昨日の新聞に出ていたコラムに
「伝統仏教の新たな試み」と題して
法事などで僧侶(寺)に支払うお布施(額)を
3万5千円でやってくれる。と書かれている。
つまり高額なお布施に苦情が出て寺離れが
進んでいるという事でお布施の額を定額に
するとある。
「お布施ははそもそも修行の徳目、宗教行為の
対価であってはならない。そこを分かりやすく
説いてこなかったのは我々の怠慢だった」とある。
命日、彼岸にお坊さんに来てもらいお経を
あげてもらうときはそれほどのお布施は
かからない?が、葬儀のときは違う。
お布施の額がわからない。
ネットで「お布施とは?」と
検索してみたら、「お布施の相場は?」とか
いろいろ出ている。
父ちゃんの伯母さんの葬儀のときはお寺さんから
電話があり
「戒名、法要含めて75万円です」と言ってきた。
「もう少し上のランクだと◯◯円かかります」と
お寺さん。
100歳を迎える伯母さんのお寺さんへ支払う額が
あまりに高かってので驚いた。
という事で近年はお寺さんに頼む葬儀は少なくなり
家族葬で済ませ、お墓は戒名なし、または宗教が
関係ない樹木葬や合葬墓が多くなっているそうな。
昔は「金の無い人(貧乏)は無い人なりに、
ある人(金持ち)からはそれなりに」布施を
頂いていたとのことです。それがいつの間にか
お布施の相場が出来るようになってしまった。
お坊さんもサラリーマン化してきてしまったと
いうことでしょう。
先日、遊さんからのコメントに、ご主人が
亡くなった折
「家族葬でしたが読経はなく本人の希望とおり
シューベルトの冬の旅を流した」とありました。
素敵な葬儀だったことでしょう。
私だったら「プレスリー」かな。
「お坊さんの読経はいらない。音楽かけて
ワインを飲んでもらって、ダンスを
踊って送ってもらいたいね」と言ったら
「こっちもだ」と父ちゃん。
はてさてどうなりますやら。
「伝統仏教の新たな試み」と題して
法事などで僧侶(寺)に支払うお布施(額)を
3万5千円でやってくれる。と書かれている。
つまり高額なお布施に苦情が出て寺離れが
進んでいるという事でお布施の額を定額に
するとある。
「お布施ははそもそも修行の徳目、宗教行為の
対価であってはならない。そこを分かりやすく
説いてこなかったのは我々の怠慢だった」とある。
命日、彼岸にお坊さんに来てもらいお経を
あげてもらうときはそれほどのお布施は
かからない?が、葬儀のときは違う。
お布施の額がわからない。
ネットで「お布施とは?」と
検索してみたら、「お布施の相場は?」とか
いろいろ出ている。
父ちゃんの伯母さんの葬儀のときはお寺さんから
電話があり
「戒名、法要含めて75万円です」と言ってきた。
「もう少し上のランクだと◯◯円かかります」と
お寺さん。
100歳を迎える伯母さんのお寺さんへ支払う額が
あまりに高かってので驚いた。
という事で近年はお寺さんに頼む葬儀は少なくなり
家族葬で済ませ、お墓は戒名なし、または宗教が
関係ない樹木葬や合葬墓が多くなっているそうな。
昔は「金の無い人(貧乏)は無い人なりに、
ある人(金持ち)からはそれなりに」布施を
頂いていたとのことです。それがいつの間にか
お布施の相場が出来るようになってしまった。
お坊さんもサラリーマン化してきてしまったと
いうことでしょう。
先日、遊さんからのコメントに、ご主人が
亡くなった折
「家族葬でしたが読経はなく本人の希望とおり
シューベルトの冬の旅を流した」とありました。
素敵な葬儀だったことでしょう。
私だったら「プレスリー」かな。
「お坊さんの読経はいらない。音楽かけて
ワインを飲んでもらって、ダンスを
踊って送ってもらいたいね」と言ったら
「こっちもだ」と父ちゃん。
はてさてどうなりますやら。