限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

想溢筆翔:(第357回目)『資治通鑑に見られる現代用語(その200)』

2018-05-10 19:10:52 | 日記
前回

【299.服飾 】P.4147、AD468年

『服飾』とは、現代の日本語では2つの意味がある。「衣服と装身具」という意味と「衣服のかざり」の2つの意味だ。漢語でもこの両方の意味がある。辞源(1987年版)では最初の意味の「衣服及装飾」と説明するが、一方、辞海( 1978年版)では後の意味である「衣服之飾也」と説明する。いづれにせよ、豪華に着飾る衣装を身に着けることと理解できる。

「服飾」を二十四史(+資治通鑑+続資治通鑑)で検索すると下の表のようになる。



「服飾」は周礼にも見える程古い単語ではあるが、史書では史記には見えず、漢書以降に使われている。宋史が使用頻度が一番多く、それ以降はそれほどは使われなくなったことから、現在の中国語では別の単語を用いていると考えられる。

さて、資治通鑑で「服飾」が使われている場面を見てみよう。宋の明帝の乱脈政治の様子。

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さて、昔は中書侍郎や舎人などの職には名流の子弟しか就けなかったものだが、太祖(文帝、劉義隆)が始めて身分の低い秋当を採用した。次いで、世祖(孝武帝、劉駿)が身分構わず採用したので、士クラスの巣尚之や庶クラスの戴法興が登用された。明帝が即位すると、左右に仕える者は皆、身分の低い者が占めた。游撃将軍の阮佃夫、中書通事舎人の王道隆、員外散騎侍郎の楊運長などが軒並み政治に関与し、その権力は明帝の次で、もはや巣尚之や戴法興の及ぶところではなかった。

この中でも、阮佃夫が最も傲慢、横柄で、媚びる者にはすぐさま褒美をさずけ、逆らう者はすぐさま罰を与えた。巨額の賄賂を取ったので、納税されるべき絹200匹がネコババされたのに報告されなかった。自宅で宴会を開いたが、その豪華さは帝室の諸王をも凌ぐほどだった。楽団の服飾は後宮の妃妾たちも太刀打ちできなかった。朝廷の役人は、上から下まで皆、阮佃夫のご機嫌を取り結んだ。さらには、阮佃夫の下男たちも正式の任官を受けずに、車曳きは一足飛びに虎賁中郎将に、馬士は員外郎に抜擢された。

先是、中書侍郎、舎人皆以名流為之、太祖始用寒士秋当、世祖猶雑選士庶、巣尚之、戴法興皆用事。及上即位、尽用左右細人、游撃将軍阮佃夫、中書通事舎人王道隆、員外散騎侍郎楊運長等、並參預政事、権亞人主、巣、戴所不及也。

佃夫尤恣橫、人有順迕、禍福立至。大納貨賂、所餉減二百匹絹、則不報書。園宅飲饌、過於諸王;妓楽服飾、宮掖不如也。朝士貴賤、莫不自結。僕隷皆不次除官、捉車人至虎賁中郎将、馬士至員外郎。
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日本には「驕る平氏は久しからず」という諺があるほど、当時の人々にとっては、平家の傲慢ぶりは目に余るものであった。しかし、日本で「この上なき傲慢ぶり」といわれた平家の驕りも、中国の事例に比べると、本当にかわいく見える。言ってみれば、スーパーで100円のボールペンを盗んで捕まったうぶな初犯と、宝石店に押し入って数千万円もの盗みで捕まったふてぶてしい前科十犯の差のようだ。

前著『日本人が知らないアジア人の本質』では、中国人と朝鮮人の持つ儒教観を「1-0理論」で説明した。ここに表れる阮佃夫の徹底的なやりくちはその典型ともいえる。つまり、身内(と見なした者)はとことん引き揚げるが、その反面、敵とみなした者はとことん、苛め抜くのだ。

しかし、毎度のことであるが、このような阮佃夫の栄華も、一旦没落すると、逆にいままでの仕返しで徹底的に苛め抜かれる。天国と地獄のシーソーゲームが中国の政治の本質だと私には思える。

続く。。。
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