限りなき知の探訪

40年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

想溢筆翔:(第308回目)『資治通鑑に見られる現代用語(その151)』

2017-05-18 22:23:08 | 日記
前回

【250.経営 】P.3094、AD359年

『経営』とは現在では「会社・事業などの経済的活動をすること」の意味で用いられる。しかし、漢文の文脈ではニュアンスがかなり異なる。辞源(1987年版)に拠ると次の3つの意味があるとのこと。
 1.建築、営造、2.規画創業、3.周旋往来

「経営」は「営を経[へ]る」と訓読みできる。3.の意味では「営」は「軍営」にも使われるように「住む場所」と解釈できるから、「住居を転々と変わる」というのが「経営」と言うことも可能だと理解できる。現在用いられている意味はこれら3つの説明には該当する項目は見当たらないが、強いて言えば 2.に近いと言える。

一方、辞海(1978年版)は、古典籍だけでなく現代の言葉も含み、辞典と百科事典の両方の役割を果たすだけあって、「経営」の説明に上に挙げた以外に、現代的意味の「Management」も挙げる。

日本の漢和辞典を見てみると、なぜ「経営」が Managementという意味を持つようになったのかが分かる。『漢字源』(学習研究社)では「直線の区画を切るのを経といい、外がわをとり巻く区画をつけるのを営という。あわせて、荒地を開拓して畑をくぎるのを「経営」といい、転じて、仕事を切り盛りするのを「経営」という。」と説明する。

漢文においては「経営」は書経や国語にも見えている古い単語である上に、古代から現代にいたるまで非常に多く使われてることは次の表からも分かる。


さて、資治通鑑で「経営」が用いられている場面を見てみよう。北には五胡十六国、南には東晋が勢力を張っていた時代、石勒によって建国された後趙では、第三代の石虎が死去すると後継争いで国が混乱した。東晋はチャンスとばかり攻撃準備を進めたが。。。

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七月、褚裒に征討大都督の称号を与え、徐、兗、青、揚、予の五つの州の軍事を担当させた。褚裒は兵士3万人を率いて彭城に赴いた。異民族の支配を受けていた北部の人々は喜んで次々と投降してきた。その数、一日に千人にも登ることもあった。晋の朝廷では、皆、こうなれば異民族に支配されている領域(中原)を取り戻すことも可能だと楽観視する人もでた。光禄大夫の蔡謨だけが一人、賛同せず、知り合いに次のように言っていた。「異民族を追い払うことができるのは誠に喜ばしいことではあるが、却ってこれが我が朝廷の憂いの始まりとなるだろう。」「どういうことですか?」と尋ねられて、蔡謨は「好機を逃さず人々を苦しみから救うことができるのは聖人か英雄でなければ不可能です。並みの為政者は自分の人徳と能力とを顧みて、できる範囲で政治を行うのがよいでしょう。しかし、現今の状況を見るに、為政者の出来るキャパシティを超えて経営しているだけできっと人々を一層苦しめることになるでしょう。その兆候はすでに現われていて、統治する才能もなければ戦略もなく、思い通りにいかず、財力や知恵も尽き、どうすればよいか途方にくれている始末です。これで、朝廷が安泰ということがあるはずがありません!」

秋、七月、加裒征討大都督、督徐、兗、青、揚、予五州諸軍事。裒帥衆三万、径赴彭城、北方士民降附者日以千計。朝野皆以為中原指期可復、光禄大夫蔡謨独謂所親曰:「胡滅誠為大慶、然恐更貽朝廷之憂。」其人曰:「何謂也?」謨曰:「夫能順天乗時済生於艱難者、非上聖与英雄不能為也、自余則莫若度德量力。観今日之事、殆非時賢所及、必将経営分表、疲民以逞;既而才略疏短、不能副心、財殫力竭、智勇俱困、安得不憂及朝廷乎!」
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上の文中「経営」は「経営分表」(分表を経営する)の部分に見られる。「分表」とは「分施、分給」という意味であるから、このコンテキストでは「経営」は「投降者たちに食糧を配給する」という意味で、Managementの意味と解釈できる。

続く。。。
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