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現代イタコ考

2009-08-08 | 民俗
青森にはイタコの他に、ゴミソ、オカミサンという人もいます。
イタコは弟子入りして師匠から相伝を受ける修業をしてなるもののようですが、ゴミソ、オカミサンは師匠を持たずに自ら修業をしてなるのだそうです。
イタコはここ20年、新になる人はいなかったのですが、オカミサンは若手も出てきているようです。
やはり口寄せや占いを行っています。

イタコの仕事にはオシラサマに関するお祭りもあります。
念に1~2度オシラサマを祭る行事、オシラアソバセでの進行を務めるものです。
オシラサマ信仰は東北独自のもののようですが、日本全国には女性の祭りである雛祭りがあり、起源は違うのでしょうが似たものを感じます。
いだこ祭りもそうでしたが、地蔵講、太子講、大師講、百万遍などは地域の女性の行事です。
民俗学の考え方からは東北の独自性について語られることが多いのですが、地域の女性の集団による信仰は日本各地に残っています。

修験者・山伏や、それと結びついた仏教では女人禁制の場所が多くあります。
男性の信仰としての仏教や修験道があるように、女性の信仰というのも古来のシャーマニズムと結びついて長く続いてきたもののようです。
しかし女性の信仰は生活の中に息づく慣わしであり、都市化や核家族化でその姿を消そうとしています。

近代の科学的思考からは、古い習慣が非科学的に見られ否定されることもあります。
地下鉄サリン事件によって新興宗教だけではなく既存の宗教までもが否定的な見方をされた時期もありましたが、今また揺り戻しのようにスピリチュアル、癒しとして注目を集めています。

信仰は非科学的なのでしょうか ?
世界中で、神も信仰も先祖崇拝も祭りも、見えない何かに対する恐れや敬いの心を持たない民族などないのではないでしょうか。

信仰は人間にとっての普遍であり必然であるとするなら、それを否定することは人間を否定する事と同義です。

なぜ人間にとって信仰が必然なのか、その意味を考える事こそ科学的な態度なのだと思います。



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