伊東良徳の超乱読読書日記

雑食・雑読宣言:専門書からHな小説まで、手当たり次第。目標は年間300冊。2022年に続き2023年も目標達成!

アンジュと頭獅王

2020-12-20 23:08:22 | 物語・ファンタジー・SF
 童話「安寿と厨子王」を厨子王の逃亡ないしは復讐のための旅程を現代まで800年余に延長し、源氏物語なども入れて変形した童話。
 もともと過酷な運命を強調したフィクションですが、厨子王の放浪ないし逃亡を現代に至る800年余とすることで非現実性がより明白になり、むしろパロディ化されて悲しみを感じにくくなっているように思えます。過剰な表現が、一定の程度までは読者の感情を揺さぶるのに効果があっても、度を超すと白けるということを実感させたいのでしょうか。私には今ひとつ作った意図が理解できませんでした。
 アンジュは生き返らせながら、乳母うわたきはどうなったかわからず、作者に見放されています。命を失っても身分が低い故に顧みられないうわたきの運命にむしろ同情してしまいました。


吉田修一 小学館 2019年10月5日発行
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未来からの脱出

2020-09-27 00:03:08 | 物語・ファンタジー・SF
 食事や本、映画、スポーツ中継等の娯楽は提供され、職員が入居者の健康状態を把握して対応してくれるが、職員は日本語を話さず入居者からのコミュニケーションは取れず、ソフトに管理されて外出はできない施設に入居している脚力の弱った老人サブロウが、自分が入居した経緯等についてどうしても思い出せず、他の入居者も同様であることに疑問を感じて、職員の目をかいくぐって脱出を試みるという展開の小説。
 入居に至る経緯の記憶がなく、脱出方法についてのヒントのような印や道具が自分の身近に隠されていることをめぐっての検討や推理を重ねる前半は、ある種のミステリーになっていて、楽しく読めます。
 他方で、施設に関する謎の部分というか、世界の設定は、ちょっと大がかりに過ぎる(だからSFと位置づけたのですが)ように思えますし、論理を弄んでいる感じで、私には読み味を悪くしているように感じられました。
 「未来からの脱出」というタイトルは、主人公が「未来から」脱出しようとしているとは読めませんし、脱出しようとしているとすれば今ある未来から別の未来へということでしょうから行こうとする先もまた「未来」なわけで、この作品の内容にはそぐわないと思いました。


小林泰三 角川書店 2020年8月26日発行
「カドブンノベル」連載
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リスからアリへの手紙

2020-07-06 21:01:31 | 物語・ファンタジー・SF
 手紙を宙に放りあげると風が配達してくれる世界で、動物たちが互いに手紙を出し合うという童話。
 登場する多数の動物たちの中で、哲学的な思索にふけり思い悩むリス君、木に登ったりカタツムリの殻の上で踊りたがる身軽な象さん、ケーキ、特に蜂蜜ケーキを食べることしか考えていない熊君が、印象的で微笑ましく思えました。
 1996年の作品で、訳者が2016年に死亡しているのですが、何故今出版されたのでしょう。あとがきその他の説明がまったくないので、そのあたりの経緯がわかりません。童話の世界の不思議さよりも、そちらが不思議に思えてしまいました。


原題:Brieven aan niemand anders
トーン・テレヘン 訳:柳瀬尚紀
河出書房新社 2020年3月30日発行(原書は1996年)
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小説 君の名は。

2019-11-30 21:06:07 | 物語・ファンタジー・SF
 アニメ映画「君の名は。」の制作と並行して書かれた小説だそうで、映画と小説のどちらが原作といえるかは微妙なところだと本人があとがきで書いています(254ページ)。
 映画を見たときにも思ったのですが、前半で、山間部の集落糸守で神社の巫女の家系に生まれた女子高生宮水三葉と東京の男子高生立花瀧が入れ替わりを繰り返す過程で、瀧がこだわり続け、入れ替わる度に繰り返した胸を揉むこと(14~15ページ、85ページ、155ページ、200ページ)。女の体に入り込んだ男が好奇心から胸を揉みたくなる、それはよくわかる(現実に入れ替わったらどうなるのか、どういう感じなのか、もちろんわからないわけですけど)。でも、私が理解できなかったのは、瀧がいつまで経っても、何回繰り返しても、胸を揉む側の視点でいること。「見る」という行為は、基本的に見る側の意識が圧倒すると思うのですが、「揉む=触る」という行為は、自分で自分の体を触ったとき、触る側の触覚と触られる側の触覚がともにあり、むしろ触られる側の触覚の方が脳に強く感じられるように思えます。自分で自分の胸を揉むと、瀧の脳に、自分が胸を揉む感触と自分が胸を揉まれる感触がともに伝わり、揉まれる側の感触が否応なく意識されると思うのですが、女は胸を揉まれるとこういうふうに感じるんだという感想が、瀧から語られることは最後までありません。もちろん、現実にはあり得ないことを論じてもしかたないのですが、もしそういうことがあれば私なら第1に知りたいと思う女の側ではどういうふうに感じているのかに関心を持たず、さらには否応なく感じるはずのことさえ意識に上らない、そういう瀧の感受性の信じがたいほどの鈍さが、せっかく瀧に入り込んだ三葉が糸口を見つけてくれた奥寺先輩との関係を作れなかった原因なのでしょう。
 確かに「スマートフォン」の略が「スマホ」になるのは論理的ではないですが、今なお「スマフォ」と書き続けるこだわりも、若干、読み味の足を引っ張ります。


新海誠 角川文庫 2016年6月25日発行
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ハリー・ポッターと呪いの子

2019-11-16 22:53:41 | 物語・ファンタジー・SF
 ハリー・ポッターシリーズ7巻終了後のハリー・ポッターに反抗する次男アルバス・セブルス・ポッターの冒険を描いた舞台脚本。
 「ハリー・ポッターと死の秘宝」のラストシーンから物語が始まり、11歳になってホグワーツに入学するアルバス・セブルス・ポッターが、あろうことか、ドラコ・マルフォイの子スコーピウス・マルフォイと親友になりスリザリンに組み分けされます。息子の言動に心を痛めるハリーとハリーに反感を持つアルバスの親子関係を描きつつ、アルバスがハリーのせいで息子が殺されたと恨みを持つ老人エイモス・ディゴリーに触発され、逆転時計(タイムターナー)を奪って歴史を変えるために「ハリー・ポッターと炎のゴブレット」の三校対抗試合に潜入してセドリックを妨害したことから歴史が変わって大混乱にという展開を見せます。ハリー・ポッターファンには、シリーズの振り返り(主として「ハリー・ポッターと賢者の石」と「ハリー・ポッターと炎のゴブレット」ですが)と、ここでの「たられば」で結末がこうも変わるのか、三校対抗試合が重大なターニングポイントだったのかという気づきとわくわく感があり、幸福な付録になっています。しかし、演劇用の脚本という性格上、ビジュアルを意識した展開で、どうしても小説のようなディテールの積み上げがなく、また見せ場が「炎のゴブレット」の三校対抗試合ということもあってかアルバスの第4学年でことが起こる設定のため序盤となるアルバス(とスコーピウス)のホグワーツでの3年間がスカスカで、小説としてのシリーズの読後のような満足感は得られません。小説としてのシリーズの続編というよりは、映画の続編/スピン・オフ作品と位置づけて読むべきでしょう。


原題:Harry Potter and the Cursed Child , Parts One and Two
J.K.ローリング、ジョン・ティファニー、ジャック・ソーン 訳:松岡佑子
静山社 2016年11月11日発行 (原書も2016年)
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遠野物語

2017-09-03 22:16:20 | 物語・ファンタジー・SF
 民俗学者柳田国男が、遠野出身の学生佐々木喜善から聞き取った遠野の民間伝承をとりまとめ、民俗学をスタートさせた記念碑的作品。
 個人的には、すでにおぼろげな記憶となっていますが、高校の現代国語の先生が柳田国男ファンで柳田民俗学を熱く語ってくれて、なんとなく柳田国男は食わず嫌いしていて、これまで読まなかったのですが、今回、カミさんと花巻・遠野旅行をすることになって、慌てて読みました (^^;)
 女・子どもが簡単にさらわれて行方不明になる話が多く(宮澤賢治の「グスコーブドリの伝記」でもブドリの妹ネリがさらわれ、私はそのシーンにいつも涙を禁じ得ないのですが)、弱肉強食の世での庶民の悲哀を感じます。
 読んでいて一番感じたのは、物語として見たとき、勧善懲悪の話がとても少ないこと。私の印象では、63番の山中の不思議な立派な家(マヨヒガ)に迷い込みながら何も持ち出さなかったために後日手元に赤い椀が流れ着きその椀を使って米を量ると米がいつまでも減らなかったという話くらいです。ただ不思議な思いをした、怖い思いをしたという話が多くありますが、特に悪いことなどしていないけど不条理に被害に遭い、悪いことをしても特に罰を受けずにいるという話も淡々と語られています。説教くさい話は受けが悪く伝承されなかったということでしょうか。庶民の強さ、したたかさを感じます。
 新潮文庫で、2016年6月1日発行なのですが、元々古くから新潮文庫で出版されているのに、「新版」とか「新装版」とかの表示もなくこのような表記になっているのはどうしてでしょう。


柳田国男 新潮文庫 2016年6月1日発行
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過ぎ去りし王国の城

2017-02-18 22:05:41 | 物語・ファンタジー・SF
 目立たない個性に乏しい友達の少ない中学生尾垣真が、銀行の掲示板に張り付けてあった中世の城のようなものを描いた風景画に引き寄せられる感覚を持ち、仲間外れにされ孤立している絵がうまい元同級生城田珠美に、その絵の中にツバメや人間の絵を描かせてそれをアバター(分身)として絵の中に入り込み、絵の世界と絵の成り立ちの謎に挑むという設定のファンタジー。
 「絵のなかに人が入ってしまうって話は、珍しくない」(88ページ)と、城田に言わせていますが、やっぱり「ナルニア国物語」第3巻のイメージかなと思いますし、別の世界にアバターを送り込んでそれと接続した外界で体が眠り込んでいるというのは映画の「アバター」のイメージで、どこかで見たようなアイディア・イメージのつぎはぎ感があります。それで1冊書けるのも才能ではありましょうが…
 主な登場人物3人の中で、語り手の尾垣真が一番未熟で狭量でわがままというのが、ある種の新鮮さを感じさせるか、読者に入りにくさ・違和感を感じさせるか、も読後感・作品への評価を左右しそうです。


宮部みゆき 株式会社KADOKAWA 2015年4月30日発行
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生存賭博

2016-11-05 20:32:30 | 物語・ファンタジー・SF
 ドイツ中部の山岳地帯に塩でできた怪物「月硝子」が夜に大量に出現し人々を殺戮して夜明けには消えるようになり、月硝子が出現する区域を高く硬い壁で囲いその中で一攫千金を狙う貧しい者たち10人を閉じ込めて月硝子の攻撃をしのいで最後に生き残った1人に高額の賞金を与え、中継を見る都市の住人や全世界の者たちが生き残る者は誰かを賭ける「生存賭博」を実施するようになった都市で、10歳の時に月硝子に襲われるところを「姉」に助けられて以来目にしたものを瞬時に記憶し忘れることができず記憶を随時引き出せるという特殊能力を獲得し今は闇の賭け屋(ブックメイカー)として生きる琉璃=アンナ・ミュンヒハウゼンが、外界から侵入し賭けの最中に月硝子を粉砕した「騎士」、街のギャングと癒着した警察の中でギャングたちに反感を持つ対月硝子特別出動課の者たちとともに、ギャングのボスらと、「騎士」の正体とその背後の組織と生存賭博の存続などをめぐり争うという仕立てのSF小説。
 ギャングたちの賭博の寺銭が25%、「つまり賭ける側の期待値は七五%になるので、かなりの額を胴元側にボラれることになる。」(44ページ)という記述は、当然、日本の競馬・競輪・競艇の還元率が約75%であることを意識して、ボッてるよねぇと言っているのでしょうね。サッカーくじは約50%、宝くじに至っては約45%というのは、もう皮肉る気にもなれない水準ということなんでしょうね。
 月硝子の猛威と殺戮への恐怖感が、後半では「姉」への思い、特殊能力の謎ときとゲームの要素が強くなりすぎて薄れてしまうのが、それらの謎解きやゲームが読ませどころなのだとは思いますが、私には少し興ざめでした。


吉上亮 新潮文庫 2016年5月1日発行
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タラ・ダンカン12 魂の解放 上下

2015-09-12 18:12:59 | 物語・ファンタジー・SF
 魔術が支配する「別世界」の人間の国「オモワ帝国」の世継ぎの18歳(12巻時点)の少女タラ・ダンカンが、様々な敵対勢力の陰謀や事件に巻き込まれながら冒険するファンタジー。
 12巻では、悪魔の惑星ブーリミ・レミを攻撃していた、悪魔の魂を吸い上げてエネルギーとしている謎の彗星が行方をくらましたため、その目的は彗星がまだ破壊されていない悪魔の宝を探しに行ったとみたリスベス女帝が、タラ・ダンカンと仲間たちに先回りして悪魔の宝を回収することを命じ、タラとその仲間たち、同行する悪魔の王アルカンジュらが宇宙船で悪魔の宝の隠し場所に向かい、その先で冒険を重ね…という展開をしています。
 著者は、公式サイトのFAQ(現在はこちら)で「マジスターの正体は最後の巻で明かされるわ。そこでダンヴィウを殺した理由もわかるはずよ」と予告していました。しかし、12巻でも、マジスターの正体は結局は明確にされず、「ダンヴィヴを殺した理由」など、どこにも触れられていません。ストーリー展開から、すでにマジスターの正体など、読んでいてあまり興味も持てませんでしたし、ダンヴィヴの死に関してはすでに7巻で明らかにされていましたから何の意味もないのですが、読者に予告したことを平気で無視する著者の姿勢には、とりわけ子ども向けのファンタジーであることを考えれば、失望を禁じ得ません。訳者があとがきでその点について著者に聞いたところを示して言い訳をし、付録の「別世界通信21号」(12巻下付録)の編集長インタビューでフランスの出版事情の「おおらかさ」を語らせて言い繕おうとしていますが、第1巻時点から10巻で完結と言っていたのを途中で12巻に延長した挙げ句、第12巻で完結したのは「第1期(第1サイクル)」だと言い出したことと合わせ、著者の姿勢には不誠実さを感じます。
 ラストについても、収拾が付かなくなって大きな力を持ち出して全部それで解決できることにしてしまうご都合主義的なもので、ファンタジーなんだから、もともとが論理を超えた設定・展開なのだからということで大目に見てよいレベルなのか、私には疑問に思えます。公式サイトのFAQで「10巻分のシナリオはすでに私の頭の中にある」と言ってきたにしては、緻密さ、論理性を欠き、積み上げてきたストーリーは何だったのかと思えます。
 タラと仲間たちを見守ってきた、12巻を読み続けた愛読者には、それぞれのキャラへの愛着とその成長を読むという点では、そこそこに満足できるかとは思いますが。


原題:TARA DUNCAN L’ULTIME COMBAT
ソフィー・オドゥワン=マミコニアン 訳:山本知子、加藤かおり
株式会社KADOKAWA(メディアファクトリー)
2015年8月7日発行(原書は2014年)

11巻は2014年8月17日の記事で紹介しています。
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沈黙の書

2015-07-23 23:53:41 | 物語・ファンタジー・SF
 「夜の写本師」「魔道師の月」等の作品群で独特の存在感を示す作者が、「コンスル帝国」建国前の戦乱の時代を生きた青年「風の息子」ヴェリルが殺人を嫌いながらさまざまな場面で敵兵と戦い、付きまとう「長い影の男」と問答・心理戦を繰り返し、生まれ故郷風森村の仲間たちを思いながら、戦乱の世で平和と希望を目指す姿を描いたファンタジー。
 「魔道師の月」で、純粋な悪意としての「暗樹」を登場させ、敵対者として描いていたのに対し、この作品で主人公ヴェリルに付きまとう「長い影の男」は悪意そのものではなく自身も悩みを持つ一歩引いた誘惑者と位置づけられます。あわせて「黒い獣」「黒い靄」「黒い風」「赤黒の雲」などが邪悪さを象徴していますが、統一した敵対者ではありません。現実にヴェリルを縛り突き動かす者も、どこか場当たり的に変わっていく印象です。この作品では、強力な敵との戦いというよりは、仲間たちを平和に暮らしたいと考えるヴェリルが持って生まれた魔法の力ゆえに「運命」に翻弄され、本意に反して敵兵を殺戮せざるを得ない状況に追い込まれ、自己嫌悪に陥り悩み葛藤する姿をテーマとしています。
 ただ、あれこれ悩んだ末の結末/ヴェリルなりの(あるいは作者なりの)解決策が、言葉を持たぬ「蛮族」の侵略に結束して戦うことで文明人間では同盟的な平和が訪れるということ、要するに外敵を設定してその外敵を「鬼畜」と評価することで達成されるというのでは、現実世界にも多い排外主義政治家の言説レベルで、がっかりします。これだけむごたらしく殺戮を描き、ヴェリルを悩ませるのであれば、もっとすっきりした平和か、より高度な思慮の結果が欲しいと思いました。


乾石智子 東京創元社 2014年5月23日発行
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