Life in America ~JAPAN編

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ソシオロジー ~その3 ~ “教育と宗教”

2008-11-15 03:47:26 | アメリカ生活雑感
夕べ、英語でしゃべらないとを見ていたら、ブルーマンが素顔で納豆を食べていた。
よく見ると、たれ目の感じがポール・スタンレーにうりふたつだった。
唐突ですが。



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なかなか面白かったソシオロジークラスも残すところあと数回。
いよいよ今週から、6つに分かれたグループでの「研究発表」に突入。
私たちのグループは「国別に見る大学教育の違いについて」をプレゼンする予定(12月4日)なのだが、まだ何も手をつけていない状態。
この土曜日はそのため緊急出動してグループミーティングすることになった。とほほ。


ところで、以前このクラスで「Eucation and Religion(教育と宗教)」について議論したことがあった。

35人のクラスの半数は、もちろんクリスチャン(カソリック)。
モスラム、1名。
ヒンドゥー、6名。(全て、インド人)
仏教、0名。
アゴノスティック(Agnostic:特にナシ)、1名。
エイシエスト(Atheist:無神論者)、2名。
その他挙手ナシ、数名。


エイシエストで手をあげたのは、台湾のCくんと私。
正直、心中は「“連れ”がいてくれてよかった。」とほっとした。
アメリカでは、特にコンサバな地域ではエイシエストは罪人のような目で見られると聞いていたので、クラスの人たちは、この思い切り手をあげたふたりのアジア人をどう思っているんだろう、と興味がわく。

先生がおのおのの信者に「なぜその宗教なのか?」を質問。
親がそうだったから、またはインドのように国の宗教だから自然にその中で育ったというのが答え。
ある、クリスチャンだという黒人の女の子が言う。
「はっきりいって誰も死んだあとのことなんて知らないわよ。善人は天国に行くとか罪を犯したら地獄に行くとかなんてわかんないじゃん。誰か天国に行った人が戻ってきて、『Yo、天国ってこんなとこだったぜ』って言ってくれれば信じるけど」
一同爆笑。

ヒンドゥーの教えにいたっては「輪廻転生」。
悪いことをしたら虫に生まれ変わるなどといわれても、生まれ変わった虫が「ちーっ、前世は人間だったのによ」とはよもや思わないだろう。

そして、質問がエイシエストのふたりに飛ぶ。
なぜエイシエストなのか?

「中国でも何千万人という僧がいて、その人生のほとんどを全国行脚と修行ですごしているけれど、次の生のために今その時間を無駄にするほうがナンセンスじゃないかと僕は思う。今、この人生を自分のために生きることが大切なのでは」
台湾のCくんの意見には全く賛成。

次に意見を求められたので、
「私はただ、特定の神を持たないという立場です。日本では“神道”という考えが根付いていますがこれは特定の神を持たず、自然の生きとし生けるものやご先祖をあがめ敬意を表する、スピリチュアルなもので宗教とは一線を画しています。
私も追い込まれたときは心の中で思わず“カミサマお願い”と言ったりしますが、それはキリスト教のような神ではありません。」

特に何の信仰もない日本人が、外国で宗教的立場を聞かれたときに用意しておく答えは次のふたつだろう。
アゴノスティックとエイシエスト。
前者はどちらかというと「こだわりなし」、後者は「何も信じない」という立場。
「エイシエスト」は“主義”というニュアンスが加わるぶん、強さが増すかんじ。
私は多分、アゴノスティックに近いエイシエストということになる。
まぁ、敬虔な仏教徒やクリスチャンをのぞくと、ほとんどの日本人はアゴノスティックじゃないだろうか?(あくまで私の推測)

「日本人はキリスト教徒でもないのにチャペルで結婚式をあげ、神の前に平気で“誓います”。そのくせ和式も混同したりしているので、この場合宗教はファッションのようなもの」とレポートに書いたら、かなり受けていた。

そのあと話が教育に話が及んだのでどうしても聞いてみたくなって思わず手をあげた。
このクラスは、タブーなし、個別の批判や攻撃なしをモットーとしているので今がチャンスだ。

「映画『ジーザス・キャンプ』を見た人はいますか?映画の中で子どもたちがファンダメンタリズムをいかにも簡単にindoctrinate(吹き込まれて)されているのを見て、衝撃を受けました。もしこの中にキリスト原理主義の人がいたら、そのあたりを教えてもらいたいのですが」

ちょっとやばかったかなー、でもいいや。興味があることは推測するより本人に聞け、だ。

し~~ん。
誰も手をあげない。
それを見て先生も「多分このあたりには(原理主義は)いないよ」と言う。
本当にそうなんだろうか?
通学途中に原理主義(クリエイショニズム)教会があるのを見た。「このあたりにいない」というのはきっと正しくないだろう。
いるけれど公になっていない、または子どもたちは学校や、もちろん大学には(ソシオロジークラスなどもってのほか!)通っていない、のどちらかか?

ブラックホールに入っていきそうだったので、この話はここでやめることにした。

「・・・つまり何が言いたかったかと言うと、私はすべては教育からだと思っています。もし私がモスラムの国や両親のもとに生まれていたら当然モスラムになっていたでしょう。要するに、どこで生まれどんな教育を受けるかによってある程度信仰は定められてしまうのではないでしょうか?」

発言はしたものの、あまり食いつきなし。
やはり宗教というトピックはソシオロジークラスの若者にとってもざっくばらんに話せないことなのかな。
しかし、これを知らないと本当のアメリカは永遠にわからないような気がする。


家に帰ってそのことをPちゃんにすべて話すと「よく言ったねぇ。そのとおりだけど・・」と唖然とされてしまった。
怖いものナシとはこのことか?
それとも、“Ignorance is bliss(知らぬが仏)”だったのか?



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