こんにちは 岡本しょういです

京都の南部、和束町で日本共産党の町会議員をしています。町や議会などの情報をお知らせしています。

母の日

2012-05-14 11:48:16 | 議会報告&議員活動

昨日は「母の日」でした。

じゅんは、去年くらいまでは、手作りのプレゼントとかせっせと準備してましたが、今年はそんな素振りもなく、まあこんなもんかなあという感じでした。

それでも、晩ご飯は作るというので、「何を作るの?」と聞くと、しばらく考えて、「コロッケ作る」と。

けっこう手間かかるやんと思いつつ、材料の買いだしは私が引き受けて、一緒に作りました。

グリーンピースを茹で、玉ねぎとミンチ肉を炒めて、具をつくり、丸めた中に、チーズを入れました。

それに衣をつけて、油であげて・・・

できあがり!

お皿に盛りつけして、いただきま~す!

って、ことで、うちのママも、満足されたようで、めでたし、めでたし。

われながら、おいしかったですよ。

 

私自身は、もう母は亡くなっていて、いません。

私が小学6年生のときに、病気でだったんですが、

けっこう急な事でしたね。

私が、それこそ急にインフルエンザ(だったと思います)にかかって、高熱を出して寝込んだんですが、それが母親に感染してしまったんです。

そんなことは、よくあることなんですが、私の母は、なんというか難しい病気で、長い事通院していて、たまに入院もしていたんですが、風邪とかをこじらせると、あまり良くない病気だったようで、感染してから急激に体調が悪化して寝込んでしまいました。

3月の10日くらいだったか、夜中(というか早朝)に急変して、救急車で病院に運ばれて、2日後くらいに亡くなってしまいました。

あっと言う間の事だったので、なんか実感がわかずに、母親が死んだというのに、全然泣きませんでしたね。

父親が告別式の後に、泣いていたのですが、そんな父親の姿も、変に他人事みたいに、ぼーっと見てました。

ちょうど、6年生も最終盤で、卒業式もすぐそこだった時期でした。
制服は、母が体調を崩す前に、寸法取りに行っていたので、問題なかったんですが、皮肉にもそのまま喪服になってしまいました。

母は、私を産んだ直後から体調を崩して、入退院を繰り返してました。
よく母親と一緒に、通院先だった、府庁前の第2日赤病院に行きましたね。

病気になったのも、亡くなったのも、私が原因なので、母には悪い事をしたなあと思います。

それから、もう30年以上もたったので、母親の記憶とか思い出は、けっこう少なくなっています。

子育てをしていると、母親がいてくれたらなあと思う事はけっこうありましたね。

そいなこんなで、「母の日」は、あまり縁のない感じでもあります。

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿