「歩くとなぜいいか?」大島清著より。
ウォーキングの基本について述べられていた。それは実にシンプルなもので、無理なく元気に歩き続けることだった。調子がいいと、ついつい長く歩きたくなってしまうものだ。
しかし、その後は足のどこかが痛くなったりしてしまう。それで中断したら、結局続けるということができなくなってしまう。やはり歳をとったらほどほどにした方がよさそうだ。
歩くこともやはり習慣づけないとだめなようだ。以前もやっていたのだが、再びグラフに黒丸で歩いた距離をつぶしていくようにしている。目標は一日一万歩以上としている。
今のところ、別に苦しいとは感じないでいられるのが幸いだ。筆者はどんなやり方でもウォーキングになるという。たとえば、散歩帰りに銭湯に寄ってくるのもありだった。また買い出しもウォーキングでもあるらしい。通勤途中にひと駅前で降りて職場に歩いていくのもそうだった。
私の場合、今まで通勤の際、最寄りのバス停からバスに乗っていたが、この数日間は時間が許す限り遠くのバス停または、徒歩で駅まで向かっている。まあ、いつまで続くかわからないが。
ウォーキングの基本について述べられていた。それは実にシンプルなもので、無理なく元気に歩き続けることだった。調子がいいと、ついつい長く歩きたくなってしまうものだ。
しかし、その後は足のどこかが痛くなったりしてしまう。それで中断したら、結局続けるということができなくなってしまう。やはり歳をとったらほどほどにした方がよさそうだ。
歩くこともやはり習慣づけないとだめなようだ。以前もやっていたのだが、再びグラフに黒丸で歩いた距離をつぶしていくようにしている。目標は一日一万歩以上としている。
今のところ、別に苦しいとは感じないでいられるのが幸いだ。筆者はどんなやり方でもウォーキングになるという。たとえば、散歩帰りに銭湯に寄ってくるのもありだった。また買い出しもウォーキングでもあるらしい。通勤途中にひと駅前で降りて職場に歩いていくのもそうだった。
私の場合、今まで通勤の際、最寄りのバス停からバスに乗っていたが、この数日間は時間が許す限り遠くのバス停または、徒歩で駅まで向かっている。まあ、いつまで続くかわからないが。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます