船大工になるなら牛窓で修行を積め!
と言われた牛窓の町である。
その牛窓に、数年前から度々通い、
和船の残り香を収集している。
昭和30年代 (撮影:石津良介)
昭和40年代 (撮影:つげ義春)
平成22年 (撮影:高原次郎兵衛正伸)
この撮影時には、右前にあった櫓の大工さんの家が
解体されて無くなっている。
今回の牛窓行きでは、
正面の大きな洋品屋さんの屋敷が
解体されて無くなっていた。
更地を見て、
写真を撮る気もなくなってしまう程寂しい。
もったいない、もったいない、とつぶやいてる間に、
どんどん記憶喪失は進行しているのだ。
そんなことを思いながら、
東服部家 をぶらりと訪ねてみた。
腰が抜けるほど、スゴイお屋敷である。
東服部家 は、
和船の船材 日向弁甲(飫肥杉) を商っていた牛窓の豪商。
現在では米蔵が、
牛窓シーサイドホール として活用されている。
ここで、支配人の小家さんから、
船大工の道具や技について、
いろいろと貴重な話を聞くことができた。
記憶が失われる一方で、
なんとか地域の歴史文化を守ろうとして
頑張っている人もいる。
今年の9月に、
日向弁甲 の津出し港だった油津に
立ち寄ったことを思い出す。
九州遊行 その10
http://blog.goo.ne.jp/sholly/d/20121010
日向弁甲 は油津から牛窓まで長い旅をして、
この町で和船に加工されたことを考えれば、感慨深い。
次に、
毎回のことだが、
建造途中の和船が、まだあるかどうか確認して、
同じく、毎回のことだが、
牛窓船溜りに コーニッシュクラバー24 が
浮かんでいるかどうか見に行く。
この コーニッシュクラバー24 は、
純粋に欲しいヨットである。
いつの日か、
このヨットのオーナーと偶然出会って、
「船を譲ってください!」 と言う自分の姿が見える。
まったくお金がないのに、
そんなことを言うだろう自分がオカシイ。