墨象家 | 書家 | 木村松峯(木村峯子)のブログ shohokimura blog

伊豆の情報、世界の名画、ジオパーク、墨象、書道などの作品を日頃の日記とともに載せています。

書家・かな782/相模

2020年01月30日 19時49分24秒 | かな

<釈文> うらみわび ほさぬそでだに あるものを こひにくちなむ なこそをしけれ

百人一首 第65番                       = 相模 =

<意味> 恨み悲しんで、涙を乾かす暇もない袖さえあるのに、恋の浮き名のためにすたれてしま

うかもしれない私の名、評判がなんともまぁ、惜しいことですよ。

という意味です。

<観賞> 恋する相手の冷たいしうちに、突っ伏して嘆いている様子が目に浮かぶような和歌では

ありませんか?「ふられたらしいよ」なんて噂が流れて、自分の評判が落ちることを心配している

のではないと思います。こんな風に言わなければならないくらい、相手のしうちを恨めしく哀しく

思っているのだと思います。

<作者について> 相模は、いまから1000年ほど前の宮廷女官です。はじめ乙侍従(おとじじゅう)

と呼ばれていましたが、相模守(さがみのかみ)大江公資(おおえのきんすけ)と結婚した後は相

模と呼ばれるようになりました。一条天皇(いちじょうてんのう)皇女である脩子内親王(しゅう

しないしんのう)、後朱雀天皇(ごすざくてんのう)皇女である祐子内親王(ゆうしないしんのう)

に仕えました。第64番の歌人で藤原定頼(ふじわらのさだより)と恋愛関係にあったこともあり

ます。






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書家・かな781/左京大夫道雅

2020年01月23日 18時35分05秒 | かな

<釈文> いまはただ おもひたえなむ とばかりを ひとづてならで いうよしもがな

百人一首 第63番                      = 左京大夫道雅 =

<意味> いまはもう、あなたのことをあきらめてしまおう、という気持ちを人づてではなく、あ

なたにお逢いして言う方法があればいいのに。

という意味です。

<鑑賞> 伊勢の斎宮(さいぐう)だった当子内親王(とうしないしんのう)との関係が、内親王

の父である三条天皇(さんじょうてんのう)の怒りに触れ、ふたりの仲が裂かれてしまったときに

詠んだ和歌です。神に仕える斎宮はもちろん恋人をつくってはいけませんが、内親王は斎宮を降り

ていたので、天皇の行動は厳しすぎるという意見もあったようですが、天皇は内親王をことのほか

愛していたので、怒りが収まらなかったようです。内親王16歳、道雅25歳のときのことです。悲嘆

にくれた内親王は、出家した後、22歳で亡くなりました。

<作者> 左京大夫道雅は、本名を藤原道雅(ふじわらのみちまさ)といいます。儀同三司(ぎどう

さんし)藤原伊周(ふじわらのこれちか)の息子ですから、第54番の歌人である儀同三司母の孫に

あたります。






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書家・かな780/中納言行平

2020年01月14日 19時22分26秒 | かな

<釈文> たちわかれ いなばのやまの みねにおふる まつとしきかば いまかへりこむ

百人一首 第16番                        = 中納言行平 =

<意味> 貴方とお別れして因幡の国に行っても、そのいなばの山の峰に生えている松という名の

ように、貴方が私を待っていてくれると聞いたならば、私はすぐにでも帰ってきましょう。

という意味です。

<観賞> 行平が38歳のとき、因幡守(いなばのかみ)として、因幡国へ下向しました。守はいま

でいう県知事のような役職です。和歌を贈った相手は都にいるのですから、遠距離恋愛になってし

まうわけです。現在のように電話もメールも無く、馬が最速の交通手段の時代ですから、会いたく

てもなかなか会えませんね。そんな事情をわかっていながら、「すぐに帰ってくるからね」と詠ん

だ行平の恋人への心細い気持ちがひしひしと伝わってはきませんか。

<作者> 中納言行平は、本名を在原行平(ありわらのゆきひら)といいます。いまから1350年

ほど前の平安時代の貴族です。平城天皇(へいぜいてんのう)の孫でしたが、苗字を与えられ、皇

族ではなくなりました。第17番の歌人である在原業平(ありわらのなりひら)は異母弟にあたりま

す。中納言は職名で、平安時代ではそこそこの高官でした。40歳の頃、須磨(すま/現在の兵庫県

神戸市)に流されました。後に赦されましたが、『源氏物語』で光源氏(ひかるげんじ)が須磨へ

流されたモデルになったといわれています。






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書家・かな779/春道列樹

2020年01月08日 19時04分01秒 | かな

<釈文> やまがはに かぜのかけたる しがらみは ながれもあへぬ もみじなりけり

百人一首 第32番                        = 春道列樹 =

<意味> 山のなかを流れる川に、風が架けた、川を堰き止めるように造られたしがらみは、川面

にたくさん散って流れかねている紅葉なのだなぁ。

という意味です。

<鰥賞> 山のなかを流れる清流に、紅葉が散っている様子が目に浮かびませんか? 色合いの美し

さとともに、山のなかの空気の清浄さも感じられるようです。

<作者> 春道列樹は、1100年ほど前の下級官僚です。和歌を詠むのが上手でしたが、その生涯は

詳しくわかっていません。






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書家・かな778/壬生忠岑

2020年01月05日 18時55分53秒 | かな

<釈文> ありあけの つれなくみえし わかれより あかつきばかり うきものはなし

百人一首 第30番                        = 壬生忠岑 =

<意味> 夜明け前の有明の月が、明け方の空にそっけなく光っていたときの、あなたとの冷たく

そっけない別れの日以来、夜明けの暁ほど、わたしにとって切なくて辛いものはありません。

という意味です。

<鑑賞> 夜明け前の月が冴え冴えと光っている様子が目に浮かびませんか? なんとも静かで哀

しくも美しい景色です。忠岑は、相手の女性との恋が終わってしまったのでしょうか。暁の月をみ

るたびに思い出すとは、切ないことです。

<作者> 壬生忠岑は、いまから1100年ほど前の下級官僚です。地位は高くありませんでしたが、

歌人として名高く、宇多法皇(うだほうほう)のお出掛けにもお供をして、和歌を捧げました。第

41番の歌人である壬生忠見(みぶのただみ)は息子です。






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