Life in America ~JAPAN編

I love Jazz, fine cuisine, good wine

もの想う、秋。

2016-08-31 17:01:28 | アメリカ生活雑感
最近、なるほどな、と深く考えさせられたふたつの記事。

ひとつは、『情熱大陸』のプロデューサー、福岡元啓氏の対談記事。
「世の中で“挑戦する人”は、いったい他と何が違うのか?」と聞かれて、彼はこう答えている。

「無視する力が強い人」だと思います。無視する力が異常に強くないと挑戦って難しいと思うんですよ。
それは政治家とかほかの人を見ててもそうなんですけど、絶対なにかやろうとすると、絶対にほかの誰かがなにかを言い出すんですよ。そのときに無視する力が異常に強くないと、その先に進めないですよ。」
「政治家で2人、無視する力がめちゃくちゃすごい人がいるって聞いたんですよ。それは小泉純一郎と小沢一郎。これは誰になにを言われても無視。それで突き進む。だから破壊力があるって聞いたことがあって。一途に農家をやってるような人たちもある種の挑戦ですよね、人と違う暮らしをしてるので。それってやっぱり「誰からなにを言われても突き進む……」という強さがあると思うんです。才能ではないんですよね。挑戦して上にどんどん進んで行く人というのは。才能じゃないってすごい陳腐な感じがするかもしれないですけど。」

『情熱大陸』で印象に残ったゲストは誰? 担当Pが語る“その道のNo.1”の共通点より。


無視する力。力強い言葉だなぁ。

日本の社会では「無視する力が強いです」なんていうと、とかくKYだとか嫌われ者というレッテルを貼られがちだが、私も無視する力を大切にしている。
もちろんそれは「周りを100%無視する」のではなく、「自分にとって本質に関係ないモノやヒトは無視する」という意味。
周りの人にどう思われるかな、うまくやっていかねばな、などと日和見主義に考えていたら短い人生あっという間に終わってしまう。
自分がこう生きる、と決めたら雑魚がどうほざこうが放っておく、その覚悟が前を向かせてくれる。

それを最も強く感じたのは5年前。
連れが仕事を突然失い、二人とも途方にくれた。
この国では私たちは二人とも“外人”である。だから、仕事の切れ目が縁の切れ目。90日以内にこの国を追い出される危機に直面した。
私には日本というれっきとした「祖国」がある。両親も、多くの友人もいるし、仕事も探せばあるだろう。しかし、連れにとって見知らぬ第3国の日本で言葉もわからず暮らすことは、考えられない選択だった。
それよりもなによりも、彼のキャリアを考えたらアメリカでもうひとふんばりしてやらねば、と強く思った。
私たちは戦友なのだから。

この国を出るタイミングは、私自身が決めること。
この国に「出ていけ」と言われるのではなく、私が「もうええわ、ホナサイナラ!」と言って出てやるのだ。
そう決めた瞬間、私はなりふりかまわず仕事を探し、同時にいちかばちか自分のビザ申請に奔走した。
少なからず私のやってきたことを認めてくれた人たちや、応援してくれる友人の助けもあり、首の皮一枚つながった。

そんな一番辛い時期に、一番非情な言葉をかけた人間がいた。

「アメリカでビザが切れたんなら、それはこの国があなたたちを不要だと判断したってこと。ここはそんなに甘くはない。とっとと日本に帰りなさい。」

友人だと思っていた人から言われたこの言葉はガラスのように私の心に突き刺さった。
私たちがここに至ったいきさつや家庭の複雑な事情や、追い込まれた人間の気持ちなど何も知らないでどうしてこんなことが言えるのだろう?。
しかも同じ日本から来て異国で暮らしている人だったから、なおさら不思議でたまらなかった。

あまりにびっくりして、この人を恨むというより、むしろこんなことを平然と言ってしまえる性格を生み出した「環境」や「育ち」に、強く関心を抱いたことを覚えている。
この人は心に「闇」と「病み」を抱えている。得体のしれない怒りや怨念がこの人の人生を支配してきたにちがいない、と不憫に思えた。
多分、その人には祖国や、親しい友人がいないのだろう。
精神的にも物理的にも「帰る場所」がない人は、外に攻撃的になる。この手の攻撃的な人は、もれなく私の中で別の「魚群」に行ってもらうことにしているので気にもならない。


どうしてそんなことを今になって思い出したかというと、ふたつめの記事を読んだからだ。
「自分の人生を生きていないとき」人は病気になる
(梯谷幸司・トランスフォームマネジメント代表、メンタルトレーナー)


「病は気から」というが、人は「病気になる」のではなく「病気になることを選ぶ」のである。
 病気は、「自分が本来あるべき人生からズレているんだよ」と知らせてくれるサインであって、敵や怖いものだと感じる必要はない。
 病気からヒントを得て、考え方をシフトしてみることで、体調だけでなく、人生にも変化が起きるかもしれない。
 病気、特に慢性的な疾患は、実はその人の潜在意識、つまり、病気を発生させている隠れた原因にある。


ものすごく、納得。
ここしばらく、私は自分の人生を生きていないなと感じる。
そう感じ始めてから、みるみる体調が崩れ始めた。
シングルス(帯状疱疹)が右顔面にでて七転八倒したり、あれだけぐっすり眠れていたのに過呼吸で眠れなくなったり。
自分のなかでいろんなことを諦めたとたん、この症状が出始めた。
そして、そのことは誰にも打ち明けられず、深く私の心の闇の中にあった。

今から思えば、私の体が「自分の本来の生き方からズレ始めているよ」と警鐘を鳴らしていたのだと思う。
体は実に正直だ。

「これまでに、乳がん、子宮がん、大腸がん、認知症、パーキンソン病、不妊症、学習障害など、さまざまな悩みを抱える人々に会ってきましたが、彼らに共通していることがあることに気づきました。「誰かに何か言っていないことがある」「許せない人がいる」「受け身的な解釈をする」「原因を外に求める」などです。」(梯谷氏)


連れ合いの心の病も、まさにこのパターン。全てがきれいに当てはまる。
加えていうなら、「許せない人」は肉親(母親)である。このことが彼を一層、暗闇に引きずり込んでいる。
5年前に私にガラスの一言を投げた御仁も、まさにこういうタイプだった。
両人の唯一の違いは、「他人に攻撃的かどうか」という点だ。(彼は内に向くタイプ)

面白いことに、人に攻撃的な人ほど攻撃される側に立つと弱い。加えて、攻撃に合う(合っていると過剰反応する)可能性も高い。
幼少期に受けたトラウマは、その人間を「コンプレックスの塊」にし、他人への攻撃性となって現れるのかもしれない。



今はただ、両親に感謝したい。
愛情をもって育ててくれてありがとう。
帰る場所を作ってくれて、ありがとう、と。
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