Life in America ~JAPAN編

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人よりほんの少し努力するのがつらくなくて、ほんの少し簡単にできること。

2020-04-13 18:09:59 | ニッポン生活編
東京五輪の「オリンピック・マーチ」、高等野球大会歌「栄冠は君に輝く」、はたまた阪神タイガース応援歌「六甲おろし」などの数々の名曲を世に送り込んだ昭和の作曲家、古関 裕而( ゆうじ)を主人公のモデルにした朝ドラの『エール』に、どっぷりはまっている。
 
何をやっても人より鈍く、あがり症とどもりのせいで学校ではいじめられキャラだった少年時代。
そんな彼の音楽の才能をいち早く見抜いたのが音楽担当の藤堂先生だった。先生は彼にこんなエールを送る。
 
「人よりほんの少し努力するのがつらくなくて、ほんの少し簡単にできること、それがお前の得意なものだ。それが見つかれば、しがみつけ。必ず道は開く」
 
なんと簡潔にして心に響く言葉だろう。
この言葉に勇気をもらい、彼はのちの大作曲家になっていく。
子どもの頃に大人からかけてもらった言葉の影響は大きい。
「ただひとつ、これで生きていく」と言えるものを持った人は、少なからず”運命の出会い”を経験しているにちがいない。
一本の道で生きている人たちを見るとき、多趣味なだけで何においても一流になれなかった器用貧乏の私は、憧憬とも嫉妬ともコンプレックスとも、なんとも表現しがたい気持ちにさいなまれてしまう。今もそうだ。
 
でも、この年齢になって「死ぬまでやりたい」と思うものに昨年ふとある瞬間に出会ってしまった。それが「浄瑠璃義太夫」だった。
これまでの人生、いろんな芸事をやってきた。どれもみな好きだったのだが、全てはここに終結するためのものだったのではないかとさえ思う。
なんといっても「終わりのない奥深さ」にすっかり魅せられている。
 
義太夫を教えていただいている師匠が、以前こんなことをおっしゃっていたのが忘れられない。
 
「私、小さいときから浄瑠璃が面白うてたまらんかったから、逆にこんな面白いものに興味がない人の気持ちがわからんのよ~」
 
人形浄瑠璃(文楽)ははっきり言ってあまりポピュラーな芸能ではない。
これを世間にどうやって知ってもらうか、興味を持ってもらえるかを日々考えている私たちとは真逆に、彼女からするとなぜ興味を持たないのかがわからないのだという。
「子どものころから面白くてのめりこんで、一度も嫌いになったことがないと言い切れる、その道で生きている人」の一本筋の通った素の言葉に、ガツンと食らった気がした。
 
こう言い切れる人はしかし、他の人が想像できないような血のにじむ努力をしていることも忘れてはならない。
両親が浄瑠璃義太夫奏者という”根っからの義太夫”のお師匠も、子供のころは将来プロになろうとはよもや思っていなかったそうだ。
10代の頃から頻繁に舞台に出演していたし、プロになろうがなるまいが生活自体はさほど変わらないと思っていたからだ。
普通に結婚をして3児をもうけ、主婦と義太夫を両立していたノンプロ時代。20代後半になった頃、浄瑠璃の三味線弾きだった母の紹介で淡路の義太夫節人間国宝、鶴澤友路師匠(2016年103歳で没)と出会い、弟子入りをすすめられそこから人生が変わっていく。
 
毎朝、夫と子供たちを家から送り出して徳島から淡路まで車を走らせ稽古に通う壮絶な稽古の日々が始まった。
友路師匠は、練習をしていないとわかるとすぐに「いに!(帰りなさい)」と追い返してしまう稽古の鬼。
師匠の付き人として身の回りの支度、洗濯、掃除をしてからみっちりと厳しい稽古。夕方急いで徳島に帰って家族の夕飯支度と片づけをすませ、夜中すぎまで翌日の稽古をし、ほとんど眠らずにまた朝の弁当作り・・・体力の限界のような日々が何年も続いた。
 
そんな彼女を、家族は全力で応援した。
幼い子供3人をかかえる普通のサラリーマン家庭にとって、稽古代など出費は負担が大きく、両親が修行の間お金の援助を申し出てくれたのだという。
「嫁いだ後も親に援助を受けることは後ろめたいけど、今は甘えよう。そして一人前になったら必ず恩返しをしよう」と歯を食いしばって厳しい修行の日々を乗り切った。
 
その後部屋持ちの師匠として独立し、弟子も増えて今では徳島で一番の人数を抱える義太夫部屋を束ねる存在となった。
一昨年、国の重要無形文化財「義太夫節保持者」に認定され、より一層後継者の育成・指導に力を注ぐ。
 
 
かの友路師匠は、80歳を過ぎて「三味線が楽しくなってきた」と言い、100歳を過ぎて新しい演目にも挑戦をしていた方だった。
その教えを受けた我が師匠の筋の通り方も半端じゃない。
だからこそ、彼女の芸に妥協のない姿は見る人に感動を与えるのだと思う。
 
フリーランスをいいことに、起きるも寝るもフリーな生活をしているしまりのない己が人生を恥じ入るばかり。
義太夫を始めて1年。思いもかけず8回もの舞台を踏ませていただく機会に恵まれた。
これが私の「人よりほんの少し努力するのがつらくない」道だとすれば、しがみついていきたい。
なにより、義太夫節の世界はまだ先が長い。
目標は、80歳で「近ごろ義太夫節が面白くなってきた」と言うことだ。
 
 
 
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