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寄居 少林寺五百羅漢

2011-05-20 | 気まま旅

十二支守り本尊霊場 :少林寺(末野)・浄心寺(寄居)・正樹院(寄居)・正龍寺(末野)・西念寺(寄居)・善導寺(末野)・天正寺(桜沢)・放光院(寄居)。
今日は「正龍寺」「善導寺」「少林寺」を取り上げる。


中世の寄居は、城下町、秩父街道の要衝とし、薪、木炭、絹などの集散地であった。1590年に秀吉の小田原攻めが始まり。
事の発端は北条氏政が、秀吉の上洛要求に応じなかったところに、氏邦の家臣の猪俣範直が沼田領の協定に違反して真田氏の名胡桃を
押領したことから秀吉がついに立ち上がった。

鉢形城では3500人の軍勢で籠城し、前田利家、上杉景勝、本田忠勝、真田安房守等5万の大軍に防戦するが、3ヶ月の戦いの末に落城。
落城後、北条氏邦は家臣らと共に前田利家に預けられ金沢へ赴くが、捕らわれの身でありながらも厚偶されたという。
一方夫人の大福御前は正龍寺において、仏門に入っていたが、世をはかなんで自殺したと伝う。
北条氏邦は戦国武将としてはあまり知られていない。

鉢形城内の将兵を救出するために非難を覚悟で開城に応じた武将として、地元の人達から今でも思い募られている。

「正龍寺」には北条氏邦同夫人の墓と伝える宝篋印塔が藤田康邦同夫人の墓と並んでいる。
4基の宝篋印塔は戦国時代末期の領国支配と戦国大名の動静の一端を物語り、県指定史跡。

正龍寺                             山門
  

仁王門                             本堂
  

北条 氏邦 / 藤田 氏邦は、戦国時代の武将 。北条氏康の4男。氏政、氏照の弟、氏規、氏忠、氏光、上杉景虎の兄。
藤田康邦の娘婿 となり家督を継いだ。藤田安房守(藤田氏邦)を名乗る。


  



武州寄居の「少林寺」は、五百羅漢と千体荒神で有名なお寺。夥しい数の石塔石仏のある寺。
ここの、五百羅漢は、川越の喜多院や目黒の大円寺などにもあるが、それぞれ独特の雰囲気をもった石仏が多い

  

少林寺(曹洞宗)は、1511年長泉寺開山大洞存大和尚が乞われて開山。
北条氏康の家臣となった藤田右衛門太夫国村が開基、また、康邦だろうとも云われている。
慶安年中(1648~1652年)寺領15石を与えられている。

二十四世大純万明大和尚の時、文政9年(1826年)四方浄財を募り、寺後山中に釈尊、十六羅漢、五百羅漢の石像並びに千体荒神石碑を1832年に安置し、
信仰の道場として今日に続いている。
山頂に立てば、寄居市街地が一望できるとともに、秩父連峰が目前に迫り、眼下に円良田湖が望める。

山頂までの参道に石仏が続く
    


「円良田湖」は、荒川水系逆川、面積12ha.

昭和30年に貯水池として造られた湖、湖の周囲は、樹齢30年以上の1000本の桜の木が植えられ県内でも有数の花見スポット。
ヘラブナやワカサギ釣りで太公望に人気

  

ここで寄居は終わります。

 

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2 コメント

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Unknown (oko)
2011-05-20 12:51:45
こちらへお邪魔しますとただただ圧倒されます。
限りなく続く世界に
学ぶこと多しに感謝をしております。
益々のご活躍をお祈り致します。
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okoさま (syu)
2011-05-20 22:05:07
いつもありがとうございます。
少々マンネリかと思いますが、出かける楽しみの一つでもあります。
良い季節ですね。いつも拝見しています。
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