書こう書こうと思って長引いてしまった長渕剛の最新アルバム。
約4年振りのタイトルは「Come on Stand up!」だ。
5月の発売だから結構経つ。
発売当初はずっと聴いていたんだけど、4月に榊いずみ、最近は松田聖子で、
長渕オンリーということはない。
4月に発売された榊いずみの新譜を“単館映画館での作品”と例えたけれど、
こちらはメジャーの“ロードショー作品”になるでしょう。
今回の作品は故郷・鹿児島のことを強く想いながら唄っている曲が多い。
父親の死というものが作品を作るに当たって大きく関係していると思うけど、
長渕の場合はそれがハンパじゃない。
それは1曲目の「鹿児島中央STATION」から強烈に表れている。
いずれの曲もそうだけれど、特にこの曲などは長渕にしか唄えないだろう、
という曲だ。
僕はそういう、その人にしか唄えない曲というのが大好きで強烈なインスパイアを
受けてしまう。
♪ナポリ通りのド真中に~
この“ナポリ通り”という固有名詞にトキメキを覚えてしまうのだ。
それはそこを知らないというのがあって、きっと行ってみたら大したことはないと
思うのだが、そういうオブラートに包まないストレートなところがいい。
長渕も昔に比べると音楽の幅が広がったと思う。
本来は“生ギターとハーモニカと声”だけで勝負出来る人だけれど、いろんなサウンド
で楽しませてくれる。
アップテンポのイケイケの曲ももちろん、切ないラブソングもなかなかいい。
今回のアルバムでの最後の曲「鶴になった父ちゃん」がたまらなく泣ける。
何度聴いても泣ける。
だから最後のこの曲になると僕はCDを止めてしまう。
♪俺は今 国道3号線を とばし
東シナ海を左に見て 山並みハイウェイ
米野津川を渡り 記憶をたどれば
出水 高尾野の原野に 雪が降る
このくだり。
少年期の長渕が父親に連れられて鹿児島を熊本方面に向かって、県境の出水市に
向かったのを思い出し、父親が亡くなった今、自分も同じように出水に向かっている。
ちなみに僕にはこの出水にアニキのような人がいて何度か行っている。
僕は福岡から国道3号線を下った。だから長渕とは逆だ。
東シナ海を右に見ながら走った。
そしてそのアニキに連れられ、シベリアからやってくるたくさんの鶴を見たのだ。
先の“ナポリ通り”は知らないから想像だけど、この鶴のやってくる出水は目に浮かぶ。
長渕がひとりあそこに立って鶴を見ていたんだなぁと。
訥々と唄うこの「鶴になった父ちゃん」。
僕の親父が死んで、この曲を聴いたらおそらく号泣するだろう。
この歌も長渕にしか唄えない曲だが、テーマが普遍的だから力がある。
♪俺の父ちゃん...ただ生きていてくれるだけで
本当は 本当は よかった
きっとそうなんだろうな、と思う。
特に何もしなくても、何となく関係が疎遠でも、ただ生きていてくれるだけでいい、
それが親父というものなのかも知れないと思った。
この曲、生で聴きたい。
魂のこもった歌声で聴きたい。
そう思って9月のさいたまスーパーアリーナのチケットを取った。
きっとまた泣くだろう。
涙が止まらなくなるだろう。
ここまで力のある歌は本当に久し振りだ。
今回のアルバム、最初と最後を聴くだけでも価値はあると思う。
約4年振りのタイトルは「Come on Stand up!」だ。
5月の発売だから結構経つ。
発売当初はずっと聴いていたんだけど、4月に榊いずみ、最近は松田聖子で、
長渕オンリーということはない。
4月に発売された榊いずみの新譜を“単館映画館での作品”と例えたけれど、
こちらはメジャーの“ロードショー作品”になるでしょう。
今回の作品は故郷・鹿児島のことを強く想いながら唄っている曲が多い。
父親の死というものが作品を作るに当たって大きく関係していると思うけど、
長渕の場合はそれがハンパじゃない。
それは1曲目の「鹿児島中央STATION」から強烈に表れている。
いずれの曲もそうだけれど、特にこの曲などは長渕にしか唄えないだろう、
という曲だ。
僕はそういう、その人にしか唄えない曲というのが大好きで強烈なインスパイアを
受けてしまう。
♪ナポリ通りのド真中に~
この“ナポリ通り”という固有名詞にトキメキを覚えてしまうのだ。
それはそこを知らないというのがあって、きっと行ってみたら大したことはないと
思うのだが、そういうオブラートに包まないストレートなところがいい。
長渕も昔に比べると音楽の幅が広がったと思う。
本来は“生ギターとハーモニカと声”だけで勝負出来る人だけれど、いろんなサウンド
で楽しませてくれる。
アップテンポのイケイケの曲ももちろん、切ないラブソングもなかなかいい。
今回のアルバムでの最後の曲「鶴になった父ちゃん」がたまらなく泣ける。
何度聴いても泣ける。
だから最後のこの曲になると僕はCDを止めてしまう。
♪俺は今 国道3号線を とばし
東シナ海を左に見て 山並みハイウェイ
米野津川を渡り 記憶をたどれば
出水 高尾野の原野に 雪が降る
このくだり。
少年期の長渕が父親に連れられて鹿児島を熊本方面に向かって、県境の出水市に
向かったのを思い出し、父親が亡くなった今、自分も同じように出水に向かっている。
ちなみに僕にはこの出水にアニキのような人がいて何度か行っている。
僕は福岡から国道3号線を下った。だから長渕とは逆だ。
東シナ海を右に見ながら走った。
そしてそのアニキに連れられ、シベリアからやってくるたくさんの鶴を見たのだ。
先の“ナポリ通り”は知らないから想像だけど、この鶴のやってくる出水は目に浮かぶ。
長渕がひとりあそこに立って鶴を見ていたんだなぁと。
訥々と唄うこの「鶴になった父ちゃん」。
僕の親父が死んで、この曲を聴いたらおそらく号泣するだろう。
この歌も長渕にしか唄えない曲だが、テーマが普遍的だから力がある。
♪俺の父ちゃん...ただ生きていてくれるだけで
本当は 本当は よかった
きっとそうなんだろうな、と思う。
特に何もしなくても、何となく関係が疎遠でも、ただ生きていてくれるだけでいい、
それが親父というものなのかも知れないと思った。
この曲、生で聴きたい。
魂のこもった歌声で聴きたい。
そう思って9月のさいたまスーパーアリーナのチケットを取った。
きっとまた泣くだろう。
涙が止まらなくなるだろう。
ここまで力のある歌は本当に久し振りだ。
今回のアルバム、最初と最後を聴くだけでも価値はあると思う。