掌道(しょうどう)日記

掌道鍼灸整骨院の院長が筆まかせに綴ります。

目に見えるもの、見えないもの。

2010-03-25 11:02:41 | Weblog
大師匠が、日本ミステリー大賞を受賞されました。デビュー30周年の節目、受賞インタビューは聞いていて感動しました。「私は、書くことが好きで、その好きなことがやり続けられることが出来るのは幸せなことです.....」私も、18からこの道に入って30年、大師匠に「同じ30年でも、違いますねえ(比べる自分が身の程知らず??)」と問いかけたら「私のは、形として見えるだけで、菊澤さんのは見えないけど、誰にも奪うことが出来ない技術を持っているじゃないですか凄い事ですよ...」と教えて戴きました。30年前高校を卒業して、一人で松山から夜間フェリーに乗って明け方大阪弁天埠頭に降り立った時、ホームシックで泣きそうになったのを今でも思い出します。つづく

枕なしで寝ること。

2010-03-01 10:07:13 | Weblog
「わが子の人間教育は両親の責任」森信三先生講述 を読んで、ここ3ヶ月ほど続けています。初めは寝付けなかったですが、馴れてくると不思議なくらいに、首、肩のコリが軽くなりました。文中から抜粋します。「人間というものは、枕をしないで寝ると、一日の疲れは一夜で除れるようにできているからです。そしてこれは物理的にも証明が出来るのです。人間の頭は、5キロほどの重さがあって、意外に重いのです。ところが枕をして寝ますと、頭の何分の1かが、首の骨を通って、脊椎の12骨から15骨へとその重みがかかるんです。そこで、それに対して筋肉が抵抗するのです。するとその為に筋肉が消耗するわけです。そこでその消耗を補うために、滋養分は血液によって体中に搬ばれるようになっていますから、血液がそこに集まるのです。血液の集まることを、コルというわけです。枕をしなくなりますと、頭の重量は全部地球の中心へ消えますから、肩やケンビキがコルということは、スッカリ根切りになるわけです。」

「心のくすり箱」 徳永進 著 より抜粋

2010-02-16 11:07:10 | Weblog
「現代人の忘れ物はたくさんある。ひとつは、自分の体を尊敬することだろうか。ぼくらは体を尊敬することを忘れている。やみくもに薬を服用するのではなく、体の持っている対応に敬意を持って見守ること、それを忘れているのではないだろうか。人間の考えや判断よりも、体が何億年もの間に蓄積した判断の方がはるかに信頼できる、ということはしばしば起こる。自分の体の中の自然治癒力、それへの感謝を忘れている気がする。もう一つの自然治癒力、大自然が持っている治癒の力、そのことが在るということも忘れているし、それへの喜びや感謝も忘れている気がする。星や風、海や光、それらはかけがえのない薬でもある。万人に平等に与えられた、値のはらない、ほんとうの大衆薬である」
私たちも日々、鍼灸、マッサージの施術の際、患者さんに備わっている偉大なる自然治癒力に期待し感謝しつつ行っています。

東洋医学について

2010-02-03 21:46:27 | Weblog
講演?座談?漫談?しました。30人程の女性を前に私の考えを凝縮して話しました。初めは緊張して手足は冷たかったですが、箸が転んでも笑って戴ける妙齢な方達!?ばかりでしたので後半は饒舌になっていました。これで昨年の、T師範の結婚式でのアガりまくり友人スピーチのトラウマから脱したかも?

数学嫌いな人のための数学(小室直樹)

2010-01-20 10:36:47 | Weblog
形式論理学とは、以下の三つが極意である。「同一律」AはAである。「矛盾律」AはBである。AはBではない。これら二つの命題が成立することはできない。ともに成立しないこともできない。「排中律」矛盾の中間はない。
形式論理学に依れば、判決(判断の一種である)は、勝つか負けるか(刑事判決まらば、検事が勝つ「有罪」か負ける「無罪」か)のいずれしかない。勝つと同時に負けるということもなければ(矛盾律)、勝つと負けるの中間もなければ、勝つ、負ける以外の判決もない(排中律)のである。
日本人は、何か紛争(もめごと)があると、裁判を起こさないで調停(和解)に持ち込むことを好む。調停の精神は、近代資本主義裁判の論理とは違って、形式論理学ではない。つまり、判決で勝ち負けを決めることは好まれず、黒白を決めぬところに妙味があるとされる。換言すれば、勝ち負けの中間、あるいは勝ちでもなければ負けでもないように措置されるのである。
今、世間を賑わしている事も、どこで折り合い(手打ち?)(落とし所?)をつけるかを模索しているのかなあ~? 

謹賀新年!

2010-01-01 22:56:04 | Weblog
本年も宜しく御願い致します。2010年念頭のブログは、「日本のこころの教育」境野勝悟著よりの抜粋文を紹介させて頂きます。「今日は」の意味も、「さようなら」の意味も、その挨拶だけを独立させて考えてしまうと、その真意がつかめなくなります。(略文)この「今日は」の「今日」という言葉は、現在では、きのう、きょうという意味での「今日」となっていますが、実は、古くは太陽の意味であったのです。(略文)「今日は」という挨拶は、「やあ、、太陽さん」という呼びかけであったのです。「元気ですか」の元気とは、元の気(エネルギー)という意味ですから、太陽の気をさすことになります。つまり、「今日は、元気ですか」とは、あなたは太陽のエネルギーが原因で生きている身体だということをよく知って、太陽さんと一緒にあかるく生きていますか、という確認の挨拶だったのです。それを受けて、「はい、元気です」と答えます。つまり、「はい、太陽さんと一緒にいきていますよ」と応答するわけです。それから、「さようなら(ば)、ご機嫌よう」となります。「機嫌」とは「気分」とか、「気持ち」という意味です。したがって、「さようなら、ごきげんよう」の意味は、「太陽さんと一緒に生活しているならば、ご気分がよろしいでしょう」となります。「今日は、お元気ですか」「はい、おかげ様で元気です」「さようなら、ご機嫌よう」 これが、わたくしたちの挨拶の基本だったのですね。久々の長文でしたが、2010年は、「明るい挨拶!」を心がけて活きます

仕事納め

2009-12-29 10:35:30 | Weblog
今年一年大過なく、無事に過ごすことが出来ました。ご愛顧戴きました皆様に感謝の気持ちで一杯です。それと、一つ報告し忘れていましたが、昨年大失敗っ!?をしました運動会のリレーですが、今年は何とか雪辱を果たし、最年長オヤジチームながら胸一つ差で準優勝に輝きました。これもチームワークの賜物でした。来年は、この「チームワークー共存共栄」をキーワードにして、我が掌道も前進しますので、倍旧のお引き立てを宜しくお願い致します。

長谷川穂積選手

2009-12-20 23:57:18 | Weblog
減量に苦しんでいる番組を観ました(ゼロボクシング&情熱大陸)。フェザー級(57キロ台)で一休みしている自分が「まだまだやな」と思えました。スーパーバンタム級(55キロ台)目指します。

年男48歳を迎えました。

2009-11-12 23:15:36 | Weblog
もう一回りすると、還暦になるのか!?と思いを馳せれば吾ながら驚きですが、私としては、30代のつもりでいます。近況として、ここ3ヶ月ほど減量をしていまして、今朝計った体重は57キロ(フェザー級)でした。高校時代63キロ、空手、パワートレーニング等をしている時は、78~82キロくらいありましたので、25キロマイナスにして健康管理に勤しんでおります。日々の楽しみは、仕事と読書と家族です。尊敬すべき師、良き仲間(友人、スタッフ、患者様)、良書、家族に恵まれて、感謝感謝の毎日です。今日より初心に戻り、還暦に向けてグレートな人生となるよう精進して参ります。押忍!

加圧トレーニング!

2009-09-01 21:38:05 | Weblog
治療院の新メニューに加えました。加圧トレーニングを利用して、安静時の290倍という成長ホルモンが出て、その働きにより、「疲労回復」「アンチエイジング」「ダイエット」「体力増強」などの効果が期待できます。私もやってみましたが、身体がビックリするくらい効きました。是非、ご活用下さい。