正林寺法華講員手引書

『折伏・家庭訪問・教化育成・法統相続・教学研鑚・邪義破折・支部組織の充実強化に活用』 法華講正林寺支部 正林編集部

仏の声を聞いて悟る声聞

2005-11-19 | 十界論私考集

 十界における第六番目に位置する「声聞界」には、二種・三種・四種・五種という種類があります。声聞とは、声を聞く者の意で、十界のうちの二乗・三乗の一つです。声聞乗のことであり、仏の声教を聞いて解悟し、出家の弟子をいいます。四諦の法門である苦集滅道により、四沙門果の悟りを得、灰身滅智して無余涅槃に入ることを目的とする人々です。声聞と名の付く由来は、「大集経」や「六波羅蜜経」など多くの経典に説かれます。
 声聞界の種類を具体的に上げると、「二種声聞」とは、大乗義章に説かれ、小乗に執して大乗の教えに理解を示さない愚法声聞と、大乗の教えを理解し、大乗に向かう不愚法声聞の二つをいいます。
 「三種声聞」とは、愚法声聞・称実声聞・仮立声聞のことです。愚法声聞は、小乗教の声聞。称実声聞は、大乗始教の声聞で、大乗始教とは小乗から初めて大乗に入った者に説かれた教です。仮立声聞とは、大乗終教の声聞です。
 「四種声聞」とは、法華論に説かれる決定声聞・増上慢声聞・退菩提心声聞・応化声聞の四つです。決定声聞は、久しく小乗を習い、必ず阿羅漢果を得ることが決定している声聞。増上慢声聞は、未だ証得していないのに証得したと思い、慢心を起こす声聞で、向上心を失い自己満足に浸る声聞です。退菩提心声聞とは、もと大乗を修行していた菩薩が、大乗を退いて小乗を学ぶ声聞のことで、退大声聞ともいいます。正しい信心を退いて、低い教えに信仰を変えることです。日蓮正宗から他宗派に改宗することにも当たります。応化声聞とは、仏菩薩が衆生教化のために変化した声聞であり、変化声聞ともいいます。
 「五種声聞」とは、法華経に説かれる大乗声聞(仏道声聞)に、先の四種声聞を加えて五種声聞としています。大乗声聞とは、仏道の声を他に説いて聞かせ、小乗の境地に永く安住することなく仏果に至らせる声聞です。天台の『法華玄義』では、法華経説法の時、次々と領解した法説周・譬説周・因縁周の三周の声聞が説かれています。
 日蓮大聖人が仰せになる声聞について『十法界明因果抄』に、
「第七に声聞道とは、此の界の因果をば阿含(あごん)小乗十二年の経に分明(ふんみょう)に之を明かせり。諸大乗経に於ても大に対せんが為に亦之を明かせり。声聞に於て四種有り。一には優婆塞(うばそく)、俗男なり。五戒を持し苦・空・無常・無我の観を修し、自調自度(じじょうじど)の心強くして敢(あ)へて化他の意無く、見思(けんじ)を断尽して阿羅漢(あらかん)と成る。此くの如くする時自然に髪を剃(そ)るに自ら落つ。二には優婆夷(うばい)、俗女なり。五戒を持し髪を剃るに自ら落つること男の如し。三には比丘(びく)僧なり、二百五十戒具足戒なりを持して苦・空・無常・無我の観を修し、見思を断じて阿羅漢と成る。此くの如くするの時、髪を剃らざれども生ぜず。四には比丘尼(びくに)なり。五百戒を持す、余は比丘の如し。一代諸経に列座せる舎利弗・目連等の如き声聞是なり。永く六道に生ぜず、亦仏・菩薩とも成らず、灰身滅智(けしんめっち)し決定して仏に成らざるなり。」(御書211)
と御指南であり、優婆塞・優婆夷・比丘・比丘尼という仏道を志す人です。
 声聞界の生命は、日蓮大聖人の御指南に添うことで、迷いの六道に戻ることが無く、仏の声となる仏法を聞いて悟っていき、自己を誡め境界を高めていくことが出来ます。声聞界で生まれる魔の働き、慢心を上手く扱い、自信へと変毒為薬していければ、成仏の有り難い原因へ繋げていくことが出来ます。