限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

沂風詠録:(第332回目)『良質の情報源を手にいれるには?(その37)』

2021-01-10 17:00:37 | 日記
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D-1.ドイツ語辞書 ― 語源辞書

D-1-5 Wolfgang Pfeifer, "Etymologisches Wörterbuch des Deutschen"

共産圏というと今では死語となってしまったが、数十年前までは実際に存在していた。ドイツも東西に分かれていて、共産圏に属す東ドイツはDDR(Deutsche Demokratische Republik)と呼ばれていた。DDRを直訳すると「ドイツ民主共和国」となり、あたかも民主主義国家のような名称であるが、実際は、共産党の独裁政権で自由のないのはもちろん、ちょっとしたことでも密告されると秘密警察に連行されるという、国全体が監獄のようなところであった。

私は、ドイツ留学中の1978年に西ドイツからヒッチハイクで、東ドイツを横断して西ベルリンまで旅行したことがある。西ベルリンから東ベルリンに入るには、チェック・ポイント・チャーリーの税関を通る必要があるが、この時、強制的に西ドイツのマルクを東ドイツの安いマルクに不当に等価交換させられた。東ドイツの一番小さな一フェニッヒ硬貨などは、― 実際試した訳ではないが ― 水に投げ入れても浮いてくるほどの薄っぺらく、軽いものであった。東ベルリンには朝早くから夜遅くまで、丸一日滞在した。夜遅くに西ベルリンに戻って、国境から東ドイツのウンターデンリンデン(Unter den Linden)通りを見張らせる台の上から見た東ドイツの寒々とした光景は、数十年経った今でも忘れることができない。

さて、そのような暗澹たる社会ではあったが、東ドイツでもドイツ語の辞書作りへの熱意は消えることなく続いていたようだ。



今回紹介する、Pfeifer が主体となって作った『ドイツ語語源辞書』(Etymologisches Wörterbuch des Deutschen)は東ドイツで作成された。数十年の編纂を終えて、1986年に第一版が完成した。東西ドイツ統一の動乱のさなかの1989年に出版されたが、たちまち西ドイツも含めてドイツ語圏で大好評を博したようだ。

その後、ベルリン・ブランデンブルク科学アカデミー(BBAW)が無償提供する「ドイツ語電子辞典」プロジェクト(DWDS ― Das Digitale Wörterbuch der Deutschen Sprache)のサイトにもこの語源辞書が載せられるようになった。

この辞書の前言(Vorwort)によると、この辞書の編纂に当たっては、すでに存在している数多くの辞書(グリム、Kluge、Pokorny、Frisk、Walde-Hofmann、など)を参照したという。即ち、現在までの学術業績の集大成という、一見地味ではあるが、苦労の多い煩雑な作業の成果といえる。この前言で私にとっては新発見であったのが、ドイツ語の語源辞書の見出し語は8000語程度で十分であるとのことで、この辞書では見出し語は8054語としたという。この数が果たして他の言語に通用するのかは分からないが、私は個人的にはドイツ語は英語より、かなり少ない(だいたい半分程度)の単語を知っているだけでよい、と感覚を持っているが、それと合致する。

http://zwei.dwds.de/wb/etymwb/Eisen

さて、前回(DudenのHerkunft Wörterbuch)でも取り上げた Eisen(鉄)の部分を見てみよう。



他の語源辞書(Kluge、Duden)に比べてゲルマン系の単語の列挙がかなり多いことに気づく。古ドイツ語(ahd)、中世ドイツ語(mhd)、古ザクセン語(saechs)、中世低地ドイツ語(mnd)、オランダ語(nl)、古英語(aengl)、英語(engl)などなど。他の言語との比較だけでなく、更に一歩踏み込んで、Eisen の単語はゲルマン語固有の単語ではなく、バルカン半島に居住していたイリュリア族(Illyrier)の単語ではないだろうかとの推測を提示する。

私がこの辞書を知り、購入したのは去年なので、また十分使いこなしているとは言えないが、ちょっと使ってみただけで、すぐに素晴らしい内容であることは分かった。ドイツ語を学ぶ上で信頼できるたのもしい辞書がまた一冊増えたという感じがしている。

続く。。。
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