神佛の加護をいただく

神佛の
ご加護をいただくには・・・
密教修行を通じて体験したことを書き続けたいと思います。

不可思議な働きに感謝する

2013年10月14日 16時28分16秒 | 秘密の教え・密教とは

私たち人間には 見ることの出来ない存在を どう信じるのか。

大日遍照金剛(だいにちへんじょうこんごう)さまの 存在を知るには

何を信じたら よいのでしょうか。


私たち人間には 五体があります。

五体とは 頭 頚(くび) 胸 手 足であります。

そして 目 耳 鼻 舌 身 意が 具わっています。


目は  ものを見ることが出来ます。 景色を見たり 絵画映画ドラマを見たり 等


耳は  音を聞くことが出来ます。 音楽を聴いたり 声を聞いたり 等

他人の言葉 鳥のさえずり 犬の鳴き声 猫の鳴き声 等


鼻は  におい。良い匂い 悪い臭いを 嗅ぐことが出来ます。

花の匂い 美味しそうな料理の匂い LPガスや灯油のにおい 等

快・不快を嗅ぎ分けることが出来ます。

息を吐いたり 吸ったり出来ます。


舌は  食べ物や飲み物の味を 味わうことが出来ます。

甘い 辛い にがい しょっぱい等 味覚ですね。


身は  ものに触ることが出来る。 行動 運動 ジョギング ウオーキング 等

身体を動かすことが出来る。旅行することが出来る。


意は  意識は心です。 気持ち 考えること 思うこと 疑うこと 等

意思 感情があるということ。 喜怒哀楽のことです。


そして 一番大事なことは 人間には 命があるということです。

もちろん 動植物 昆虫 爬虫類 等に至るまで 命があるということ。

自然の中にも 命があり 宇宙にも 命があります。

命によって支えられている 世界であります。

心臓が動いている 生きている事実を どう考えるか。

これらの働きは 私たち人間が

自ら勝手に 行っているように 錯覚しがちですが

そうでは ありませんね。


眠っている時も 生命維持の為に

無意識のうちに 働いているのです。

この不可思議な働き このことを 働かしめている力というか。

全ての 生きとし 生けるものたちの 生活する原動力というか。

このことを 生きている人間ならば

当たり前のことであると 考えるか。

このことに 感謝できる 感謝できないか。


この不可思議な働きを 現象を 事実を 現実を 真実を 信じる。

このことが 私たち人間の目には 見えない存在を 信じることであり

大日遍照金剛(だいにち へんじょう こんごう)さまの存在を

信じることに なるのです。


密教は スケールの大きい 教えです。

私たち人間は 大宇宙である 一大生命体の 一部であると。

大自然と 一体であると。

天地と我と同根であり 万物と我と一体であると。

なかなか 想像しにくいでしょうが このように 自覚するのは

難しいのでしょうが 自覚している 自覚していないに 関わらず

信じる 信じないに 関わらず

このことは 厳然とした 真理としてあるのです。


たとえば 湖水。シンと静まりかえった 鏡面のような湖の水面に

一滴の水が 滴り落ちます。そうすると 四方八方に波紋が広がり

一体となり もとの静けさに戻りますね。

湖の水と 一滴の水が 一体になる。

これが 大宇宙と自分とが 一体であるという イメージです。


合掌することは

右手は 大日遍照金剛さまであり 大日遍照金剛さまを表わし

左手は 私自身であり 私自身を表わし

左右の掌を合わせることによって

大日遍照金剛さまと 私は 一体であると 表現しています。

このことを 自らの身体でもって 示しているのです。


正身端座することは

足を組み 背筋を伸ばし 座ることは

この姿形こそが 佛さまの姿形 そのものです。


腹式呼吸することは

呼吸することは 息は命です。

息することによって 生きていられる。

息ながらえて いけるのです。

自らの命を 実感できるのです。


口に 南無大日遍照金剛(なむだいにちへんじょうこんごう)

唱えることは

大日遍照金剛さまへの 呼びかけであります。


心に 大日遍照金剛さまを 念ずることは

大日遍照金剛さまの み心 と

私自身の心を ひとつにする為です。

み心 と 心が 繋がりあうことです。



最後まで 読んでいただきまして 誠に 有難うございます。

このブログを 読んでいただいた方々に

ご利益(りやく)がありますように

合掌

 

 

コメント
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