「県政オンブズマン静岡(静岡県庁の光と闇)~よりよき未来のために~」管理人のブログ

注)teacupブログから移転の2022年5月以前の投稿には、文字コードの違いから多くの文字化けがあります。

大井川広域水道企業団補助金不適切事務処理関係公文書非開示に係るこれまでの経過と所感

2014-05-18 21:39:00 | 近況活動報告
今後のために、改めてここまでの約3か月間の経過をおさらいしておくとともに、問題点を指摘する。

平成26年2月21日:
県が「担当職員が申請に必要な書類を約半年間放置し、大井川流域の7市に水道水を供給する「県大井川広域水道企業団」(島田市、石川俊一企業長)が 進めている調整池の工事などに、厚生労働省から交付されるはずだった補助金約1億2800万円が受け取れなくなった」事件を公表。

平成26年2月23日:
事件関係の公文書の開示を請求

平成26年3月8日:
3月7日付けで、3月10日までの決定期間を4月9日まで延長するとの通知が到着。
その理由は「開示請求に係る公文書の範囲が広く、かつ、その内容も複雑であり、文書の探索、特定及び開示の可否を決定するのに多くの時間を必要とするため」とのこと。

平成26年4月9日:
4月7日付けで、請求公文書全てについて非開示と決定した獅フ通知が到着
その理由は、「現在、事実関係を含めた原因の調査・分析等を行っているところであり、現時点で対象公文書を公にすることにより、当該調査・分析等に係る事務の適正な遂行に支障を及ぼすおそれがあるため」とのこと。
また、非開示の根拠条項は静岡県情報公開条例第7条第6号「県の機関、国の機関、独立行政法人等、他の地方公共団体の機関、地方独立行政法人又は地方三公社が行う事務又は事業に関する情報であって、公にすることにより、次に掲げるおそれその他当該事務又は事業の性質上、当該事務又は事業の適正な遂行に支障を及ぼすおそれがあるもの
ア 監査、検査、取締り、徴税又は試験に係る事務に関し、正確な事実の把握を困難にするおそれ又は違法若しくは不当な行為を容易にし、若しくはその発見を困難にするおそれ
イ 契約、交渉、渉外又は争訟に係る事務に関し、県、国、独立行政法人等、他の地方公共団体、地方独立行政法人又は地方三公社の財産上の利益又は当事者としての地位を不当に害するおそれ
ウ 調査研究に係る事務に関し、その公正かつ能率的な遂行を不当に阻害するおそれ
エ 人事管理に係る事務に関し、公正かつ円滑な人事の確保に支障を及ぼすおそれ
オ 県、国若しくは他の地方公共団体が経営する企業、独立行政法人等、地方独立行政法人又は地方三公社に係る事業に関し、その企業経営上の正当な利益を害するおそれ」

平成26年4月10日:
非開示決定についての異議申立書を県水利用課に送付

平成26年5月8日:
すみやかに行うこととされている異議申立ての事務処理が行われていないため、経営管理部職員局人事課監察班あて、県水利用課による異議申立ての事務処理放置について法令違反の嫌疑で通報

平成26年5月13日:
静岡県職員倫理ヘルプラインから、くらし・環境部総務監を通じて静岡県くらし・環境部環境局水利用課水道環境班あてに早急に対応するよう依頼した獅フ連絡を受信。

平成26年5月17日:
5月16日付けで県水利用課から、異議申立てについて静岡県情報公開審査会に諮問した獅フ通知が届く。

平成26年5月18日現在、以上のとおり。

<所感>~違法への抵抗感のなさから見る根深い組織風土の闇~
県の非開示理由についての問題点については今後の審査会への意見書提出などで明らかにしていくので、それに先立つ根本問題について感じるところを以下に述べておく。

知事は先日公表された収賄容疑の県職員逮捕に関連して、記者会見で透明性を確保していくことが大切であると述べるとともに、少数精鋭で多くの責任と権限を持っている中でそれが乱用された試w摘したが、そうしたことが常態であるとは到底思えないとも述べた。つまり、事件は特殊な個別事例であるという認識である。

しかし、その認識は甘いと言わざるを得ない。
確かに、通常の多くの業務中で、あえて権限を悪用しようなどということは起きないであろう。
一方で、個々の職員又は組織がその能力を超えた不都合な真実に直面したときはどうだろう。
これまでの職務上の不祥事を見れば、安易に法令に違背し、その場しのぎの保身に走るのが常というのが本県の現実だ。
結果、日常的にごまかしの成果を誇ることで本質的な反省や改革は阻害され、行政による施策はばたばたと羽ばたくのみで飛び立てずじまい、県勢は沈み行くばかりである。
プラトンは、飛翔しようと欲して羽ばたきはするもののそれが出来ずに空を眺めるばかりで、下界のことをなおざりにする様を狂気と評したが、現に県の行政はこの時勢にあってなお、富士山、空港、演劇文化など地に足がついていないことに過度に税金が費消され続けている。
このような中にあっては、職員個々にあっても、県民生活のためになどという地味な正論は顧みられなくなる。
結果として、弱い人間が行き着く先は遊戯化である。
ドイツの詩人シラーの「人は遊ぶ時にのみ真に人間となる」の意味するところ、自由な存在・自律の証しとして、また、創造性の原動力として、それを求める欲動は価値あるところ、一方でその自律的抑制は難しいことも真実である。社会の中にあっては道徳・法令、社会的使命感などによって人はよくその限界を画するものであるが、権限という裁量(自由)を持った者にあって、もしこの箍が外れたらどうなるだろう。しかも組織的に。
「競争」(たとえばさまざまな球技のスメ[ツ、および将棋、碁など)
「僥倖」(ルーレット、その他のギャンブリング)
「擬態」(こどものゴッコ遊び、演劇など)
「眩暈」(スキー、スケート、回転遊びなど)
と、遊戯を原則的な4類型化したのはフランスの社会学者カイヨワであるが、続いて彼は、正常の境を超えた態様(異常)として、
「競争」は規則無視の攻撃となり、
「僥倖」は迷信に、
「擬態」は分裂病に、
「眩暈」は薬物嗜癖に
なるとした。
自身の競争ゲームとして職務に当たるが故の県民不在と規則無視、ギャンブルのように空港が県勢発展につながるとの迷信に走る無責任、組織間の目的整合性のない分裂病的行政など、まさに行政が遊戯化し異常に陥ったという左証である。
しかも、よくいう遊び心などという程度ならかわいいものだが、組織風土化することによって、既にその程度は超越してしまっているのである。

今回の水利用課の対応は、そもそもこの補助金不交付事件の端緒が事務処理の放置にあったにもかかわらず、これを顧みることなく規則違反の放置を繰り返したのであって、いかに組織として病んでいるかを示す好例である。
こちらがなんら動かなければ、不都合な文書の改ざん等が終わるまで、さらに処理は放置し続けられたであろう。
時間稼ぎが目的であることは、非開示の理由からも見て取れる。
彼らの非開示の理由であれば、開示決定期間の延長をし、その期限直前まで待って非開示決定する引き延ばしの必要はあるまい。
知事の言うところの透明性を考えるなら、開示はもちろんだが、非開示とするものがあってもその判断は早くあってしかるべきだ。
結果として、本来開示請求から14日で開示されるべき文書が開示されず、はや3か月になろうとしている。
さらに、これから数か月を要して情報公開審査会で審議されることとなり、県民の目からこの事件の真相が隠される事態が続く。今まさに本来あるべき態様を離れた遊戯の態様、駆け引き・ゲームの感覚下にある。
病根は深く、時は容赦なく遷ろう。
今は遊戯に耽るときではない。
否定的な言い回しになるが、今、行政は「過去にとらわれ未来におびえる成人」になるべきときである。

県庁の不祥事慣れ、県民へのアピールに職員研修実施のマニュアル的対応

2014-05-12 21:53:00 | 雑感
金曜日に公表された県職員の収賄容疑での逮捕。
県公表の容疑事実は以下のとおり。
「(逮捕容疑)
当該職員は、土木建築工事業等を業とする建設業者社員から、静岡県が発注する土木工事につき、監理監督等に関して、有利かつ便宜な取り計らいを受けたいとの趣獅フもとに供与されるものであることを知りながら、平成21年10月中旬頃から平成22年5月中旬頃までの間において、宿泊、飲食等の代金十数万円相当の接待を受け、もって自己の職務に関して賄賂を収受したもの。」

一部報道では県発表にはない具体的情報も掲載されていたが、天竜林業高校における調査書改ざん及び贈収賄事でのえん罪疑惑の例もあるのでこれをうかつに信用できないため、事件自体についてはコメントを控えたい。
それよりも興味深いのは、県の目先を少し変えただけのマンネリ無気力対応だ。

事件発表あけの出勤日の今日はお決まりのように事件をうけての研修の実施が伝えられた。
面談形式のものも行うというので、釈迦に説法という言葉を知ってるかと問うたところ、職務上やらなければならないからというので、それなら仕方ない職務上つきあってあげようということになったが、事件の原因分析ぐらいしておくようにとは言っておいた。そもそも原因分析なしの対策などあるはずがないだろう。

さらに今日は、研修に当たってチェックリストなどの資料を作るようにとのメールがきた。
日中は県民のための仕事で14日までは多忙なことから、資料作りのため今日は1時間の残業が認められた。
研修や資料作りなどのコストを考えれば費用対効果は明らかにマイナスだが、回覧された研修実施の理由には手書きで県民向けの取組である獅フ記述があったのでコストが幾らになろうと彼らには関係ないのかもしれない。

「組織ぐるみ、監査も黙認、静岡県職員の事務の無法状態を公開」ほかで紹介してきたとおり、そもそも、彼ら県当局が他人に法令遵守を言うこと自体が厚顔に見える。まず、おのが身を改めないと、現役の泥棒が泥棒するなと人に説くに等しく、誰も本気にしないだろう。

また、今日は知事も定例記者会見で冒頭この事件に触れたが、現場を知らない裸の王様だけに建前論に終始していた。
「公務において身にわたくしをかまえない」などと自作の格言のようなものを持ち出して、私欲なき公務遂行の理想を説いていたが、現実にはお金で動機付けし私的成果を求めるべく促しているのが今の県の職員操縦の仕組みであり、言っている理想と行っている現実はあまりに隔たっていることが分かっていない。
名前を出してこういう活動をしている私の場合は、ボーナスの増減のための評価の申告成果には「金銭目的で公務を行っていないので辞退する」と記載して提出し、その他県民利益の視点のない意味不明な項目には当たり前のことを当たり前に行っているだけなので読まずに普通に相当する3をコピペして提出しても、上司らから何も言われる筋合いはないが、他の物言えぬ職員らは鼻先にお金をぶら下げられ食いつくようにと促され、書き換えをさせられたりするのが実態である。こういう構造の中では、悪いことと分かっていても、違法とは分かっていても、組織の利益になるとなれば、行われてしまうのである。それが、古くは立ち木無断伐採事件であったり、京極事件の顛末である。
これが、知事には見えていないようだ。

結果、何も変わらない、変えられない、事件があってもおざなりな対応の連続となるのである。

ゆえに、無意味との意見もある先日紹介の県水利用課の大井川広域水道企業団補助金不適切事務処理関係公文書の異議申し立て放置についてのコンプラ通報であるが、これも(なぜ、訴訟に移行しなかったかという意見もあった)監査請求と同じで、改善を期待して行っているものではないのである。
むしろ、現段階においては現実を正しく見せること、組織の現状がいかにチェック機関が機能不全いわゆる同じ穴の狢であるかを紹介することが重要と考えるためなのである。
事実を正しく見ずしての改革は有り得ないのだから。

静岡空港利用者の推移(開港5年目第11月)~新年度の出だしから前年下回る不調~

2014-05-09 22:32:00 | 静岡空港
静岡空港利用者数(搭乗者数)の推移

(注)開港初年については月ごとの発表のなかった上海便各月推計データを加味した上で5か年を比較したグラフです。
以下、開港5年目の11月目となる4月実績に基づき傾向を概観する。

<傾向等>
4月実績は、国内線が各路線震災後の急落から復調基調の中で過去2位(とはいえ、いまだ平成22年時の7割に留まる)の実績となった反面、国際線は今月も過去最低記録を更新した。

路線ごとに見た過去5年間の4月実績のみで比較した順位と比率は以下のとおり。
札幌線5,422人   3位/過去5年(1位の平成22年7,846人に対して69.1%)
福岡線8,298人  2位/過去5年(1位の平成22年8,399人に対して98.8%)
鹿児島線1,494人  4位/過去5年(1位の平成22年2,816人に対して53.1%)
沖縄線6,473人   2位/過去5年(1位の平成25年6,929人に対して93.4%)
ソウル線3,834人 5位/過去5年(1位の平成22年16,722人に対して22.9%)
上海線2,847人   1位/過去4年(2位の平成24年2,174人に対して131.0%)
台湾線4,062人   2位/過去2年(1位の平成25年4,154人に対して97.8%)
また、総利用者は34,016人で過去5年間で第4位、ピークの平成22年に比べて68.9%であった。

国内線と国際線の過去5年間の推移を見ると、

国内線が頭打ち、国際線は低下傾向にある状況が見て取れる。

うち、国内線の内訳を見ると、

鹿児島線が長期低迷、残り3路線はその全てで伸びが鈍化して需要の頭打ち傾向がはっきり見て取れる。

一方、国際線にあっては、路線で明暗が分かれた。
大韓航空の撤退でソウル線が3,843人、前年同月比40.7%と激減し、アシアナ航空単一路線になったにもかかわらず、搭乗率にあっても58.1%と低く、苦戦が鮮明になったのに対し、上海線は僅か673人UPの2,847人(1日当たり94人=47往復人)と焼け石に水とはいえ増加となった。
ただし、より貢献したのはチャーター便の1,220人であるが、それでもソウル線の穴は埋められず国際線は対前年比で2割減、ピーク時に比較すれば4割近い減となっている。

いずれにしても、無気力・惰性的な県の利活用促進策の延長線上にあっては、今後の大きな伸びを期待できないことは確かである。

なお、5年目の実績については、残り1か月を良く見込んだところで、46万人には及ばないことが確実な情勢である。

では以下、今月の実績を記す。
<平成26年4月の実績:対前年同月比>
路線:搭乗者数対前年同月比(H26.4/H25.4):搭乗率[H26.4;H25.4](赤文字は搭乗率が65%を下回っているもの)

札幌線:98.7%(5,422人/5,492人):[42.0%;42.4%]
福岡線:101.1%(8,298人/8,206人):[57.9%;61.9%]
沖縄線:90.8%(6,473人/6,929人):[63.8%;65.7%]
鹿児島線:93.4%(1,494人/1,645人):[66.1%;83.2%]
国内定期便計:97.4%(21,687人/22,272人):[54.7%;57.5%]

国内線チャーター便計:-%(366人/0人):[77.5%;-%]

国内線計:99.0%(22,053人/22,272人):[54.9%;57.5%]

ソウル線:40.7%(3,834人/9,428人):[58.1%;48.3%]
上海線:262.4%(2,847人/1,085人):[66.0%;29.7%]
台北線:97.8%(4,062人/4,154人):[75.6%;77.3%]
国際線定期便計:73.2%(10,743人/14,667人):[66.0%;51.4%]

国際線チャーター便計:-%(1,220人/0人):[67.8%;-%]

国際線計:81.6%(11,963人/14,667人):[66.2%;51.4%]

全路線計:92.1%(34,016人/36,939人):[58.4%;54.9%)]

平成26年度県予算「空港アクセスバス運行事業費」6,800万円

2014-05-07 22:31:00 | 近況活動報告
今日は平成26年度の空港関連予算のうち、「空港アクセスバス運行事業費」6,800万円を見つつ、おざなりな県行政の一面を明らかにする。




この予算は上の画像の目的等から分かるとおり、静岡駅及び島田駅と空港を結ぶアクセスバスの運行をバス会社(しずてつジャストライン株式会社)に委託する事業である。

その委託費の額であるが、以下(島田ー空港路線)の画像ような計算で県予算(税金)が投じられている。



キロメートル当たり189.9円で年間運行経費を見積もり、そこから運賃収入見込額を引くという計算であるが、その運賃収入見込みは昨年9月までの実績をもとに1便当たり1.3人の利用を見込んで計算していることが分かる。しかも、運賃単価は実際の運賃の500円ではなくなぜか396円で見積もられていることが分かる。
そのため、運行経費約4,491万円に対して運賃収入は676万円程度しかなく、結果赤字額に相当する約3,815万円が税金からバス会社に補填されるような構造になっているのである。
また、同じような計算で静岡ー空港路線は約2,905万円が税金からバス会社に補填されることになっている。
その額、2路線合わせて年約6,720万円。
昨日のニュースで大井川鉄道が先月行った減便(14往復→9往復)で金谷駅での接続の悪さや、日中の次便までの待ち時間が2~3時間になるなどして不便になり、寸又峡では滞在時間が制約を受けるなど観光にも大きな影響が出ていることが報道されていたが、この原因となった運行会社の赤字額は平成23年度が7,700万円、平成24年度が1,800万円だという。空港関連には湯水のごとく税金を注ぎ込むのとは対照的に、通勤・通学にも利用される生活路線である大井川鉄道に対しては冷淡に見える。県の天下り社長を迎えた天竜浜名湖鉄道に1億2,500万円補助するのとも実に対照的だ。
この予算に携わった職員らは県民生活について何も考えていないのではと疑念を持たれても仕方ないような実態である。

実際、以下のこの空港アクセスバス事業についての自己評価を見ると県がおざなりに予算を投入し続けていることがよくわかる。




これは、平成26年度予算要求に際して作られた調書の記述である。

次に、昨年度(平成25年度)の予算要求に際して作られた調書の記述が以下である。


最近STAP細胞に関連して論文でのコピペが問題になったばかりだが、県行政では当たり前のように行われているのである。
また、記述の中に「小型車両の導入によるコストの縮減や、航空機のダイヤ改正に合わせた運行本数の見直し」を行ったとあるが、以下のとおり、



バス小型化は平成24年度から行っており、運行本数も昨年と変わっていないのである。

静岡県でも経営管理の手法として計画、実行、評価、改善のPDCAサイクルを行っている建前となっている。
本質的にマンネリ化・陳腐化しつつも県民の目先を変えいまだ続けている事業仕分けもこの一環である。
しかし、見てのとおり、現実の実務の現場では、県民の目の届かない現場では、予算を要求する側もそれを査定する側もPDCAサイクルなど意中にないかのごとくである。(税金垂れ流しの)結論ありきの中で、形式的理由付けを整える儀式を行っている現実が如実に現れている。

18世紀末のイングランドの詩人シェリーは理性と想像力の違いを道具と使用者にたとえた上で、「人は大いに善であるためには、強烈にかつ広範に想像力をはたらかさねばならない。相手の、または他の多くの人々の立場に、我が身を置かねばならない。同胞の苦痛も喜びも自分のものとしなければならぬ。道徳的善の大いなる手段は想像力である。」と道具としての理性に先立って使用者としての、すなわち自律した主体としての想像力の大切さを説いた。
はたして、儀式のように県がやっているかようなことに、このような想像力が認められるだろうか。

このブログ上ではこれまでに何度も県の想像力の欠如を指摘してきたが、いまなお、一向に変わる気配すらない。
想像力を欠いた道具・マシーンが導く先は、道徳観を喪失し共感を失った社会でしかない。
希望があるとすれば、このような社会環境下にあっても想像力を保ち続けられる言行一致の国民である。
真の主権者として政治に行政に、声を出してほしい。


<予算調書>
「空港アクセスバス運行事業費」

<参考:昨年度の解説>
「平成25年度「空港アクセスバス運行事業費」68,000,000円」