詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

「退位礼正殿の儀 国民代表の辞」の罠

2019-05-07 17:56:00 | 自民党憲法改正草案を読む
「退位礼正殿の儀 国民代表の辞」の罠
             自民党憲法改正草案を読む/番外260(情報の読み方)

 4月30日、平成の天皇が「強制生前退位」させられた日。安倍が「退位礼正殿の儀 国民代表の辞」を読んだ。
 そのなかの「天皇皇后両陛下には、末永くお健(すこ)やかであらせられますことを願ってやみません。」という部分が「願っていません」に聞こえると話題になっている。「願って已みません」と漢字で書いてあったのを読めずに「いません」と読んでしまったのではないか、という説が出ている。
 私はこんな読み違いはどうでもいいと思っている。首相官邸のホームページには、全文を掲載している。

 謹んで申し上げます。
 天皇陛下におかれましては、皇室典範特例法の定めるところにより、本日をもちまして御退位されます。
 平成の三十年、『内(うち)平(たい)らかに外(そと)成(な)る』との思いの下、私たちは天皇陛下と共に歩みを進めてまいりました。この間、天皇陛下は、国の安寧(あんねい)と国民の幸せを願われ、一つ一つの御公務を、心を込めてお務めになり、日本国及び日本国民統合の象徴としての責務を果たしてこられました。
 我が国は、平和と繁栄を享受する一方で、相次ぐ大きな自然災害など、幾多の困難にも直面しました。そのような時、天皇陛下は、皇后陛下と御一緒に、国民に寄り添い、被災者の身近で励まされ、国民に明日への勇気と希望を与えてくださいました。
 本日ここに御退位の日を迎え、これまでの年月(としつき)を顧(かえり)み、いかなる時も国民と苦楽を共にされた天皇陛下の御心(みこころ)に思いを致し、深い敬愛と感謝の念を今一度新たにする次第であります。
 私たちは、これまでの天皇陛下の歩みを胸に刻みながら、平和で、希望に満ちあふれ、誇りある日本の輝かしい未来を創り上げていくため、更に最善の努力を尽くしてまいります。
 天皇皇后両陛下には、末永くお健(すこ)やかであらせられますことを願ってやみません。
 ここに、天皇皇后両陛下に心からの感謝を申し上げ、皇室の一層の御繁栄をお祈り申し上げます。

 これが「正式文書」であって、安倍は緊張してことばにつまったと言えばそれだけである。誰だって言い間違えることがある。知らない漢字もあるだろう。リハーサルしなかったのかとは思うが、リハーサルしても緊張してど忘れしたとか、言い逃れは何とでもできる。
 私は、そういうことには興味がない。しかし、あるところで、この安倍のことばが引用されていて、そこには「言い間違い」以外の部分も引用されていた。
 そこに、たいへんな問題がある。そのことを書きたい。
 どこが問題か。

日本国及び日本国民統合の象徴としての責務を果たしてこられました。

 ここである。
 私は、飛び上がってしまった。なぜ、だれもこれを問題にしないのか。
 日本国憲法(現行の憲法)には、「象徴」について、こう書いてある。

第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

 ところが、安倍は「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」を「日本国及び日本国民統合の象徴」と言っている。言い間違いではない。(テレビを見ていないので、ほんとうにそう読んだかどうかは確認していないが、「正式文書」で、明確にそう書いている。) 「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」と「日本国及び日本国民統合の象徴」は似ているが、微妙に違う。なぜ、この微妙な違いをここに書き込んだか。安倍のことばの「原典」は何にあるか。
 2012年の自民党改憲草案にある。

第一条 天皇は、日本国の元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴であって、そこの地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。

 つまり、安倍は自民党の改憲草案を先取りして、それを「国民代表の辞」として言っているのである。
 これは、私に言わせれば「憲法違反」である。
 日本の現行憲法は天皇を「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」と規定しているが、「日本国及び日本国民統合の象徴」とは規定していない。
 規定していないのに、その文言で天皇を「定義」した。

 でも、「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」と「日本国及び日本国民統合の象徴」は、どこが違う?
 そういう疑問があると思う。
 同じじゃない? 文言が少し違うけれど同じ意味じゃない?
 だれもがそう考えると思う。だからこそ、安倍のことばのこの部分が問題になっていないのだが、逆に考えないといけない。
 もし同じ意味なら、なぜ2012年の自民党改憲草案は、その部分を書き換えたのか。書き換えたのには「理由」があるはずだ。
 現行憲法は「日本国」と「日本国民」を並列し、それぞれに「象徴」ということばを結びつけている。しかし自民党の改憲草案では「日本国及び日本国民」と一括りにして、そのうえで「象徴」ということばを結びつけている。「象徴天皇」を利用して「国」と「国民」を「一体」のものとして扱っている。言い換えると、「国と国民は一体のものであるから、国民は国の言うことを聞け」という「意味合い」が隠されている。
 そこまでは考えていない、とひとは言うかもしれない。しかし、私は、そういう風に疑る。
 「国と国民」の関係を、他の条文で確認するとわかりやすくなると思う。

現行憲法第二十二条 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
2 何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。

自民党改憲草案第二十二条 何人も、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
2 全て国民は、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を有する。

 「公共の福祉に反しない限り」が削除され、「国籍を離脱する自由を侵されない」が「国籍を離脱する自由を有する」に変更されている。「自由を侵されない」という場合は「侵してはならない」と言いなおすことができ、それは「国は、国民の国籍を離脱する自由を侵してはならない」と、国に対する「禁止規定」になる。
 自民党の改憲草案では、この「禁止規定」が消えてしまう。国民は「国籍を離脱する自由は持っているが、国はそれを禁止することができる」と解釈できる。そういう「余地」がある。
 改憲草案は、いたるところで国への禁止を削除している。それが改憲草案の特徴になっている。国が国民を支配するための憲法にしようとしている。
 憲法は国(権力)の暴走に歯止めをかけるものなのに、自民党改憲草案では歯止めを外している。
 安倍は、国民を支配しようとしている。その自民党改憲草案を先取りする形で、こっそりと平成の天皇を強制退位させることばのなかに折り込んでいる。

 この 「日本国及び日本国民統合の象徴」は、新天皇が即位するときにもつかわれている。「即位後朝見の儀 国民代表の辞」。その部分だけを引用する。

ここに、英邁(えいまい)なる天皇陛下から、上皇陛下のこれまでの歩みに深く思いを致し、日本国憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としての責務を果たされるとともに、国民の幸せと国の一層の発展、世界の平和を切に希望するとのおことばを賜(たまわ)りました。

 そして、おそろしいことに、このことばを新天皇にも言わせている。このことばは内閣の「検閲」をへて確定されたものだろう。

ここに、皇位を継承するに当たり、上皇陛下のこれまでの歩みに深く思いを致し、また、歴代の天皇のなさりようを心にとどめ、自己の研鑽に励むとともに、常に国民を思い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としての責務を果たすことを誓い、国民の幸せと国の一層の発展、そして世界の平和を切に希望します。

 平成の天皇は、どう語っているか。それと比較すると、違いがわかる。平成の天皇は、こう語った。

 大行天皇の崩御は、誠に哀痛の極みでありますが、日本国憲法及び皇室典範の定めるところにより、ここに、皇位を継承しました。
 深い悲しみのうちにあって、身に負った大任を思い、心自ら粛然たるを覚えます。
 顧みれば、大行天皇には、御在位六十有余年、ひたすら世界の平和と国民の幸福を祈念され、激動の時代にあって、常に国民とともに幾多の苦難を乗り越えられ、今日、我が国は国民生活の安定と繁栄を実現し、平和国家として国際社会に名誉ある地位を占めるに至りました。
 ここに、皇位を継承するに当たり、大行天皇の御遺徳に深く思いをいたし、いかなるときも国民とともにあることを念願された御心を心としつつ、皆さんとともに日本国憲法を守り、これに従って責務を果たすことを誓い、国運の一層の進展と世界の平和、人類の福祉の増進を切に希望してやみません。

 「日本国及び日本国民統合の象徴」はつかわれていない。新しく「挿入」されたことばなのである。
 「象徴としての務め」をどう継承するか、ということが新天皇の課題として語られることがあるが、そのときの「象徴」は、現行憲法の「象徴」ではなく、自民党改憲草案の「象徴」である。言い換えると、自民党の改憲草案が「先取り」されて、その宣伝のために天皇がつかわれている。
 改元に日本中が浮かれているが、安倍独裁は天皇支配を着実に進めている。
 そのことに目を向けないといけない。

 あるいは、この自民党改憲草案の宣伝ということを隠すために、安倍がわざと読み間違えてみせた、ということすら考えてみないといけない。
 ネットでは「不敬罪」だとか、「昔なら切腹だ」と、古くさいことばで安倍を批判しているが、そういう考え方自体、安倍が復活させようとしている考えだろう。そういう批判をしているひとは、半分、安倍の作戦に引き込まれている。
 いまの時代、天皇へのことばを読み間違えたくらいで、なんら問題はない。だからこそ、テレビなどで「笑い話」になっているのだろう。安倍が「私は発音が悪いので、聞き取りにくいのかもしれませんが、やみません、と発音したつもりです。緊張していたのでしたがうまくまわりませんでした」と言えば、それ以上追及のしようがない。
 問題は「記録文書」である。


#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位 
 


*

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池澤夏樹のカヴァフィス(139)

2019-05-07 10:57:24 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
139 西リビアからきた王子

 西リビアからアレクサンドリアに来た王子、アリストメネスは「本物以上にギリシャ人らしくふるまおうと務めた」。なぜなら、

野蛮なギリシャ語を口にするようなへまで
自分のよき印象を損うまいと
いつも戦々恐々としていた。
そうなったら、根が意地の悪いアレクサンドリア人は
彼をさんざんからかうだろうから。

 こういうことは、王子だけではなく、だれもが「体験」することかもしれない。他人からからかわれるのがいやで、おとなしくしている。「印象」を守ろうとする。
 カヴァフィスは、そういう「外見」を書くだけではなく、さらに一歩踏み込む。

彼が喋ることを極力控えたのはそのためだ。
文法と発音に精一杯気を配った。
言いたいことが身の中に溢れてきて
気も狂わんばかりだったのだが。

 「言いたいことが身の中に溢れてきて/気も狂わんばかりだった」は、詩人(あるいはことばを生きるひと)ならではの感情移入、対象との「一体化」だろう。「ことば」は「肉体」のなかに閉じ込めておけない。解放しないと、気が狂う。しかも、そのとき大切なのは「喋る」ということ、「声」にするということ。
 ここにカヴァフィスの「声の詩人」というものがあらわれている。

池澤の註釈。

カヴァフィス好みのアイロニーの話し。彼が詩でよくもちいるアイロニーとは、知識の落差がもたらす皮肉な感慨のことである。(略)この詩の場合、アリストメネスの心情をアレクサンドリアの人々は知らなかった。

 私は「皮肉」というものがよくわからない。「アイロニー」という外来語になると自分でつかった記憶がない(どうつかっていいか、わからない)のだが……。
 「アリストメネスの心情をアレクサンドリアの人々は知らなかった」というのは、いったい誰に対する皮肉? 「皮肉」ではなく、「アイロニー」?
 



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