「科学と抒情」赤瀬川原平著より。
この本を購入したのは、もう15年ほど前だったが、たまたま隣の部屋の書棚を見たらこの一冊の文庫本が目に入ったので読み返してみた。すっかり本の存在も忘れていたのでタイトルが新鮮に思えた次第。
何か所にも棒線が引かれたり、書き込みがあった。しかし、読み返してみると何でそこに線を引いたのか分からない部分もあった。きっと当時と今では関心が変わったのだろう。と、前置きが長くなってしまった。
さて、タイトルのフレーズは、“文庫本のためのあとがき”の部分にあったものだ。筆者によれば、ここでの“コドモ心”とは、シロート、アマチュアといい換えてもいいようだ。
ここで、赤瀬川さんは自身が関心があるカメラを引き合いに出していた。プロなら重くてもゴツくてもキズがあっても、まず結果第一のカメラを選ぶという。しかし、アマチュアは、結果よりむしろそれを持つ満足度で選んだりするらしい。(それは確かに言える)手触り、重さ、姿の美しさなど「必要以上に」こだわってしまう。
そして、科学は「必要」のほうに属して、抒情は「必要以上」に属しているという解釈のようだ。これで、ようやくこの本のタイトルの意味が理解できた次第。赤瀬川さんはいつも目の付けどころが面白い。
この本を購入したのは、もう15年ほど前だったが、たまたま隣の部屋の書棚を見たらこの一冊の文庫本が目に入ったので読み返してみた。すっかり本の存在も忘れていたのでタイトルが新鮮に思えた次第。
何か所にも棒線が引かれたり、書き込みがあった。しかし、読み返してみると何でそこに線を引いたのか分からない部分もあった。きっと当時と今では関心が変わったのだろう。と、前置きが長くなってしまった。
さて、タイトルのフレーズは、“文庫本のためのあとがき”の部分にあったものだ。筆者によれば、ここでの“コドモ心”とは、シロート、アマチュアといい換えてもいいようだ。
ここで、赤瀬川さんは自身が関心があるカメラを引き合いに出していた。プロなら重くてもゴツくてもキズがあっても、まず結果第一のカメラを選ぶという。しかし、アマチュアは、結果よりむしろそれを持つ満足度で選んだりするらしい。(それは確かに言える)手触り、重さ、姿の美しさなど「必要以上に」こだわってしまう。
そして、科学は「必要」のほうに属して、抒情は「必要以上」に属しているという解釈のようだ。これで、ようやくこの本のタイトルの意味が理解できた次第。赤瀬川さんはいつも目の付けどころが面白い。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます