感動できる人は(心の)レンズの透明度が高い。
at 2005 02/28 21:29 編集
朝日新聞日曜版 2005.2.27の安藤宏基氏のことばより
では感動できない人はどうかといえば、レンズが曇っている人ということになる。それは具体的には世間の常識や当たり前といわれることにこだわっている人のことをさしている。
感動するためには“心を磨くこと”が大事だという。しかし、ここでちょっと立ち止まる必要がある。心を磨くなんていうとカッコイイ言葉で、なんとなくわかったような気になってしまう。でも、それって一体どういう意味なんだろうと、ふと考えてみた。そんな言葉(心を磨く)こそありふれているではないだろうか。
でもとにかく、どうやって心を磨くのかについて思いをめぐらしてみた。
それにはまず、“先入観といったものを取り払う”必要があるとも感じてくる。また、好奇心や探究心、興味を持ってみることも大切そうだ。さらには“本当にこれでいいのかという疑問符(?)をつけてみる習慣づけも心を磨くうえで役に立ちそうだ。
そんなことを考えると、ちょっとした気持ち一つで、もっといろいろなものに感動できるようになれそうな気もする。
その前にメガネのレンズでも磨くかな・・・
最後まで生き残るのは「強者」ではなく「適者」である。
at 2005 02/27 22:09 編集
「勝者の思考法」より
これはメジャーの野球界で活躍する長谷川滋利の生き方だ。松井やイチローなどの派手な活躍に比べるとかなり地味な活躍ぶりにみえる。
長谷川は先発投手としてメジャーでのスタートをきったものの、ローテーション入りはかなわず、中継ぎとしての道を模索したのだ。そして、見事にセットアッパーとして変身をとげ、自らの活躍する場をつくりあげている。
どうすれば生き残れるか、何をすればチームが自分を必要としてくれるか、そのために自分はどうあるべきか----をしっかりと考えた結果メジャーでの「適者」となれ活躍できている。(サラリーマンでもきっちり変化に対応できる人間は強い。)
昔から言われた言葉に「郷に入っては郷に従え」というのがあるが、それを本当に実行に移すことは並大抵ではないはず。でもやはり「適者」になれるっていうことは、それだけ「強者」でもあるっていうことに違いない。
焼き鳥屋は三軒あると成功する。
at 2005 02/26 11:02 編集
「勝者の思考法」二宮清純著より
結局一軒だけぽつんとあっても宣伝力が弱く集客力も乏しいものになってしまう。ところが三軒あればそれぞれが存在をアピールすることで宣伝力も増してくる。お客にとって「焼き鳥屋」が一つの選択肢となる。
三軒が競争することで、個性もアピールできる。焼き鳥屋は一つの例だ。ここでは野球のことを述べていた。日本のプロ野球は低迷している。そこで、一つや二つの人気チームがあったところで全体が盛り上がるわけではない。選択肢として野球を選んでもらうためには、やはり協調に基づいた競争が必要になってくる。
その意味で、日本人選手のメジャーへの挑戦、プロ野球の新規参入球団や四国の独立リーグ発足、萩本氏の率いるノンプロ球団の設立なども野球界に目を向けてくれるいいチャンスに思える。
関係ありませんがプロ野球にも鳥をニックネームにもつ球団が3つになりましたね。スワローズ、ホークス、ゴールデンイーグルスと。
知的生産活動はまずメモから始まる。
at 2005 02/24 06:41 編集
ウェブサイトの「百式」(2005.2.20)より
海外のビジネスを紹介しているが、この日は指輪にペンがついているものを紹介していた。
外で何か思いついたときや思い出したときにペンとメモ用紙がすぐに出てこないときがある。そんなときに指輪にペンがついていたら便利だろうと作られたようだ。
しかし、見栄えはよくないし、なんとなく凶器のようにも思える。身に着けられてファッショナブルで使いやすいペンはないものだろうか。今後のビジネスのヒントにもなりそうだが。
それはそうと、いくらモバイルだ、パソコンだといってもやはり知的生産活動の原点はメモる、というかなりアナログなところからスタートしているようだ。
たとえばラーメン屋でグッドアイデアや企画案がひらめいたときなど、ケータイをごそごそ取り出してメモるよりそこにある箸袋にサッとメモしたほうが早そうだ。そのほうがラーメンがのびなくていいかもしれない・・・
「ゲームにおける勝者」は、必ずしも「人生の勝者」ではない。
at 2005 02/23 22:41 編集
「勝者の思考法」二宮清純著より
作者がスポーツコメンテイターであることを考えれば、ゲームとはこの場合スポーツの試合のことを意味している。つまり、それら(ゲームと人生)はまったく別物である。
しかし、それはもっと広い範囲のものまでも考えられる。たとえば、高い偏差値で有名な大学に入る、または会社で優秀な成績をあげることなどは「ゲームの勝者」と同類だという。
それらは一時的なもので、人生そのものではない。これを勘違いする人が多そうだ。
もし、幸せということを考えれば、財産があって、立身出世がかなっても必ずしもその人が幸せであるとは限らない。
人生においては、勝ち負けはその人の価値感によって異なるものだ。たとえ、現在低迷していようとも、まだまだ結論を出すのは早いかもしれない。実は日々なにかに向かって地道な努力していることのなかに幸せの芽があるのではないだろうか。な~んてちょっと生意気なこと考えてしまった・・・
お気軽図書館読書記録。
at 2005 02/22 09:13 編集
これは今思いついたこと。地元の図書館では昨年末から、本を借りた際にレシートのようなものを渡されるようになった。
まるで、一般お店で買い物をしたときに受け取るものとまったく同じようなもの。タイトルは[返却のお知らせ]と印刷されていてその日の発行日時、利用者番号、借りた本のタイトルがすべてが印刷されている。そして返却期限日も当然ある。
いままでは返すときになると一体どんな本を何冊借りていたっけ、などと思うことがしばしばだった。ところがこれさえ壁にでも貼っておけば迷うことはない。
しかもありがたいことには、これをそのままノートに貼っておけば、いつごろどんな本を借りたか(しっかり読んだかどうかは別問題だが)が記録として残る。いま、私の大学ノートにはベタベタと4枚ほどのその図書館レシートが貼ってある。
これでお気軽に図書館読書記録の出来上がり。でも読んだ内容はほとんど忘れてますが・・・
人生最大の「食べる楽しみ」
at 2005 02/21 21:17 編集
「歯医者さん雑学ノート」武田浩、実方藤男著より
この本の中には患者の疑問、歯科医の本音がつまっている。
べつに現在虫歯で歯医者さんに通っているわけではないが、歯が悪ければ本来美味しいはずのものも味を感じなくなってしまう。また、かめなくなると食べられるものも減っていってしまうし、味覚の働きも低下するらしい。
健康であるにはしっかりと食事ができなくてはいけない。その食事も歯がしっかりとしてなければきっちりと噛めない。こう考えると、ふだん何気なく美味しく味わえることはありがたいことだと思えてくる。
一日中仕事で忙しいときなど、気を抜けるのは食事や喫茶のときだけになってしまうこともある。やはり、食べることは基本的で最大の楽しみのようだ。
でも一生歯医者さんのお世話にならない人は稀だろう。そんなときは、自分にとって納得がいく治療をしてくれる歯医者さんに出会えるかどうかだ。本当に相性があう歯医者さんに出会えたらしめたもの。
場合によっては、抜かずに治したい場合には初診料を無駄にしても他の歯医者さんをあたることも考えたほうがいいという。それも、よい歯医者さんを見つけるための投資と考えたら安いものに思えるか・・・
自分の言葉というのは、本人が現場やマーケットを自分の足で歩き、確信を持たないと出てこないもの。
at 2005 02/20 21:21 編集
朝日新聞2005.2月20日日曜版 安藤宏基氏のことばより。
人を説得するには、単に形式だけ整った数字やデータを並べただけでは十分ではない。また、在り来りの言葉や市場の常識も意味はないという。ちょっとした思い付きのようなものは人から見ればすぐに見破られてしまう。
結局必要なのは現場で目を凝らして見えてきたもので、それが実感や確信に満ちた言葉になってくる。
果たして私たちが日常しゃべっていることは、自分のオリジナルな意見だろうか。人の受け売りになっていないだろうか。自分の言葉を持つことはそうたやすいことではなさそうだ。そんなことを反省させられる。
「モナ・リザ」と「能面」との、あまりに通底した類似点・・・
at 2005 02/19 08:42 編集
「モナ・リザ」ミステリー 北川健次著より
この本のサブタイトルには“名画の謎を追う”とある。別に推理小説でもないが、読み進むうちに作者と一緒に日本各地や海外にまでその謎を追う旅をしているような気持ちになってきてしまう。
能面もモナ・リザもわずかに微笑んでいるように見える。その表情は見る側の心情をまるで鏡に映すかのようでもあるといっている。両者の共通点は共に眉毛がない点もあげられている。そこには現実を超越した世界があるようにも思えてくる。
モナ・リザには実に多くの謎があることに気づかせられる。そして作者が試みるさまざまな仮説と研究そしてそれを確認するための旅は小説以上に興味深い。
人類最大の知的怪物と呼ばれたダ・ヴィンチの残した絵画は永遠に微笑をたたえていくと同時に謎も永遠だってこともわかってくる。
漱石は「(ダ・ヴィンチ以外は)この謎を解きえたものは一人もいない」と小説のなかでも書いている。物事をただなんとなく眺めているだけの人間(自分)には一枚の名画にさまざまな謎があるっていうこと自体にも気づかないか・・・反省。
知価ブランドがこれからの時代を象徴するブランドになる。
at 2005 02/18 22:57 編集
THE21 2005.3月号より
堺屋太一氏によると、ブランドにはそもそも3種類あるという。
第一は伝統ブランド・・・昔から伝わっている特殊な技術を用いて作られた優れた商品。たとえば、西陣織、伊万里焼、ゾーリンゲンの刃物など。
第二は大量生産ブランド・・・ソニー、トヨタ、コカコーラなどの商品。この商品ならよく知っているから間違いないだろうと消費者が思うようなもの。
第三は知価ブランド・・・堺屋氏が名づけたもので、意思決定コストを高くして、その代わり一回買ったら一生忘れない、という主観価値を提供するブランド。たとえば、ルイ・ヴィトン、エルメスなどで特定の顧客層だけを深耕して行くスタンスを採っているブランド。ディズニーランドやユニバーサルスタジオなども入るらしい。
今後はこの知価ブランドがメインになるだろうというのが、堺屋氏の見方だ。しかも、これからは団塊の世代が(これも同氏の造語)60代に入っていくのでそこをターゲットとした新しい知価ブランドの創造がポイントだとも言っている。
つまり巨大ビジネスのヒントがそこにあるらしい。でも、なんだか漠然としていそうな気もする。なかにはきっちりとそれを捉える人もいるんでしょうね。
勝負事は柔道時代にさんざんやったから、興味ないんです。
at 2005 02/17 21:21 編集
THE21 2005 3月号 小川直也のことばより
いまや存在感のあるプロレスラーの一人となった彼にしては意外なことばだった。
総合格闘技での優勝や勝負にこだわっているというわけでもないらしい。こだわっていたのはプロレスを潰さないために戦っていくことだという。昨年の大晦日にもそうとうな額でオファーがあったが、プロレス界のためにならないからと出場を断っていた。
ギャラの額で出るならば、“その他大勢になってしまう”という。小川が主催する「ハッスル」では基本はプロレスであっても、一つのエンターテイメント・ブランドとしてみてほしいと言っている。しかも、サブタイトルは「ファイティング・オペラ」。“ショーでありエンターテイメントである以上、当然レスラー一人ひとりも自己プロデュース&演出ができなきゃダメ”ともいう。目標はサーカスなのにサーカスとはいわない「アレグリア」らしい。
プライドやK1といった総合格闘技に押されぎみのプロレスは変革期に入っている。小川は「ハッスル」興行を通して古いスタイルを変えようとしている。
なんだかビジネスマンにも通じる、新しいタイプの教習のような気もするが・・・
腹がふくれ、栄養が満たされなければ文化も仕事もない。
at 2005 02/16 06:15 編集
朝日新聞2005年2月13日日曜版「朝日求人」安藤宏基氏のことばより
現在は日清食品の代表取締役社長で、この人の父は日本初のインスタントラーメンを作った人(安藤百福)だ。
この社長は研修で新管理職を無人島に連れて行ったことがあるという。そのとき持参した食料といえば少しの米とチキンラーメンだったそうだ。結局、全員が火をおこしたり魚をとることからはじめるのは大変な苦労を伴うということに初めてきがついたという。
寝ても覚めても食べることしか考えなくなってしまったらしい。研修のための本など開く気力もわくはずもない。
そこで、それまで自分たちが得てきた知識や経験が何一つ自分の命を守る役に立たないことに唖然とし、ショックだったたという。
たとえいくらカッコいいことをいっても、まずは食で腹が満たされなければなにも出てこないということを言いたかったのだろう。健康は食事からスタートして、あとはどうやってそれを維持していくかだ。そこそこの健康を維持できてはじめて文化だ仕事だスポーツだエンターテイメントだなんていえる。
いつも当たり前のように食べているが、そんなことがすべての原点のように思えてきたな。贅沢をいましめ、食べられることにあらためて感謝せねば。
声にならない憤りをいかに笑いとともに処理するか。
at 2005 02/15 09:37 編集
ホームページの「100式」2005.2.12より
このサイトでは毎日海外のビジネスを紹介している。
この日は「駐車マナーに違反しているドライバーの方に軽く忠告するためのステッカーを販売している。」会社を紹介していた。
そこには“I Park Like an Idiot.”と印刷されている。つまり「私はあほみたいな駐車をしてました」と書いてあるわけで、それをみてドライバーが反省して欲しいというものだ。
べつに車に限らず自分がちょっと嫌な思いをしたときに相手にどう注意を促すかはむずかしい。
そんな時に上記のフレーズ通りにうまく処理できたらいいのだが・・・
怒りと笑いを同時に処理するっていうところがポイントになっている。似たようなことは組織の中では時々見られる。なにかミスを犯した人に対して真面目にこっぴどく叱るのではなく、少し笑顔を見せながら注意を促すというもの。
でも、その言葉の強弱が問題になるだろう。軽すぎてもいけないし。それはともかくとして、怒りをユーモアのオブラートで包んで表現するっていうのはかなり努力がいりそうなことは確かだな。
とにかく、フレーズでも触れたように憤りとユーモアを交えたところに商売のネタを見つけたというのもすごいと思える。
at 2005 02/28 21:29 編集
朝日新聞日曜版 2005.2.27の安藤宏基氏のことばより
では感動できない人はどうかといえば、レンズが曇っている人ということになる。それは具体的には世間の常識や当たり前といわれることにこだわっている人のことをさしている。
感動するためには“心を磨くこと”が大事だという。しかし、ここでちょっと立ち止まる必要がある。心を磨くなんていうとカッコイイ言葉で、なんとなくわかったような気になってしまう。でも、それって一体どういう意味なんだろうと、ふと考えてみた。そんな言葉(心を磨く)こそありふれているではないだろうか。
でもとにかく、どうやって心を磨くのかについて思いをめぐらしてみた。
それにはまず、“先入観といったものを取り払う”必要があるとも感じてくる。また、好奇心や探究心、興味を持ってみることも大切そうだ。さらには“本当にこれでいいのかという疑問符(?)をつけてみる習慣づけも心を磨くうえで役に立ちそうだ。
そんなことを考えると、ちょっとした気持ち一つで、もっといろいろなものに感動できるようになれそうな気もする。
その前にメガネのレンズでも磨くかな・・・
最後まで生き残るのは「強者」ではなく「適者」である。
at 2005 02/27 22:09 編集
「勝者の思考法」より
これはメジャーの野球界で活躍する長谷川滋利の生き方だ。松井やイチローなどの派手な活躍に比べるとかなり地味な活躍ぶりにみえる。
長谷川は先発投手としてメジャーでのスタートをきったものの、ローテーション入りはかなわず、中継ぎとしての道を模索したのだ。そして、見事にセットアッパーとして変身をとげ、自らの活躍する場をつくりあげている。
どうすれば生き残れるか、何をすればチームが自分を必要としてくれるか、そのために自分はどうあるべきか----をしっかりと考えた結果メジャーでの「適者」となれ活躍できている。(サラリーマンでもきっちり変化に対応できる人間は強い。)
昔から言われた言葉に「郷に入っては郷に従え」というのがあるが、それを本当に実行に移すことは並大抵ではないはず。でもやはり「適者」になれるっていうことは、それだけ「強者」でもあるっていうことに違いない。
焼き鳥屋は三軒あると成功する。
at 2005 02/26 11:02 編集
「勝者の思考法」二宮清純著より
結局一軒だけぽつんとあっても宣伝力が弱く集客力も乏しいものになってしまう。ところが三軒あればそれぞれが存在をアピールすることで宣伝力も増してくる。お客にとって「焼き鳥屋」が一つの選択肢となる。
三軒が競争することで、個性もアピールできる。焼き鳥屋は一つの例だ。ここでは野球のことを述べていた。日本のプロ野球は低迷している。そこで、一つや二つの人気チームがあったところで全体が盛り上がるわけではない。選択肢として野球を選んでもらうためには、やはり協調に基づいた競争が必要になってくる。
その意味で、日本人選手のメジャーへの挑戦、プロ野球の新規参入球団や四国の独立リーグ発足、萩本氏の率いるノンプロ球団の設立なども野球界に目を向けてくれるいいチャンスに思える。
関係ありませんがプロ野球にも鳥をニックネームにもつ球団が3つになりましたね。スワローズ、ホークス、ゴールデンイーグルスと。
知的生産活動はまずメモから始まる。
at 2005 02/24 06:41 編集
ウェブサイトの「百式」(2005.2.20)より
海外のビジネスを紹介しているが、この日は指輪にペンがついているものを紹介していた。
外で何か思いついたときや思い出したときにペンとメモ用紙がすぐに出てこないときがある。そんなときに指輪にペンがついていたら便利だろうと作られたようだ。
しかし、見栄えはよくないし、なんとなく凶器のようにも思える。身に着けられてファッショナブルで使いやすいペンはないものだろうか。今後のビジネスのヒントにもなりそうだが。
それはそうと、いくらモバイルだ、パソコンだといってもやはり知的生産活動の原点はメモる、というかなりアナログなところからスタートしているようだ。
たとえばラーメン屋でグッドアイデアや企画案がひらめいたときなど、ケータイをごそごそ取り出してメモるよりそこにある箸袋にサッとメモしたほうが早そうだ。そのほうがラーメンがのびなくていいかもしれない・・・
「ゲームにおける勝者」は、必ずしも「人生の勝者」ではない。
at 2005 02/23 22:41 編集
「勝者の思考法」二宮清純著より
作者がスポーツコメンテイターであることを考えれば、ゲームとはこの場合スポーツの試合のことを意味している。つまり、それら(ゲームと人生)はまったく別物である。
しかし、それはもっと広い範囲のものまでも考えられる。たとえば、高い偏差値で有名な大学に入る、または会社で優秀な成績をあげることなどは「ゲームの勝者」と同類だという。
それらは一時的なもので、人生そのものではない。これを勘違いする人が多そうだ。
もし、幸せということを考えれば、財産があって、立身出世がかなっても必ずしもその人が幸せであるとは限らない。
人生においては、勝ち負けはその人の価値感によって異なるものだ。たとえ、現在低迷していようとも、まだまだ結論を出すのは早いかもしれない。実は日々なにかに向かって地道な努力していることのなかに幸せの芽があるのではないだろうか。な~んてちょっと生意気なこと考えてしまった・・・
お気軽図書館読書記録。
at 2005 02/22 09:13 編集
これは今思いついたこと。地元の図書館では昨年末から、本を借りた際にレシートのようなものを渡されるようになった。
まるで、一般お店で買い物をしたときに受け取るものとまったく同じようなもの。タイトルは[返却のお知らせ]と印刷されていてその日の発行日時、利用者番号、借りた本のタイトルがすべてが印刷されている。そして返却期限日も当然ある。
いままでは返すときになると一体どんな本を何冊借りていたっけ、などと思うことがしばしばだった。ところがこれさえ壁にでも貼っておけば迷うことはない。
しかもありがたいことには、これをそのままノートに貼っておけば、いつごろどんな本を借りたか(しっかり読んだかどうかは別問題だが)が記録として残る。いま、私の大学ノートにはベタベタと4枚ほどのその図書館レシートが貼ってある。
これでお気軽に図書館読書記録の出来上がり。でも読んだ内容はほとんど忘れてますが・・・
人生最大の「食べる楽しみ」
at 2005 02/21 21:17 編集
「歯医者さん雑学ノート」武田浩、実方藤男著より
この本の中には患者の疑問、歯科医の本音がつまっている。
べつに現在虫歯で歯医者さんに通っているわけではないが、歯が悪ければ本来美味しいはずのものも味を感じなくなってしまう。また、かめなくなると食べられるものも減っていってしまうし、味覚の働きも低下するらしい。
健康であるにはしっかりと食事ができなくてはいけない。その食事も歯がしっかりとしてなければきっちりと噛めない。こう考えると、ふだん何気なく美味しく味わえることはありがたいことだと思えてくる。
一日中仕事で忙しいときなど、気を抜けるのは食事や喫茶のときだけになってしまうこともある。やはり、食べることは基本的で最大の楽しみのようだ。
でも一生歯医者さんのお世話にならない人は稀だろう。そんなときは、自分にとって納得がいく治療をしてくれる歯医者さんに出会えるかどうかだ。本当に相性があう歯医者さんに出会えたらしめたもの。
場合によっては、抜かずに治したい場合には初診料を無駄にしても他の歯医者さんをあたることも考えたほうがいいという。それも、よい歯医者さんを見つけるための投資と考えたら安いものに思えるか・・・
自分の言葉というのは、本人が現場やマーケットを自分の足で歩き、確信を持たないと出てこないもの。
at 2005 02/20 21:21 編集
朝日新聞2005.2月20日日曜版 安藤宏基氏のことばより。
人を説得するには、単に形式だけ整った数字やデータを並べただけでは十分ではない。また、在り来りの言葉や市場の常識も意味はないという。ちょっとした思い付きのようなものは人から見ればすぐに見破られてしまう。
結局必要なのは現場で目を凝らして見えてきたもので、それが実感や確信に満ちた言葉になってくる。
果たして私たちが日常しゃべっていることは、自分のオリジナルな意見だろうか。人の受け売りになっていないだろうか。自分の言葉を持つことはそうたやすいことではなさそうだ。そんなことを反省させられる。
「モナ・リザ」と「能面」との、あまりに通底した類似点・・・
at 2005 02/19 08:42 編集
「モナ・リザ」ミステリー 北川健次著より
この本のサブタイトルには“名画の謎を追う”とある。別に推理小説でもないが、読み進むうちに作者と一緒に日本各地や海外にまでその謎を追う旅をしているような気持ちになってきてしまう。
能面もモナ・リザもわずかに微笑んでいるように見える。その表情は見る側の心情をまるで鏡に映すかのようでもあるといっている。両者の共通点は共に眉毛がない点もあげられている。そこには現実を超越した世界があるようにも思えてくる。
モナ・リザには実に多くの謎があることに気づかせられる。そして作者が試みるさまざまな仮説と研究そしてそれを確認するための旅は小説以上に興味深い。
人類最大の知的怪物と呼ばれたダ・ヴィンチの残した絵画は永遠に微笑をたたえていくと同時に謎も永遠だってこともわかってくる。
漱石は「(ダ・ヴィンチ以外は)この謎を解きえたものは一人もいない」と小説のなかでも書いている。物事をただなんとなく眺めているだけの人間(自分)には一枚の名画にさまざまな謎があるっていうこと自体にも気づかないか・・・反省。
知価ブランドがこれからの時代を象徴するブランドになる。
at 2005 02/18 22:57 編集
THE21 2005.3月号より
堺屋太一氏によると、ブランドにはそもそも3種類あるという。
第一は伝統ブランド・・・昔から伝わっている特殊な技術を用いて作られた優れた商品。たとえば、西陣織、伊万里焼、ゾーリンゲンの刃物など。
第二は大量生産ブランド・・・ソニー、トヨタ、コカコーラなどの商品。この商品ならよく知っているから間違いないだろうと消費者が思うようなもの。
第三は知価ブランド・・・堺屋氏が名づけたもので、意思決定コストを高くして、その代わり一回買ったら一生忘れない、という主観価値を提供するブランド。たとえば、ルイ・ヴィトン、エルメスなどで特定の顧客層だけを深耕して行くスタンスを採っているブランド。ディズニーランドやユニバーサルスタジオなども入るらしい。
今後はこの知価ブランドがメインになるだろうというのが、堺屋氏の見方だ。しかも、これからは団塊の世代が(これも同氏の造語)60代に入っていくのでそこをターゲットとした新しい知価ブランドの創造がポイントだとも言っている。
つまり巨大ビジネスのヒントがそこにあるらしい。でも、なんだか漠然としていそうな気もする。なかにはきっちりとそれを捉える人もいるんでしょうね。
勝負事は柔道時代にさんざんやったから、興味ないんです。
at 2005 02/17 21:21 編集
THE21 2005 3月号 小川直也のことばより
いまや存在感のあるプロレスラーの一人となった彼にしては意外なことばだった。
総合格闘技での優勝や勝負にこだわっているというわけでもないらしい。こだわっていたのはプロレスを潰さないために戦っていくことだという。昨年の大晦日にもそうとうな額でオファーがあったが、プロレス界のためにならないからと出場を断っていた。
ギャラの額で出るならば、“その他大勢になってしまう”という。小川が主催する「ハッスル」では基本はプロレスであっても、一つのエンターテイメント・ブランドとしてみてほしいと言っている。しかも、サブタイトルは「ファイティング・オペラ」。“ショーでありエンターテイメントである以上、当然レスラー一人ひとりも自己プロデュース&演出ができなきゃダメ”ともいう。目標はサーカスなのにサーカスとはいわない「アレグリア」らしい。
プライドやK1といった総合格闘技に押されぎみのプロレスは変革期に入っている。小川は「ハッスル」興行を通して古いスタイルを変えようとしている。
なんだかビジネスマンにも通じる、新しいタイプの教習のような気もするが・・・
腹がふくれ、栄養が満たされなければ文化も仕事もない。
at 2005 02/16 06:15 編集
朝日新聞2005年2月13日日曜版「朝日求人」安藤宏基氏のことばより
現在は日清食品の代表取締役社長で、この人の父は日本初のインスタントラーメンを作った人(安藤百福)だ。
この社長は研修で新管理職を無人島に連れて行ったことがあるという。そのとき持参した食料といえば少しの米とチキンラーメンだったそうだ。結局、全員が火をおこしたり魚をとることからはじめるのは大変な苦労を伴うということに初めてきがついたという。
寝ても覚めても食べることしか考えなくなってしまったらしい。研修のための本など開く気力もわくはずもない。
そこで、それまで自分たちが得てきた知識や経験が何一つ自分の命を守る役に立たないことに唖然とし、ショックだったたという。
たとえいくらカッコいいことをいっても、まずは食で腹が満たされなければなにも出てこないということを言いたかったのだろう。健康は食事からスタートして、あとはどうやってそれを維持していくかだ。そこそこの健康を維持できてはじめて文化だ仕事だスポーツだエンターテイメントだなんていえる。
いつも当たり前のように食べているが、そんなことがすべての原点のように思えてきたな。贅沢をいましめ、食べられることにあらためて感謝せねば。
声にならない憤りをいかに笑いとともに処理するか。
at 2005 02/15 09:37 編集
ホームページの「100式」2005.2.12より
このサイトでは毎日海外のビジネスを紹介している。
この日は「駐車マナーに違反しているドライバーの方に軽く忠告するためのステッカーを販売している。」会社を紹介していた。
そこには“I Park Like an Idiot.”と印刷されている。つまり「私はあほみたいな駐車をしてました」と書いてあるわけで、それをみてドライバーが反省して欲しいというものだ。
べつに車に限らず自分がちょっと嫌な思いをしたときに相手にどう注意を促すかはむずかしい。
そんな時に上記のフレーズ通りにうまく処理できたらいいのだが・・・
怒りと笑いを同時に処理するっていうところがポイントになっている。似たようなことは組織の中では時々見られる。なにかミスを犯した人に対して真面目にこっぴどく叱るのではなく、少し笑顔を見せながら注意を促すというもの。
でも、その言葉の強弱が問題になるだろう。軽すぎてもいけないし。それはともかくとして、怒りをユーモアのオブラートで包んで表現するっていうのはかなり努力がいりそうなことは確かだな。
とにかく、フレーズでも触れたように憤りとユーモアを交えたところに商売のネタを見つけたというのもすごいと思える。
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