こんにちは 岡本しょういです

京都の南部、和束町で日本共産党の町会議員をしています。町や議会などの情報をお知らせしています。

成人の日

2012-01-09 23:54:16 | 議会報告&議員活動

今日は成人の日。

和束でも、福祉センターで式が行われて、今年は52人が成人の仲間入りをされました。

今年の新成人は、1991年4月2日~1992年4月1日までに生まれた人たちで、私が和束に来た頃は、まだ3~4歳の乳幼児でした。保育園児だった彼らが大人の仲間入りをするまでになったわけですから、私も年を取るはずですね。

午前10時半からはじまった式は、いつも通りの内容で、新成人の呼名、教育委員長の祝辞、記念品の授与、町長、議長の祝辞、新成人代表の言葉と進み、約30分ほどで閉式となりました。

祝辞の中では、必ずといっていいほど、「大人になって、様々な権利も与えられるが、その代わりに義務や責任が生まれる」という話がありました。
どちらかと言えば、権利の行使よりも義務を果たす、責任を果たす事が大切だと聞こえる感じでしたが、私は、自らの権利というものをぜひ大事にしてほしいし、もっとしっかりと知る必要があると思う。

権利と言うと、選挙権とか、飲酒やタバコが認められるとか、そんな話がたとえに出される傾向がありますが、それももちろん大事な事ではありますが、認められているとても重要な権利はたくさんあります。

彼らの年代で言えば、学生だったり、就職して間もなくだったり、もしかしたら失業してる人もいるかもしれませんが、教育を受ける権利や、人間らしく働く権利、何よりも憲法25条でもうたわれている人間らしく生きる権利などがありますよね。
でも、権利はあっても、ちゃんと生かされているかという問題もあります。
学びたいのに進学できない、働きたいのに雇用がない、解雇されるとか、権利が不当に侵害されている場合が多いのも、日本の社会の現状でもあります。

権利は、初めから認められていたわけではなく、国民のたたかいによって、または大きな犠牲を払う中でかちとられたものでもあります。
若い人たちに、義務や責任を強調するだけでなく、権利の持つ意味や大事さこそ、もっと伝えるべきで、そのかけがえのない意味や値打ちが伝わってこそ、義務や責任も納得できるものとして受けとめられるのではないかなあと思います。

義務や責任ばかりを押し付けられて、当たり前の権利さえ知らされず、認められていないというのは、若者だけでなく、国民すべての問題でもありますよね。
よく「権利ばかり主張するのは・・」とかいう風潮がありますが、認められた権利を、誰もが当たり前に行使できる社会であってこそ、と私は強く思います。
若い彼らには、そういう社会を創るために頑張ってほしいものですね。

さて、式の話に戻りますが、ちょっと残念だったのが、新成人代表の言葉でした。
別に中身的には「問題ない」のかもしれませんが、誰が言っても同じというか、「問題のない」、でも言葉を発している彼の気持ちが見えないものだったなあと。
あの「誓いの言葉」は、本当に発表した彼が自分で考えた言葉なんだろうか、と感じました。
何か用意された言葉を読まされているような、自分の言葉ではないような気がしたのですが、どうなんでしょうか。

祝辞でも触れられていましたが、今の日本社会の現実は、若者にとって、大変厳しく、酷く、将来を見通せない状況が深刻です。新聞にもありましたが、新成人の多くは、これからの将来を暗いと感じています。
これは一般論ではなくて、とてもリアルな現実だと思います。
そんな現実の中で、成人の日を迎えた彼らには、言いたい事がいっぱいあるはずです。
それは、不満であったり、不安だったり、怒りだったり、悲しみだったりもするだろうし、一方で、未来を担う若者らしく、困難に立ち向かう気概であったり、希望であったり、乗り越えようとするパワーであったりもすると思います。

成人式は行政の主催ではあっても、その主人公、主役は新成人である彼であり、彼女たちのはずです。
型にはまらない、自由で、新鮮で、心の底からの言葉を聞きたかったなあと思いました。

 

さて、話は変わりますが、明日から学校は3学期。
ちょっと長めの冬休みも終わり、子どもはちょっと残念そうですが・・・。
じゅんは、6日におじいちゃん宅から帰宅したばかりで、まだ気持ちは休み気分のようですが、また明日から日常がはじまりますね。