平成24年3月度 広布唱題会の砌
於 総本山客殿
(大日蓮 平成24年4月号 第794号 転載)
本日は、三月度の広布唱題会に当たりまして、皆様には多数の御参加、まことに御苦労さまでございます。
本年も既に三月に入りましたが、ちょうど今から一年前、昨年三月十一日、東日本大震災が発生し、予想をはるかに超えた大津波によって東北地方は壊滅的打撃を受け、多くの方々が家を失い、家族を失い、悲惨な目に遭われましたが、これらの方々に心からお見舞い申し上げるとともに、今、振り返ってこうした惨状を見るとき、私どもは改めて『立正安国論』の御正意を拝し、我々が何をなすべきかを考えていかなければなりません。
大聖人様は『立正安国論』に、
「倩微管を傾け聊経文を披きたるに、世皆正に背き人悉く悪に帰す。故に善神国を捨てゝ相去り、聖人所を辞して還らず。是を以て魔来たり鬼来たり、災起こり難起こる。言はずんばあるべからず。恐れずんばあるべからず」(御書234)
と仰せであります。
すなわち、天変地夭等の災難興起の原因は、ひとえに「世皆正に背き人悉く悪に帰す」ことにあり、正邪をわきまえない邪義邪宗の謗法こそ、災難の根源であります。
されば、同じく『立正安国論』には、
「若し先づ国土を安んじて現当を祈らんと欲せば、速やかに情慮を廻らし怱いで対治を加へよ」(御書248)
と仰せられ、さらに、
「早く天下の静謐を思はゞ須く国中の謗法を断つべし」(御書247)
と仰せられています。
すなわち、天変地夭等の災難を防止するためには、根本的な原因を抜き取って、弊害を大本からなくすことが肝要であり、そのための具体的な実践方途こそ、破邪顕正の折伏なのであります。特に、末法の衆生は本未有善にして、本已有善の衆生と異なり、摂受ではなく折伏をもってすることが肝要なのであります。
故に『唱法華題目抄』には、
「末代には善無き者は多く善有る者は少なし。故に悪道に堕せん事疑ひ無し。同じくは法華経を強ひて説き聞かせて毒鼓の縁と成すべきか。然れば法華経を説いて謗縁を結ぶべき時節なる事諍ひ無き者をや」(御書231)
と仰せであります。
すなわち末法今時では、順縁の衆生はもとより、たとえ逆縁の衆生であっても、三大秘法の南無妙法蓮華経を聞かせることによって正法と縁を結ばせ、将来、必ず済度することができるからであります。
したがって『顕謗法抄』には、
「されば逆縁順縁のために、先づ法華経を説くべしと仏ゆるし給へり」(御書283)
と仰せられているのであります。
今、宗門は平成二十七年・三十三年の目標達成へ向けて、各支部ともに僧俗一致の戦いを展開しております。なかには、既に本年度の折伏誓願を早々に達成したところもあります。
宗門が平成ニ十七年・三十三年を迎えるに当たり、また併せて今日の混沌とした世情を見るとき、我々は一歩も退くことなく、すべての人々の幸せと安穏なる国土世間の実現へ向けて、今こそ折伏を行じていかなければならないと痛感いたします。
大聖人様は『神国王御書』に、
「我が面を見る事は明鏡によるべし。国土の盛衰を計ることは仏鏡にはすぐべからず(中略)仏法に付きて国も盛へ人の寿も長く、又仏法に付きて国もほろび、人の寿も短かかるべしとみヘて候」(御書1301)
と仰せであります。
また『瑞相御書』には、
「夫十方は依報なり、衆生は正報なり。依報は影のごとし、正報は体のごとし。身なくば影なし、正報なくば依報なし。又正報をば依報をもて此をつくる」(御書918)
と依正不二の原理を明かされています。
さらに、
「衆生の五根やぶれんとせば、四方中央をどろうべし。されば国土やぶれんとするしるしには、まづ山くづれ、草木かれ、江河つくるしるしあり。人の眼耳等驚そうすれば天変あり。人の心をうごかせば地動す」(御書919)
と仰せられ、さらに、
「人の悦び多々なれば、天に吉瑞をあらはし、地に帝釈の動あり。人の悪心盛んなれば、天に凶変、地に凶夭出来す。瞋恚の大小に随ひて天変の大小あり。地夭も又かくのごとし」(御書920)
と仰せであります。
まさしく、正報たる我ら衆生の身心の動きが、依報たる国土世間に大きく影響を及ぼし、国土の盛衰を決定しているのであります。
されば、我々はこの依正不二の原理に照らし、仏国土実現のため、本因下種の妙法を一人でも多くの人々に下種し、折伏を行じていくことの大事を知らなければなりません。
どうぞ皆様には、なお一層の精進をもって、本年度は一人ひとりが固い決意を持って折伏を行じ、誓願達成へ向けて「実行前進」くださることを心からお祈り申し上げ、本日の挨拶といたします。
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