日蓮正宗 正林寺 掲示板

法華講正林寺支部 正林編集部

伝統の二月

2025-02-04 | 御住職指導

正林寺御住職指導(R7.2月 第253号)

 世間的に伝統の二月といわれてイメージされることは、立春前日の「節分会」になるでしょうか。
 この節分会の日程は、地球の公転周期と暦年のずれを補正するため、閏年や節分の日付の調整が行われます。そのため節分会は2月2日になる年があり、本年は、その2日にあたります。地球の公転周期は約365.2422日であり、暦年(365日)とのずれが存在して、このずれを補正するためであります。
 稀に立春が2月5日になる年があり、その場合、節分は2月4日となります。節分の日付変動は約4年に一度のペースで発生し、約400年周期でパターンが繰り返されます。2月4日の節分は非常に珍しく、2月2日や2月3日の節分に比べて頻度が低くなります。節分の日付は固定されておらず、立春の前日という定義に基づいて決定されます。これは日本の伝統的な暦システムの一部であり、天文学的な観測に基づいて毎年決定されています。
 また、「節分会」ではなく「節分」について、節分はもともと「季節を分ける」という意味を持ち、立春だけでなく、立夏、立秋、立冬の前日も節分とされていました。ところが、旧暦では春が新年の始まりとされていたため、特に立春前日の節分が重要視され、現在のような形で定着した流れがあります。

 さて、富士の立義から日蓮正宗において「伝統の二月」といわれると、宗祖日蓮大聖人の御誕生会(16日)・第二祖日興上人の興師会(7日)を奉修申し上げる宗開両祖の行事が重要であるため、「伝統の二月」といわれております。その奥底には「血脈の次第 日蓮日興」(御書1675)との付嘱の大事があるからです。故に「富士の立義聊(いささか)も先師の御弘通に違せざる事」(御書1884)との御遺誡からと拝信いたします。そして、大聖人は人本尊開顕の書「開目抄」を御述作あそばされたのが二月にあたります。つまり、日蓮大聖人の出世の本懐である本門戒壇の大御本尊への信心を確認すべき、非常に重要な月にあたるため「伝統の二月」といわれるでしょう。
 それはまた、一天広布に前進する富山の蘭室
の友に交わるための僧俗一致・異体同心・講中一結する大事な伝統でもあります。その富山の蘭室の友に交わり、異体同心するために必要とされ、大きな功徳を積まさせていただくためと、大善に入るべき善業を修する大切なことがあります。
 第二十六世日寛上人は『立正安国論愚記』に、
「一、麻畝の性と成る文。
 『麻畝』の両字は詩経五に云く『麻を芸うること之を如何せん、その畝を衡従す。妻を取ること之を如何せん、必ず父母に告ぐ』と云云。史記六十 十二に云く『蓬の麻中に生ずれば扶けざるに自ら直し。白沙の泥中に在れば之が与に皆黒し』と文。友を選ぶべきこと要なり。大論十四 五に云く『人に三業あり。諸善を為すに、若し身口の業善あれば意業も自然に善に入る。譬えば曲草の麻中に生ずれば扶けざるに自ら直きが如し』と云云。当に知るべし、今この意に准ずるに、縦い名聞の為にもせよ、若しは利養の為にもせよ、身に妙法の行を立て、口に妙法の行を説け。或は身を仏前に運び、口に妙名を唱えよ。若し爾らば意業は自ら妙法の大善に入るべきなり云云。」(御書文段47)
と、竜樹菩薩の『大智度論』等を通じて私達の身口意三業が自然に善に入ることを御教示であります。まさしく「身口の業、善ならば意業自然に善に入る」であります。

 また、二月が伝統である意味には、仏法の上から大聖人の『撰時抄』に、
「仏の滅後二月十六日よりは正法の始めなり」(御書839)
と御教示されて、釈尊入滅の2月15日、その翌日の16日から正法時代に入ります。2月15日と16日が節目の日に当たり、正法から像法へ、像法から末法へと仏法上の節目があります。
 今現在は末法であり、濁世と申す乱れた世の中、まさに闘諍堅固・白法隠没の時代であります。「仏の滅後に三時有り」(御書779)との三時弘教の次第からも非常に重要な節目であるために「伝統の二月」と拝せられます。まさに仏法と申す道理があります。
 特に当宗における「伝統の二月」には、「血脈の次第 日蓮日興」との付嘱を重要視された伝統があり、さらに心得るべきこととされて「日興一人本師の正義を存じて」との御指南、御本仏日蓮大聖人の秘して隠したもたれていらした秘法を堅固申し上げる「御内証を拝し奉る信心」が日蓮正宗の「伝統の二月」といわれる意義があるでしょう。まさしく、富士の立義である富山の蘭室に交わるための伝統であります。

 釈尊入滅後の末法時代は、永承7(1052)年からになります。令和7(2025)年は、末法に入り973年となります。
 御法主日如上人猊下は現今の末法の姿について、
「今日の日本乃至世界の混沌とした状況を見る時、まさしく末法濁悪の世相そのままに、新型コロナウイルス感染症はいまだ収まる気配もなく、ウクライナの問題など、大規模な世界戦争に発展しかねない様々な異変や騒乱が頻発し、世情騒然とした様相を呈しておりますが、これらの現象を『立正安国論』の原理に照らして見る時、
『世みな正にそむき人ことごとく悪に帰す。 故に善神国を捨てゝあい去り、聖人所を辞して還らず。 ここを以て魔来たり来たり、さい起こりなん起こる。 はずんばあるべからず。 おそれずんばあるべからず。 』(御書234)
と仰せの如く、今日の騒然たる状況は、まさしく邪義邪宗の謗法の害毒によるものと言えるのであります。
 されば、こうした混沌とした悪世末法の姿そのままの惨状を見て、今こそ私どもは、一人ひとりが、断固たる決意と勇気を持って立ち上がり、全人類の幸せと真の世界平和実現のため、一天広布を目指して、身軽法重・死身弘法の御遺訓のままに、勇猛果敢に破邪顕正の折伏を行じていかなければなりません。
 大聖人様は『聖愚問答抄』に、
『今の世は濁世なり、人の情もひがみゆがんで権教謗法のみ多ければ正法弘まりがたし。此の時は読誦・書写の修行も観念・工夫・修練も無用なり。只折伏を行じて力あらば威勢を以て謗法をくだき、又法門を以ても邪義を責めよとなり。取捨其の旨を得て一向に執する事なかれ』(御書403)
と仰せられ、今日の如き謗法が充満し、その害毒によって悪世末法の姿そのままに騒然とした姿を呈している時、まさにかくなる時こそ、私どもはけっしてこれらの状況を黙過し傍観するのではなくして、一人でも多くの人に不幸の根源たる謗法の害毒を知らしめ、もって広大無辺なる妙法信受の功徳を説き、断固たる決意と果敢なる行動をもって、破邪顕正の折伏を行じていかなければなりません。
 されば私ども一同、本年『活動充実の年』にふさわしく、一人ひとりが身軽法重・死身弘法の御遺訓のままに講中一結・異体同心し、全力を傾注して不幸の根源たる邪義邪宗の謗法を退治し、断固として一天広布を目指して折伏を行じていかなければならないと、強く感じるものであります。またこのことを今現に、私達一人ひとりがしっかりと強く感ずることが大事であります。」(大日蓮 第948号R7.2)
と御指南あそばされ、末法時代にあるべき仏道修行を異体同心・講中一結して精進することが一天広布につながります。

 最後に、先月1月26日に開催されました、群馬布教区折伏推進僧俗指導会で頂いた御指導等を講中に伝達して、活動を充実させてまいりましょう。
 そして日蓮正宗での「伝統の二月」を心に刻み、富山の蘭室の友に交わり、一月中の唱題行で磨かれた信行を糧に折伏誓願目標達成に向けて「活動充実の年」を邁進いたしましょう。

 

宗祖日蓮大聖人『寂日房御書』に曰く、
きょうはく『日月にちがつ光明こうみょうもろもろ幽冥ゆうみょうのぞくがごとく、ひと世間せけんぎょうじて衆生しゅじょうやみめっす』ともんこころよくよくあんじさせたまへ。『斯人行世間しにんぎょうせけん』のいつつの文字もんじは、上行菩薩じょうぎょうぼさつ末法まっぽうはじめの五百年ごひゃくねん出現しゅつげんして、南無妙法蓮華経なむみょうほうれんげきょう五字ごじ光明こうみょうしいして、無明むみょう煩悩ぼんのうやみをてらすべしとことなり。日蓮にちれん上行菩薩じょうぎょうぼさつおん使つかひとして、日本国にほんごく一切衆生いっさいしゅじょう法華経ほけきょうたもてとすすめしはこれなり。」(御書1393)

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