庭ゴミをまとめて置いたりはしているが、急いで出してしまわねばと思うことはなかった。それは腐敗して悪臭を放つわけでもないからだろう。枯れ葉などはそのまま腐葉土となって土の栄養分として自然にかえってくれる。

ところが、人の生活にくっついて出る生ゴミなどは、早めに自分の目に入る場所から遠ざけたいと思うもの。とくに台所で水分を含んだものはゴミ箱に入っているだけでも嫌なものだ。かつて数年間だけはコンポスターなどをつかって肥料にしたことはあったが、いまではそのまま生ゴミとして指定日に出す方が楽になってしまった。

ゴミとは言っても当然はじめからゴミであったわけではない。何かの不要になった部分の集まりだろう。野菜や果物の皮や根っこや葉だったり。切ったばかりのときにはまだ決してきたないものではない。しかし、調理したり加工した食品などは腐敗するのは早い。そんな時にごみはきたないと感じるのだろう。

と、こんなことを書いている自分も、もうそろそろ粗大ごみになっているのかもしれない。ゴミと道連れか・・・、なんだかわかる気もするが・・・

蛇足

生ゴミなど燃やせるゴミといえば、地元の焼却場ではその熱を使って公共の室内温水プールの施設に利用している。私もたまにそのプールに行くことはあるが、ゴミももっといろいろと身近で有効利用できればいいんだがな~


切符を買うために並ぶ時間・・・

2007年11月04日 | Weblog
「R25」2007.11.1号より。

連載エッセイの「結論はまた来週」(高橋秀実)のなかで目にしたフレーズが気になった。というのも最近では駅で切符を買うことがほとんどなくなってしまったからだ。私は主に私鉄と都内の地下鉄を使うことが多い。

昨年まではパスネットがあれば大抵それを改札口に入れて済ませることがメインだったが、今年からはICカードのパスモに切り替えて使っている。クレジットカードと連動しているから、ますます駅で財布から現金を取り出すことがなくなってしまった。

しかも、JRも私鉄も改札でピッと触れるだけで通過できるから、切符を買う手間が省けて極めて便利になっている。多少改札は混んでいても比較的スイスイでいける。しかし、乗車した区間の運賃は忘れやすくなっているのも確かだ。

かつて、パスネット(関東の私鉄地下鉄共通カード)を使っていたころは、毎月のようにいろいろな絵柄デザインのカードを買う楽しみもあったが、今では一枚のICカードが何年でも使えるのでやや味気ない気もしている。

便利さの度合いが増えると味気なさも出てくるものかな~、と感じている次第。こんなことも、便利なデジタル文字が氾濫してくるに連れて、手書きの味わいが失われつつあるのともちょっと似ていそうだ・・・な。


日本語より英語ほうが理解できる言葉もある。

2007年11月03日 | Weblog
昨日(11月2日)、仕事で六本木(東京ミッドタウン近く)に出ていた。午後3時過ぎに空きの時間ができたので、そこから徒歩で5分ほどの所にある国立新美術館に行ってみた。平日にもかかわらず、美術館付近はかなりのにぎわいだった。それはこの日が初日の「日展」が開催されていたからもしれない。

同時開催で「フェルメールとオランダ風俗画展」もあったが、久しぶりに「日展」を鑑賞することにした。ゆったりとして明るい展覧会場で観る大作はどれも迫力を感じる。日本画、洋画、彫刻、工芸作品と順に見て回った。

途中、版画作品のコーナーでは歌手のジュディ・オングさんがきれいな着物姿でご自身の入選作品を前にしてお仲間の注文に応じて何枚も写真におさまっていた。

と、また前置きが長くなってしまった。ミッドタウンで「六本木アートトライアングル」というマップを手にした。すでに、説明も不要かと思うが、トライアングルの3つの美術館は国立新美術館、サントリー美術館、森美術館のこと。

そのパンフの表紙には“チケット半券であとろ割!”とあった。これはキャンペーンで、これらの美術館の半券で他の2館の入館料が割引になるというものだった。この相互割引が“あとろ割”なのだ。しかし、何の略か考えてもすぐにピンとこなかった。

しかし、英語でArt Triangle Roppongiとあったのでそれぞれの頭文字でATRoだと納得した次第。頭が硬くなっているのを痛感!キャンペーン期間は2008年3月31日までとなっているが、ずっと続ければいいのに・・・

蛇足

新国立美術館は巨大な波打つような巨大ガラス壁が目に入る実にユニークな建物。設計監理は黒川紀章・日本設計共同体。http://www.nact.jp


木は木立のうちの命と、材になってからの命と、二度の命をもつもの。

2007年11月02日 | Weblog
「木」幸田文著より。

普通なら、木は緑の葉をもって地面にしっかりと根を張って立っているものだけが生きていると思ってしまう。まして、材木が生きているとは考えていない。しかし、堂塔古建築にたずさわる高度の特殊技能をもつ棟梁たちからみれば、立木としての生命を終わったあとの“材”もまた生きていたのだ。

それについては次のように表現されていた。・・・法隆寺千二百年の昔の材に、ひと鉋(かんな)あてれば、いきいきとしたきめと光沢のある肌を現し、芳香をたてる。湿気を吸えばふくよかに、乾燥すればしかむ。これは生きている証ではないか。・・・と。

幸田さんは、棟梁からこのことを聞かされ、わかったような気もしたという。もちろん材を生かすことができるほどの腕前をもった専門家がいればこそのことでもあろうが。また寿命を使いつくして死んだ木というのもあるという。それはまた、別の貴さ、安らかさがあるという。同じものを見てもその道の専門家は実にいろいろな見方ができるものだ。

コンクリートのビルから出てアスファルトの道を歩く。そして鉄とコンクリートの駅舎に入り鉄の電車に乗ってまた駅舎をくぐる。今度は鉄のバスに乗る。そしてようやく木造の自宅に入るとなんだかほっとする。無言の木のぬくもりだろうか・・・

(この随筆集は13年間にわたって書かれたものだった。粘り強く木について取材し、15の話にまとめ上げている。また実に細やかに人の気持ちまでも表現されている。たまにはこんな随筆をじっくりと味わうのもいいものだ。)



自分が良かったと思うことは、広く人に伝えようとする。

2007年11月01日 | Weblog
「つきあい好きが道を開く」樋口廣太郎著より。

これは京セラ名誉会長の稲盛和夫さんの最大の特徴らしい。ある会社の社長が「あなたの会社の特許関係者は何人いますか」と聞かれて「22、3人」と答えた。すると稲盛氏は「かつてはうちにも同じくらいの人数の専門家がいたが、今は少なくて済んでいる。・・(中略)・・視点を広げて米国の特許事務所とも契約するといいですよ」と言ったのだ。

米国の特許事務所に仕事を頼んでみたら、対応が非常に早い上に、間違いも極めて少なかったというのが理由だったようだ。その結果社内の特許関係部門の人員を大幅に減らして、他に転用できるようになったので、その会社の社長にも「あなたの会社でも一つやってみたらどうでしょう」とアドバイスをしてくれたそうだ。

普通なら、自分のところが成功したことなど、聞かれもしないのに積極的に教える人はいない。稲盛氏はツキを自分だけのものにしないで、他人にも分け与えていたのだ。それだけ人間としての器の大きさがあるというエピソードでもあるだろう。

この本の筆者の樋口氏も稲盛氏に対しては、常に礼儀正しく、謙虚で、明るい性格だと述べている。かつて京都にJリーグのチームを作る際にも、稲盛氏が登場したら、すぐに話がまとまってしまったという。仲間づくりの達人でもあるらしい。やはり本当にリーダーとなるべくして生まれた人は、違うものを持っているとも感じさせる。