ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

彼にはその時必要であった五万円と、使うアテのない二百五十万円の間にさしたる区別もなく・・・

2009年09月02日 | Weblog
「白洲正子自伝」白洲正子著より。

ここでの彼とは白洲さんのお兄さんのことだった。平成元年に亡くなられていたが、昭和天皇と同年の丑年生まれで、天皇に遠慮して丑二(ちゅうじ)という意味で名付けられたようだ。英語が上手で、スポーツの達人だったという。

テニス、スキー、ゴルフもはじめると、すぐに上達してしまったようだ、なかでも、狩猟と魚釣りは名人の域に達していたという。どれも趣味のままで終わったようだ。実生活の面ではゼロに等しく、いつも金には困っていたという。しかし、そんな素振りも見せなかったのは、陰で助けてくれる人がいたからだった。それだけ人望があったのだろう。

フレーズにあげたのは、そんな兄の骨董好きの友達が遊びに来た時に、推古時代の金銅仏をいくらぐらいで売るかと訊いたようだ。そのとき五万円が欲しかったので、その値段で売ってしまったのだ。するとその二週間後に本物の骨董屋がきて二百五十万円で譲ってほしいといったのだ。

しかし、すでに五万円で売ってしまったが、大してがっかりもしていなかったという。白洲さんはこの大馬鹿野郎!とののしったが、あとでよく考えればこれは自分の負けだったかもしれないと振り返っている。

いくら金額のケタが違っていても、どうしてもその時に必要ならば、その時のお金の方が必要のない時の大金よりも価値があるのだろう・・・な。明日の百より今日の十という感じかな・・・