ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

入試問題というゲームの記号処理の枠内で起こっていることでしかない。

2009年09月05日 | Weblog
「頭がいいとは文脈力である」齋藤孝著より。

先月たまたま都内の古本市で見かけ買った本だった。齋藤氏は、難関中学入試の問題がすらすら解けてしまう小学生を見たときに、うーん、すごいと思ったが、だからといって「頭がいい」とは言い切れないという感じを受けたと語っている。

それはどういうことだろう。つまりこれは、目の前の記号をどう操作するとどうなるということをやっているだけで、現実のこととはかけ離れているからだった。入試問題がすらすら解けたからといって、社会にでてからコミュニケーション能力が人一倍優れているという保証はない。また人に分かりやすく教えられるかも別問題だろう。

それに引き替え、一流スポーツ選手というのは、実に「頭がいい」と感じていた。齋藤氏が対談したことのある、ハンマー投げの室伏広治選手、柔道の野村忠宏選手、スピードスケートの清水宏保選手にしてもそう感じたという。

それは彼らが現実を突きつけられて、それに対応する術を常に考えてトレーニングを重ねていたことが要因らしい。そうすることによって、否応なしに頭がよくなっていくという。自分で考えてやり抜いている人間ほど修羅場になっても強いのだ。

また一流のアスリートたちは、独自な練習法をもっているようで、人からは練習ぎらいとかサボっているように見られることもあるらしい。しかし、他の人が練習だと思わないようなことを練習にしていたりするようだ。意味がある練習だけに集中してやっているということだった。

逆に言えば、ムダだと思われることには時間を費やさないということになる。凡人は意味があるかどうかわからないものに対して時間を費やしてしまう。だから、一流アスリートのように、意味を考えながら頭を鍛えることが必要なようだ。私にはもう手遅れだが。