日蓮正宗 正林寺 掲示板

法華講正林寺支部 正林編集部

雪山の寒苦鳥

2014-02-01 | 御住職指導

正林寺御住職指導(H26.2月 第121号) 

 雪山の寒苦鳥とは、インドの雪山に住むとされる想像上の鳥のことです。この鳥は寒い場所に住んでいるのに、身を守るために住む巣を作らないので、いつも寒苦に責められ暖かい時期が来たら巣作りをしようと思うのですが、いざ寒苦が過ぎて心地よい暖かさに満足してしまい作ることをせず、結局、雪山の寒さに苦しむという鳥であります。 

 この苦しむ姿が、私達の住む人間社会と似た一面があります。生活の中で苦い経験をしたことで後悔し、その時は次に後悔しないように反省します。しかし、その反省が未来に忘れてしまい活かされず、また同じように悩み苦しみを繰り返す状態が雪山の寒苦鳥の姿に似ています。私達人間は雪山の寒苦鳥の姿にちょっとした原因でなりやすい生活空間に生きています。

  日蓮大聖人は『新池御書』に、
「雪山の寒苦鳥は寒苦にせ(責)められて、夜明けなば栖つくらんと鳴くといへども、日出でぬれば朝日のあたゝかなるに眠り忘れて、又栖をつくらずして一生虚しく鳴くことをう(得)。」(御書1457)
と仰せであります。

  人生の寒苦を四苦八苦と置き換えて、経験した時は経験を無駄にすることなく、安楽な時には苦しい時を思い出し人生に活かすことが大事です。
 大聖人は『富木殿御書』に、
「賢人は安きに居て危ふきを欲ひ、佞人は危ふきに居て安きを欲ふ。」(御書1168)
との御教示を思い出していくことが大切でしょう。
 また大聖人の佐渡塚原における雪中での御振る舞いを思う時、御本尊を拝するたびに思い浮かべ、もし我が身が雪中に晒されているとしたらとの思いで題目を唱えていく信心に「安きに居て危ふきを欲ひ」との御言葉を寸分なりと身で拝することができます。

 私達は今世、値いがたい人間に生を受けることができましたが、生まれてくる以前の過去世において、地獄のような苦しい生活を経験した時に、その経験が身に染みて今度は人間に生まれた時には、諸事を閣いてでも仏法僧の三宝に供養を申し上げようと心から願い、未来世では地獄に堕ちることなく助かるようにと仏道修行を真面目に行うことを願ったのであります。
  しかし、たまたま人間に生まれた時には、第九世日有上人が『連陽房雑雑聞書』に、
「夫れ人間は隔生即忘して前世の事を知らず」(歴全1-379)
と仰せのように、過去世の志しも忘れてしまい、今世、実際には過去世に想像した以上の世間に吹く名聞名利の風が激しく、仏道修行の灯は消えやすい環境にあるため、三宝への供養に全く関係のない無益な事には財宝を惜しみなく費やし、過去世に心から願った仏法僧の三宝への供養をさせて頂くことを惜しんだ結果、雪山に住む寒苦鳥と同じ姿になりかねません。

 大聖人は『新池御書』に、
「仏法僧にすこしの供養をなすには是をものう(物憂)く思ふ事、これたゞごとにあらず、地獄の使ひのきを(競)ふものなり。寸善尺魔と申すは是なり。」(御書1457)
と仰せであります。現在、記憶に残らない過去世に流転して経験した地獄の辛い境界へ引き戻そうと地獄の使いが様々な姿で仏法僧の三宝へ供養させまいと寸善尺魔が競ってきます。

 現在世以上に過去世での辛く苦しい地獄の境界に戻らないためにも雪山の寒苦鳥を思い出し、人として生を受けた事を仏祖三宝尊に報恩感謝申し上げる仏道修行に精進しましょう。

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