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もう一度映画館で「SweetRain死神の精度」

GWが終わってからというもの、時間が取れなくて、でも小説を読む時間はあるので「死神の精度」を読み直しました。

すべてのシーン、すべての声が、金城君の「千葉」、小西さんの「一恵」、富司さんの「かずえ」になっていました。
あらためて小説の忘れていた部分を思い出したし、やっぱり映画はすごく上手く、そして深く映像化しているなぁって思いました。

たとえば「コイントス」。
これは一話、二話、三話をつなぐ糸の一つですが、小説ではそのつながりがなく、コイントスをするのは藤木一恵だけ。
でも小説の中の「美容師」もちゃんとコイントスに替わることをしているんですね。
最後の日、千葉に空が晴れているかどうか「賭けない?」とたずねるんです。

筧監督はインタビューの中で特に気に入っているのは二話で栗木のアジトに千葉と阿久津がなだれ込んでいってクライマックスに至る流れと、三話のラスト、千葉とかずえのシーンだと言っていました。
かずえがコイントスをして(もちろん私は表が出たと思う!)、千葉が一恵のSUNNYDAYを聞きながら雨が上がったことを知り、死神の正装で最後の会話を交わすまでのあの映画オリジナルの流れがとても好きです。

千葉はかずえに「また会えたな」といいます。
原作では老女は「一恵」じゃないからその台詞はありません。その代わりに千葉がなんというか覚えていますか?
「ずっと持っていたのか」。

ちょうど一年前の今頃、初めてこの原作を読んだときもこの台詞で泣きました。
もう一度映画館に行って「SweetRain死神の精度」を観てきます。
二時間たっぷり暗闇の中で、見ず知らずの人たちと同じ時間を共有しながら観る映画は、自分の部屋で独りみるDVDとはまた違った喜びがあるから。


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