伊東良徳の超乱読読書日記

雑食・雑読宣言:専門書からHな小説まで、手当たり次第。目標は年間300冊。2022年に続き2023年も目標達成!

足利義満

2012-09-30 17:21:00 | 人文・社会科学系
 室町幕府3代将軍足利義満の権力掌握、特に公家社会への浸透の経緯について解説した本。
 鎌倉幕府の将軍たちは、朝廷・公家社会での儀礼や文化に口を出さず、朝廷のことは摂関家や公家に任されていたが、義満は若くして権大納言(尊氏の最高官位)、右近衛大将(右大将:頼朝の最高官位)となり、さらに左大臣、太政大臣と官位を駆け上り、上皇(治天の君)のなすべき政務を行い、明の皇帝から「日本国王」と呼びかけられ、死後には朝廷から太上天皇の尊号を贈られている。
 背景には、自らの経済力では定例の儀礼を行うこともできず何年も儀礼を省略していた朝廷・公家の事情、義満の周囲の公家・文化人たちの思惑、国家間の関係よりも貿易による利益を重視した義満側の事情と義満の最初の書状に記載された准三后(皇后・皇太后・太皇太后に準ずる地位)の位が中国にはないもので義満の書状の失礼さ加減が明側にわからなかったかもしれず明の皇帝が叔父(後の永楽帝)の反乱に遭っていたとかの明側の事情があった(224~227ページ)ことが指摘されています。
 そういう説明も興味深く読めましたが、後円融天皇の愛人で(後の)後小松天皇の母である上臈局厳子に義満が手をつけた(さらに後小松天皇の愛人の上臈局にも4代将軍義持が手をつけている)とか(89~91ページ)、他人の妻を次々と召し上げて自分の愛人にした(278~280ページ)とかのエピソードの方に義満の傍若無人ぶりを感じてしまいます。もっとも、当時の公家社会では「密通」は処罰されることもなく、妻を召し上げられた後も旧夫は妻との関係を続けることができそれが発覚しても妻としての務めをやめることがなければ妻と主君の関係も続いた(281ページ)そうで、それもまた驚きます。


小川剛生 中公新書 2012年8月25日発行

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