限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

想溢筆翔:(第346回目)『資治通鑑に見られる現代用語(その189)』

2018-02-22 10:57:02 | 日記
前回

【288.談笑 】P.1917、AD190年

『談笑』とは「笑ったりしながら、なごやかに話す」との意味。古くは孟子(巻12、告子章句下)に見えるが、王引之によると、この場合は「嘲笑」の意味であるとのこと。「笑う」動作が冷たいか、和やかか、の差であろう。

「談笑」と類似の単語「冷笑」「嘲笑」を二十四史(+資治通鑑+続資治通鑑)で検索すると下の表のようになる。「談笑」が宋史に24回、使われているのが突出している。また「冷笑」や「嘲笑」は史書にはほとんど使われていないことが分かる。「嘲笑」は現在では通常「あざけり笑う」の意味で用いられるが、『北史』では、「諧謔(ジョーク)を言って人を笑わせる」のような意味で用いられている。中国も同じ漢字を使っているから同じ意味だと考えると、とんでもない誤解をすることもある、ということだ。



さて、資治通鑑で「談笑」が使われている場面を見てみよう。三国志の呉の英雄、孫堅は「度量が大きい」と言われているがそのことを裏付ける場面だ

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この冬(AD 190年)、孫堅が部下たちと魯陽城の東櫓で宴会していたところ、突然、董卓が数万人の軍隊を率いてやってきた。孫堅は酒壷を皆に回して、談笑し、兵士たちを整頓させ、勝手に動くなと命じた。その後、敵の騎兵隊が続々と増えてきたので、孫堅もようやく腰をあげて、部下たちを先導して城の中に入って行った。そして言うには、「先ほど、敵がやってきた時にすぐ立たなかったのは、急いで立つと、兵士たちが先を争って混乱し、踏み殺される者もでよう。そうなると、大混乱となり諸君も城に入れなかったかもしれないぞ。」董卓は、孫堅の軍隊が整然としているのを見て、これでは攻めても勝てないと考え、帰っていった。

冬、孫堅与官属会飲於魯陽城東、董卓歩騎数万猝至、堅方行酒、談笑、整頓部曲、無得妄動。後騎漸益、堅徐罷坐、導引入城、乃曰:「向堅所以不即起者、恐兵相蹈藉、諸君不得入耳。」卓兵見其整、不敢攻而還。
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孫堅は、敵の大軍が攻めてきても、慌てず、落ち着いて行動したおかげで、混乱することなく、全員が無事に城の中に入ることができた。危機の時に、大将があたふたしたら、下の者たちは一層混乱することを孫堅は重々承知していた。それで、自分の命が危いことを分かりつつ、軍全体を安全にすることを優先した。

漢の名将、韓信は高祖・劉邦を「陛下は兵に将たるあたわず、而して、将に将たるに善し」と評したが、「将に将たる器」というのは孫堅にも当てはまると言えよう。

続く。。。
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