「今日の芸術」岡本太郎著より。
これは本文のあとの解説の部分で赤瀬川原平が書いていたフレーズだった。それほど具体的で解りやすい内容ということでもあろう。この本が出版された1950年代の画家や画家志望の若者たちに強い影響を与えたようだ。
そして、赤瀬川氏も当時は画学生で、かなり影響を受けたひとりで、次のように語っている。「読書が不器用な僕でさえも読んで勇気づけられ、前衛への道をそそのかされた」というのだから、この本は大変な力を持っていたことも想像できる。
氏は現在、作家(芥川賞)として活躍しているが、スタートは前衛芸術家だったのだ。初速のスピードは「この本にコツンと背中を押された」と述懐している。(もしこの私が20代にこの本に出会っていたら・・・やはり別にどうということはなかったな。)
岡本太郎が亡くなったのは1996年だった。もう10年以上が経過していた。なんだか数年前までテレビ番組やCMに出演していたような気もする。そして、テレビの中でもこの本の中にも書かれているような芸術論を展開していたものだ。
そういえば、「太陽の塔」も「太郎の塔」と名づけようかと思っていた、という発言も思い出される。実にユーモアのあるギョロ目のおじさんだったな・・・
(芸術の秋ともいわれるので、今週は長々とちょっとそれにこだわって書いてみた次第)
これは本文のあとの解説の部分で赤瀬川原平が書いていたフレーズだった。それほど具体的で解りやすい内容ということでもあろう。この本が出版された1950年代の画家や画家志望の若者たちに強い影響を与えたようだ。
そして、赤瀬川氏も当時は画学生で、かなり影響を受けたひとりで、次のように語っている。「読書が不器用な僕でさえも読んで勇気づけられ、前衛への道をそそのかされた」というのだから、この本は大変な力を持っていたことも想像できる。
氏は現在、作家(芥川賞)として活躍しているが、スタートは前衛芸術家だったのだ。初速のスピードは「この本にコツンと背中を押された」と述懐している。(もしこの私が20代にこの本に出会っていたら・・・やはり別にどうということはなかったな。)
岡本太郎が亡くなったのは1996年だった。もう10年以上が経過していた。なんだか数年前までテレビ番組やCMに出演していたような気もする。そして、テレビの中でもこの本の中にも書かれているような芸術論を展開していたものだ。
そういえば、「太陽の塔」も「太郎の塔」と名づけようかと思っていた、という発言も思い出される。実にユーモアのあるギョロ目のおじさんだったな・・・
(芸術の秋ともいわれるので、今週は長々とちょっとそれにこだわって書いてみた次第)