第4章 「紡ぐ」
かくしてめでたく(?)「シン・あらそわ連」は団体仮登録を済ませ、会議室をお貸しいただけることになった。
「阿波踊りの練習はうるさいから断らることもあります」というトホホな条件付きだが、ひとまずは、近々のイベントでは更衣室に使えることができるので本当にありがたい。
駅ビルでイベント会場にも近く、外国人たちもなじみのある場所なので迷うこともない。
4月15日の徳島新聞に掲載された「春の阿波踊り」全面広告に、「シン・あらそわ連」の名前も無事に掲載された。
2か月前には影も形もなかったこのグループが、練習の成果を見せる時が近づいていた。
5月1日、雨天で二日順延となった「春の阿波踊り”紡ぐ”」が開催された。
約1000人の踊り子が参加、久々の制限のないGWとあって多くの人々でにぎわった。
徳島城公園という、450年前に阿波踊りが生まれた場所での開催であり、有名連だけでなく県内外問わずユニークな連が参加したことにより、本来の”民衆のお祭り”を存分に味わえたことは将来に向けて大きな布石になったと思う。
この祭りで参加連を募集していると知ったのは2月初旬。
そこから紆余曲折を経て、こうして「シン・あらそわ連」は無事祭りデビューを果たすことができた。
「協力」という二文字に執着したわりには、3年間倉庫で眠ったままの揃いの浴衣も高張提灯も、TOPIAからは何も貸してもらえなかった。けれど今は仕方ない。
それに、かえって工夫を凝らして手づくりでできたという自信につながった。高校の体育祭を思い出す。😅
自分たちの手でこの連を作り、自分たちでお金を出し合って練習し、揃いの手ぬぐいを作り、一つになれた。
浴衣などまだいらない!踊りもままならぬ状態で、フルコスチュームはかえって動きづらく苦痛なだけ。
ブルーを基調としたトップスと、動きやすい靴。それだけが今回の「シン・あらそわ連」のドレスコード。笑顔で踊れるなら、そちらのほうがよほどすがすがしいではないか。
私たちのダイバーシティーは、頬にプリントされた「国旗スティッカー」が物語る。
14か国、23人による笑顔満開のデビューは、たった10分間、たった50メートルで終わってしまったけれど、阿波踊りをはじめて経験した彼らの瞳の輝きを見て、「やってよかった!」と思った。
協調していこうと思ったところから出ばなをくじかれ、主催メディアにもほとんど無視された。しかし、そんなことなど踊っている彼らには全く関係のない些細なことにすぎない。
踊りたい人たちが集まって、プロ・アマ、協会、市、県のしがらみなく踊る。それこそが蜂須賀さんが許した無礼講の踊り、阿波踊りなのだ。
さて。しがらみのない私たちのチャレンジは続く!
私は、やれるだけのお手伝いをやれる範囲でやっていくのみだ。
(「根本的問題はどこにある?」・・へとつづく」