ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

過去の日記。2005.5-2

2007年07月24日 | Weblog
人間の下半身は、気力と体力を生み出す、いわば原動力のようなもの。
at 2005 05/14 13:24 編集

「上機嫌の作法」より

で、端的にその下半身を鍛えるにはスクワット(膝の屈伸運動)がいいらしい。

黒柳徹子さんはいつもエネルギッシュに仕事をしていますが、彼女のエネルギーを支える習慣は日課にしているスクワットだったのです。毎日30回から50回はしているという。

また、80歳を過ぎてもまだ元気で舞台をこなしている森光子さんもスクワットを日に70回しているそうです。

タダで出来るこんな単純なことこそ継続するのは難しそうだ。でも、それを継続しているからこそ、日常での推進力がわいてくるに違いない。つまり上機嫌な下半身ということだ。

私自身も時どき思いついたように数日間スクワットをやることはあるが、その間は確かに駅の階段や歩道橋を駆け上がっている。

よーし、と思って今朝、数週間ぶりにスクワットを80回やってみたら、足はもうガクガク・・・やはり普段からやらなければ・・・か。

単純なことを継続している黒柳さんや森さんのスゴさを身をもって“痛”感した次第。






「マツケンサンバ」には馬鹿馬鹿しいほどの上機嫌がある。
at 2005 05/13 21:24 編集

「上機嫌の作法」より

筆者は上機嫌の例として「マツケンサンバ」を取り上げている。さすがいいところに目をつけている。殿様がド派手な衣装で軽快なサンバを踊る。ノリのいいリズムだ。

昨年大ブレークして今もなおそれが引き続いている。でも、いきなりブームになったわけではなかった。松平健さんはもう10年も前から自身の公演でやり続けていたのだ。長年の創意工夫が凝らされていたからこそ、大ブレークにつながったともいえる。

ところで、似たようなものがあったのをふと、思い出しました。

一つは北野武監督、主演の映画、「座等市」のラストシーンで出演者全員がリズムよくタップダンスを踊っていたことだ。時代劇とダンスの組み合わせは意表をついて面白かった。

二つ目は徳島をはじめとする阿波踊りだ。踊るアホウに見るアホウ。おなじアホなら~~というやつだ。どうせ踊るならこんなふうに上機嫌でなければな。

また、上機嫌でなければ踊る気にもならないか。そんな雰囲気に浸っていたのはもうかなり昔のことになってしまった・・・





不機嫌に見えるという十字架を背負っている。
at 2005 05/12 06:21 編集

「上機嫌の作法」斉藤孝著より

いったいどういう人がそんな十字架を背負っているのかといえば、四十代以上、特に四十五歳を過ぎた男性は激しく不機嫌になるという。ちょっとドキッとしてしまう。

つまり中年といわれる年齢にさしかかった人たちは、実際には不機嫌ではなくても、ふつうにしているだけでもそう見えるらしい。気をつけねば。

早い話が体が硬くなって反応が鈍くなるから、笑いにくいからだになって「笑う」という当たり前の動作さえも自然に出来なくなるのだという。

その結果、人から見れば不機嫌にみえることになる。となると、意識的に上機嫌になるようにしなければならないのだ。体を柔らかくすることも必要になるか。それから微笑む訓練をしなけばならない。

対人関係で上機嫌ムードにする基本が書かれていた。1.目を見る。2.微笑む。3.頷く。4.相槌を打つ。

どれも当たり前のことだ。でも、中年男といわれる自分が常に出来ているかもう一度チェックしてみる必要もありそうだな。





チャーミングな実用性を持つ人。
at 2005 05/11 06:52 編集

「手紙を書きたくなったら」より

(状況としては、この著者(女性)が交際し始めた相手の青年に、あるときラップにくるんだおにぎりを差し出したときのこと。)

「このラップ、可燃性?」と訊いたらしい。そのときはじめて著者は燃やしていいラップがあることを知ったという。そしてゴミの分別に厳しい彼を素敵だと思ったのだ。

つまりそのことを“チャーミングな実用性”と表現している。ちょっと面白い表現なのでこの箇所だけが気になった。

でも、考えようによっては実に細かいことまで知っている男なんだな~とも思える。神経質なのでは、とも。がさつな私には考えられない。

でも、そういうところにも魅力を感じる女性がいるんですね。知らなかった。

今度自分もそんなチャーミングな実用性でも身につけてみるかな。おっと、もう遅いか。あと20年くらい早ければな~。







ちょうど80円分くらいの個人的内容。
at 2005 05/10 06:33 編集

「手紙を書きたくなったら」木下綾乃著より

そういえば、最近ケータイやパソコンのメールやHPの掲示板以外の本当の手紙を書いていないことに気づく。せいぜいハガキくらいは時どき出すが。

実用向きだけならデジタル文字のメールでも十分かもしれない。でも、やはり手紙にはデジタル文字とは全く違ったよさがある。その人のぬくもりが直に伝わってくる。何度も手にとって読み返せる。

80円切手を貼った手紙なら便箋にかなりの分量の内容を書ける。ハガキでは書けないような個人的内容もたっぷりと。相手に着くまでは時間がかかるが、やはりそれなりの価値があるようにも思える。

考えてみれば、メールは便利でお手軽だが、そうそう急いで伝えなくてもいい内容のものが多い。メールはあまり考えなくてもけっこうすらすら書いてしまう。まるでしゃべりことばに似ている。

しかし、直筆の手紙やハガキとなるとやはりちょっと考えてしまったりしますね。もう一度80円の価値を考えてみよう。





素敵な会話は素敵な質問から始まる。
at 2005 05/09 18:02 編集

今日(5.9)、百式というサイトで見かけたフレーズ。

「机の上にちょこんと置いておける、質問が書かれた『テーブル・トピックス』というカードを販売している。」
というアメリカのビジネスのお話し。

上記は原文ではどうなっているだろうと、ちょっとのぞいてみた。
すると、 Great questions to start great conversations.となっていた。

この人は「素敵な会話は素敵な質問から始まる」と訳している。
素敵な訳だ!と思った。すると、う~むなるほどっていう感じもしてくる。

さて、とにかく素敵な会話をするにはどんな質問をするかにかかっている。
べつに難しいことを考えることはない。こんなカードをテーブルの上に置いておけばいいらしい。誰にでも通用しそうな質問がカードには書かれている。

相手が考え込んでしまわない程度のものからスタートすればいいのかな、なんて思う。
お互いの話しが盛り上がるためには、やはりちょっといい質問を考えてみる必要がありそうだ。でも、考えすぎて時間を無駄に使わないようにしなければ。

ふだんから、こんな質問したらどう答えるだろうというようなことを細切れの時間に考えておくといいかもしれない。そうすれば、こんなカード買わなくてもすむか・・・









強いだけ、完璧なだけの人には近づきにくい。
at 2005 05/08 06:52 編集

これは私の思いつき。自分はどんなときに人に対して親しみを持てるのか、ということをふと考えてみた。

誰にでも欠点や弱みはあるもの。でも外からはわかりにくい。でも、それが見えたときになんとなく親しみを感じたりする。

私の同僚にほとんど自分の弱みを見せない人がいます。一見完璧に見えますが、そういう人に話しかける人はごく限れられた人です。

強そうに見えてもその人の弱点が見えたときには、ほっとしたりして嬉しくもなります。

私など生まれつき早とちりでおっちょこちょいが地にあります。そのためよく“あっ、いけね”というような失敗をやらかします。

そんなときは、へ、へ、へなんて笑いでごまかしていますが・・・なんとなく自己弁護のために書いてしまったかな。






秀さんは夢の世界に飛び込んだわけですから、本当に幸せ者です。
at 2005 05/07 12:33 編集

PRESIDENT2005.5.16号より

この前に「いつもお父さんは思いますが、」というセンテンスがある。

これは現在メジャーで活躍する松井選手にむけて父の昌雄氏が送った手紙のフレーズの一部だ。宛名はいつも“秀さんへ”ではじまり、昌雄で終わっている。

ふつうの親なら息子には“秀喜”と呼び捨てにして書き出すはず。父がさん付けで書くのは息子を独立した人格を持つ人間として遇しているからだという。

まあ、これも松井選手がそれだけすごい立派な人物だという証拠かも知れない。

松井選手は遠征の時にはノートパソコンを持って出る。そして深夜ホテルでメールチェックをしている。今まで親子で数百通のメールのやりとりをしている。

松井選手にとっての夢は大リーグでプレーすることだったのだ。それを実現しているのだからさすがだ。その他多くの日本人メジャーリーガーもいま夢を実現してプレーしてるんですね。今年も彼らの活躍に目が離せませんね。

それにしても父親から“秀さん”と呼ばれるのはすごいと思える。そう呼べるほどの息子をもった親も幸せ者といえるでしょうね。私のところなんか残念ながらとてもそんなふうには呼べないな~。






サービスはボディーブロー。
at 2005 05/06 08:52 編集

「あなたのサービスが伝説になる」中谷彰宏著より

著者はサービスを匂いにたとえている。結局、“あるかなきか”が大切ということになる。

よく電車やバスに乗ると香水の匂いがきつい女性が近くにいるときがある。私など思わず鼻に刺激が加わってくしゃみが出てしまうときさえある。狭い車内では避けようがないときもある。やはりそのような人工的な香りはあるかなしかがちょうどいい。トイレの芳香剤も全く同じ。

サービスも、“これがサービスだ”とか“これでもかこれでもか”というような大げさなものは嬉しくも感じられない。サービスはほのかな匂いのように、じわじわとゆっくり効いてくるボディーブローでなけらばならないのだ。

ボクシングや格闘技ではたまたま一発のパンチで決まってしまうこともあるが、それはラッキーパンチというもの。勝負の世界ではいつもそれが通用するほど甘くはない。同様なことがサービスにもあてはまる。

サービスするなら、ほのかな匂いのするサービスを心がけたいもの。それは一見簡単そうなことだが、なかなか難しそうなことでもあるな。なにせ目に見えるものじゃないですからね。もう感覚の世界・・・センスの問題・・・






生きていくのに「夢」と「目標」は両方必要だ。
at 2005 05/05 16:31 編集

朝日新聞(5/4)生活面より

これは“仕事考”というコーナーでタリーズコーヒージャパン社長の松田公太さんが言っている言葉。

この人は採用試験のときに「あなたの夢と目標は何ですか」と質問するらしい。すると、多くの人は答えに詰まり、考え込んでしまうといいます。

やはり自分も同様だろうという気がする。それが即答できるような人はどれほどいるのだろうか、とも思える。

たしかに、どんなものでも夢は持っているだけでも心が満たされるかもしれない。そして、それに少しでも近づくために目標をクリアしていこうと思えば、日々の張り合いが出てきそうだ。

なんだかちょっと抽象的な表現になってしまった。で、この松田さんの夢と目標は何かといえば次のようなものだった。夢の一つは「食を通じて文化の架け橋になること」。目標は「タリーズを一千店舗に増やすこと」だという。

とにかく、このように具体的な夢と目標を設定してみることからはじめなければ・・・な。






「孤独」を自らを磨く技にする。
at 2005 05/04 08:14 編集

「使える!『徒然草』」より

大人でも子どもでも勉強といえば学校の授業を受けたり、塾にいくことだと思っているもの。しかし著者は習ったことをきっかけにして、一人で練習、掘り下げなどをする作業こそ本来の勉強だと言う。

同感である。武道を考えてみるとわかりやすい。道場ではなにをすればよいかを教わるだけで、あとは習ったことを一人で練習して身につける、ということになる。

習うことと練習して身につけることはしばしば混同しがちだ。

勉強に限らずスポーツの世界でも、超一流の人は「一人の時間」を有効に使って自らの技を磨いている。もちろん同僚や友人とのコミュニケーションも当然大切にしなければならないが。

原文では「まぎるる方なく、ただひとりあるのみこそよけれ。」(何の用事もなく、何にも心を煩わされることなく、一人でいるのが何よりも好ましいことである。)

わずか3ページだったが自分にとっては内容が濃い部分でもあったな。





その一点を変えればすべてが変わる地点を探す。
at 2005 05/03 08:03 編集

「使える!『徒然草』」より

原文には「改めて益なき事は、改めねをよしとするなり。」(改めてもそれほど利益がないのだったら、それは変えないほうがいい)というセンテンスがある。

とにかく何でも変えることだけにエネルギーを費やしてしまうと本来の実質的によくしようとすることがおろそかになりがち。これでは意味がなく、よかった点まで失う可能性が出てくる。

大枠を変えるのではなく、現有のものをうまく組み替えていくというアレンジの発想こそが必要だ、と著者は言っている。

一例があげられていた。米国のプロ・バスケットボールのNBAでは、スリーポイント・シュートをいうルールを設定することで観客を楽しませる工夫をした。一回のシュートで3点が入る。このようなささやかなルール変更でゲームの面白さが増したのだ。

ささやかな一点を変えることで、全体に変化をもたらす。これはさまざまなものに応用できる技だろう。






真に大事なことはタイミングなど選ばずにやることが大切だ。
at 2005 05/02 06:07 編集

「使える!『徒然草』」斉藤孝著より
兼好の言葉では「必ず果たし遂げんと思わん事は、機嫌を言ふべからず」となっている。

やろうと思ったことは、いますぐスタートする。すると、それまでとは違ったものが見えてくる。その結果、現実も変わってくる。

きっちり準備をして時機をみてから始めようなどと思っていると、なかなか始められないものだ。そしてそのうちなにか外的要因が発生したりしてますます遅くなってしまったりする。

だから、人から決められた期限とはべつに自分で期限を設定してそれを実行したほうがいいのだ。テンポのよさ、スピード感をつねに念頭においておきたい。

身近なところではお礼状を書く必要がある場合など、“あとで”と思った時点でもう失格なのかもしれない。すぐにハガキや便箋をさがすために動く必要があるのだ。someday(いつか)という日はnever(決してない)とほぼイコールのものと考えたほうがよさそうだ。

使い古されてはいるが「思い立ったが吉日」という言葉をもう一度インプットしておこう。





プラスとマイナス2種類の決断。
at 2005 05/01 06:38 編集

朝日新聞4/30土曜版より

松井道夫氏は足すことよりむしろ捨てることで事業を拡大してきたようだ。プラスの決断ではほとんどが失敗だったと言う。

大きく捨てたのは2度あった。1.外交セールス、営業の対面販売。2.コールセンター(電話での売買)。

支店やセールスは不要なコストだと考えたのが成功要因でもあった。また苦労して育てたコールセンターもあっさりと捨てている。そして、インターネット証券へと転進していったのだ。つまり過去を否定することがポイントだったことがわかる。

それが出来たのは次の理由にもよる。彼が松井証券に入社したのは1987年で、その5年後から支店と営業マンの全廃をはじめている。経験が乏しかったというマイナス部分を逆に業界に染まっていないので顧客の立場からみられるというプラス発想に転換できたのが大きい。

さて、私達の身近なところにも何かを捨てて(マイナスして)、プラスに転じることって、きっとなにかあるはず。



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