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山と森と山の神

2011-12-24 | 巨樹・巨木と伝承 三頭木
青森の方言と言えば津軽弁と南部弁、それと下北弁があるそうです。
独特のイントネーションの他に単語の違いもあって、慣れるまでは話の意味を理解するのに苦労しました。
その頃聞いた話で興味深かったのが「ヤマ」という言葉の持つ意味です。
「ヤマで山菜を採ってくる」のような場合、私はそれを「山」と理解していたのですが、詳しく聞いていくとその「ヤマ」は平地や丘も含んでいて、木の生えている林の意味に近かった。
関東生まれの自分にとって「山」はピークを持った高さのある山で、平地を「ヤマ」と呼ぶことに不思議な違和感を感じていました。
確かに木が生えていれば高く盛り上がって見える、などと自分の理解に引き寄せて考えていた記憶があります。

最近「森」の話を聞きました。
当地では苗字にもなっている「一ッ森」「二ッ森」。
大きな山の頂上から数えて一つ目の小さなピークを「一ッ森」、二つ目のピークを「二ッ森」と呼ぶとのこと。
山の中に「二ッ森」と呼ばれる場所があれば、そこから二つ目のピークが頂上と分かるのは実用的な名付け方と感心してしまいました。
「森」といえば高低に関係なく木の鬱蒼と生えている場所と認識していた自分にとって、小さなピークを表す「森」は意外でした。
「山」と「森」の言葉の意味が逆転しているかのようです。

近在でよく目にするのが山の神の祠です。
それは大体において集落のはずれの林の中に祭られている小さな祠で、御神体も無い場合が多い。
山の神は青森だけではなく全国に存在しますが、仏教とも神道とも違う信仰といわれています。
山の神ですから当然山岳信仰と同じものと思われていますが、山岳信仰は神格があると思われる高い山に対する信仰で、「山」が表わす意味が違えば、山の神は山岳信仰とイコールではなくなってしまいます。



少し前の大河ドラマで話題になった、兜に「愛」の字を掲げた武将がありましたが、あの「愛」は当然現代で理解されている愛とは違う意味があると知人と話し合ったことがあります。
当時の感覚で「愛」と掲げるとすれば、上杉謙信の「毘」と同じ様に愛染明王からとった一字ではないかと私は推測したのですが、信仰に根差した文字の意味は揺らぎの多いものの上、時代によって受け取り方が違うと感じたものです。

蛇足ながらその大河ドラマを見ていないので、どのような解説があったのかは今でも分かりません。