Life in America ~JAPAN編

I love Jazz, fine cuisine, good wine

私を救った言葉。

2017-01-14 17:49:55 | アメリカ生活雑感

日本にいた3か月半、本当にいろんなことを考えた。
これまで真剣に向き合ってこなかったこと、無意識に避けて通っていた様々なことにいやがおうにも対峙せざるをえなかった。

親の老い、病気、別離・・。
その恐怖の真っただ中に突然放り込まれ、毎日がたがたと震えていた。
しかし、自分でも驚いたことにその恐怖は時間と共に少しずつ和らいでいった。
同じ日本に住んでいてもすぐに親元に駆けつけられない人がいくらでもいる。それに比べて私はこうして毎日両親のそばで精いっぱいのことができる、温かい母の体に触れ、目を見てうなずく母と会話をすることができる、私にはこんなに素晴らしい時間が与えられているじゃないか。
それに感謝しないでどうするのだ?

そんなある夜、恐怖を紛らわすためになんとなくつけていたテレビ番組に、私は決定的に救われた。
今まで一度も見たことがない『金スマ』。ゲストは古館伊知郎。
正直私はこの人をあまり好きではなかったのだが、この日彼は「自分が喋り続ける理由」として、今まで多くを語ることがなかった姉の死について全てを吐露していた。

口下手でシャイだった古館と違い、6歳上の姉はアナウンサーを夢見るおしゃべりで快活な女性だった。
しかし、37歳の若さでスキルス性胃がんを発症、3度の手術を受けるも次々と転移が見つかり寝たきりの闘病生活を余儀なくされる。
当時はまだ本人に癌の宣告はおろか余命宣告などしなかった時代、家族は本人に本当の病状を告げずに「今によくなるよ」とウソの励ましをしつづけるほかなかった。
幼い二人の子供を残して死にゆくであろう姉を想うと、古館自身もこれでいいのかと無力感に胸をかきむしるような想いだったという。

そんなときのこと。普段は口数少ない父がある日、姉を見舞った帰り道一杯ひっかけたのか上機嫌で帰ってきた。
その理由に家族は言葉を失った。

「俺は毎日病院に行って、背中をさすりながらこう言い続けたんだよ。
『恵美子、お前はもう死ぬよ。だけど、お父さんも出来るだけ早めにいくから安心して待ってて。
今は分からないと思うけれど、死期が近づいて行けばだんだん楽になるよ。だから大丈夫だからね。
まだ経験はないけれど、いろいろ聞くところによると人は生きたいと思うエネルギーが低下するから死に向かうので、その時は怖がる自分はもういなくて、スーっと眠っていくようだって何回も聞いたよ。』

毎日毎日、昼休みに会社を抜けて病院に通っては娘の背中をさすりながら同じ話を聞かせつづけた父。それを、泣きながら聞く娘。
そしてやっと、この日娘は黙って父の話をすっと受け止めた、それがうれしかったのだ、と。

それを聞いた古館は当初、父を責めた。
しかしこれこそが本当に死にゆく姉に言わなければならなかったことだったのではないかと気づき、今ではとても感謝していると同時に、本当のことも告げられずにごまかし続けていた自分を恥じたという。
誰もやりたくなかった嫌な役どころを父はやった、その覚悟が自分にはなかった、と。

「少しでも生きていてほしい、化学療法を受けてほしいというのは全部身内のエゴだと思う。姉に生きていてほしいと思うのは俺の気持ちでしかない。でも、本当のところなにが正解なのかは誰にもわからないんです」


「その後悔の念と、アナウンサーになりたかった姉の分も生きねば、しゃべらねば、伝えねば、という気持ちこそが、自分の原動力になっている。なぜなら、俺は今生かされているから。死んだ姉や父や母と共に生きている、そう信じている」そう叫んだ古館を見て、私は奮い立った。
この言葉が私にどれだけの勇気をくれたか、計り知れない。
この夜、普段は絶対に見ることのないチャンネルをつけ、この番組を見たのは偶然ではなく必然だったのかもしれない。
そう思わざるをえなかった。

それ以来、私はひたすら前を向いて進んでいく勇気と覚悟ができ、強くなれた。

怖がりでさびしがり屋の母に「これから良くなることはないよ」とは絶対に言えなかったが、病院に見舞って毎日毎日きれいな顔をさすり、体をマッサージしながら耳元で繰り返した。
「私が家のことは全てちゃんとやってるから安心して。お庭も家の中も、ピカピカにしてるよ。家やパパのことはな~んにも心配しなくてもいいよ。私に任しとき。絶対に守って見せるからね」
自分のことよりも家族のことばかりを心配していた母の気持ちを安らかにさせてあげることが、私の役目だと確信していたから。


「金スマ」の最後、古館が昨年7月に亡くなった永六輔さんのこんなことばを紹介していた。


「人間は二度死ぬ。
一度目は個体がついえたとき。そこから先はまだ生きているんだ。
二度目の死がない限り、人はずっと生きている。
誰かが自分のことを思ってくれている、誰かが自分のことを記憶に残している、時折語ってくれる、これがある限りは生きつづけてている。
そしてこの世界中で誰一人として自分のことを覚えている人がいなくなったとき、二度目の死を迎えて人は死ぬんだよ。」



人間の死なんて、ただの個体でのことでしかないのだから悲しむことなんてないのだ。
だからもっともっと、語って笑って共に生きよう。


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