限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

想溢筆翔:(第418回目)『資治通鑑に見られる現代用語(その261)』

2020-02-16 21:44:30 | 日記
前回

【360.階級 】P.4623、AD516年

『階級』とは「地位・身分・等級の順序」という意味。辞源(2015年版)には「謂尊卑上下之別、如階有等級」(尊卑上下の別、階に等級あるがごとし)と説明する。つまり、朝廷では、官僚たちは整列するときは官位に該当する階段に立っていた、という事を意味するのであろうと推測される。


中国の宮廷と、それをマネした李朝の宮廷では朝廷の儀式には、官僚たちがそれぞれの官位を記した石柱の所に整列するというが、その場所は階段状になっていたようだ。つまり「階級」の「階」とは実際の階段の意味だった。

「階級」を二十四史(+資治通鑑+続資治通鑑)で検索する次の表のようになる。初出は後漢書と分かる。当然のことながら、「階級」は後漢以前に存在していたので、昔は別の言葉で表わしていたはずだが、残念ながら「現代漢語=古代漢語」の辞典を持っていないので分からない。

それにしても、魏書に「階級」が 10回も使われているのはかなり多い。宋史の15回を最後に、中国ではほとんど使われなくなった単語だと分かる。これから考えると、現在、我々が用いている「階級」は日本人が捨てられていた古い漢語を拾って再度利用したということになろう。



資治通鑑で階級が使われている場面を見てみよう。

北魏では皇太后(皇帝の母)が実権を握るケースが多々見られる。最も有名なのは馮太后であろう。文成帝の皇后で、文成帝が亡くなったあと、献文帝と孝文帝の二代にわたって垂簾政治を行った。男女の差はあるものの近年で言えば、あたかも鄧小平のごとく、時の最高権力者であった。ここに登場する胡太后も皇帝を差し置いて、官僚の処分を一存で決めた。

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魏の中尉である元匡が于忠を弾劾した文を上奏した「于忠は宣武帝が崩御するという国家的な災難につけこんで国権を専らにし、無実の裴植や郭祚に罪をきせただけでなく、高陽王の元雍を追い出した。その後、勅命を偽って自分を儀同三司兼尚書令となり崇訓衛尉の役に就いた。これらの事は、皇帝を無視して自分勝手に振る舞おうとする意図に他ならない。恩赦は終わっているので、赦すべきでなく処刑すべきであります。どうか御史を一人、于忠の任地に派遣して、直ちに処刑してください。昨年、世宗(宣武帝)が崩御してから、皇太后はまだ垂簾の政を行う前に、多くの役人の階級を無視して門下省の詔書を出したり、中書省の宣敕を出して、勝手に官位を授けた者は、既に正式に任命されたので、罪はないとはいうものの、不当なので、官位をはく奪すべきです。」

上奏を受けて胡太后は次のように命じた:「忠已はすでに特例で罪に問わないことにした。その他は奏上どおりにせよ。」

魏中尉元匡奏弾于忠「幸国大災、専擅朝命、裴、郭受冤、宰輔黜辱。又自矯旨為儀同三司、尚書令、領崇訓衞尉、原其此意、欲以無上自処。既事在恩後、宜加顕戮、請遣御史一人就州行決。自去歳世宗晏駕以後、皇太后未親覧、以前諸不由階級、或発門下詔書、或由中書宣敕、擅相拝授者、已経恩宥、正可免罪、並宜追奪。」

太后令曰:「忠已蒙特原、無宜追罪;余如奏。」
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元匡は于忠が君命と偽って大臣たちを勝手に罷免したと弾劾したが、このようなケースは資治通鑑にはかなり頻繁に見られる。君命というのは、皇帝が賛成したか否かに関係なく、単に玉璽を押してあるだけの紙切れに過ぎないことが多い。つまり、一連の正式な手続きを経て書面が作成されてしまえば、あとは紙切れが一人歩きしてオールマイティの力を発揮する。

元匡は于忠が皇帝の承諾なしに玉璽が押された書面(詔書)を乱発して大臣を罷免したと弾劾しただけでなく、胡太后も于忠の不正を知りつつ、自分の気に入った者であれば宮廷のランキング(階級)を無視して抜擢したと、胡太后にも怒りの矛先を向けた。

しかし、胡太后の一言で、元匡の上奏文はあっけなく却下されてしまった。

続く。。。
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