「県政オンブズマン静岡(静岡県庁の光と闇)~よりよき未来のために~」管理人のブログ

注)teacupブログから移転の2022年5月以前の投稿には、文字コードの違いから多くの文字化けがあります。

守るべきもの

2008-05-28 23:19:14 | 日記
ふじみ野市の市営プールで起きた7歳児の事故死で行政の責任者に厳しい判決が出た。
このケースは民間に管理委託をしており、どこまで行政に責任があるのかが焦点となったが、裁判所は「前例踏襲の仕事をすれば足り、業者にプール管理は任せればいいと考え、自らの義務を完全に怠った。その態度は全く無責任だ」(毎日新聞)と非難したという。
結局当時の責任者だった課長と係長が業務上過失致死罪で有罪となった。
かつては、行政は何もしなければ責任なしという風潮があったが、最近は不作為の罪として責任を問われる事案が多くなった。
さきの静岡県の所得税振り込み忘れの事件でも十分な監督を怠った課長が責任を問われている。

また、共通しているのは、直接管理していた業者であったり、直接振り込み忘れをした担当職員は罪には問われていないということだ。
これは、権限なければ責任なしという原則によるものということだ。

振り返って、県職員の日常の仕事を見れば、まさに「前例踏襲の仕事をすれば足り、担当者に事務処理は任せればいいと考え、自らの義務を完全に怠った。その態度は全く無責任だ」という例は多いものと推察する。

このプール事故も同様であるが、誰かが苦言を呈し、責任者が職責を果たすべき機会を与えるべきだった。それができるのが現場である。
相手がだれであっても遠慮なく問題提起し、上司がそれでもやらないと判断するならその記録はしっかり残す。もし上司にその問題の専決権がないのなら最終判断を専決権者に求め記録しておく。そういう判断の機会を与えることによって互いに鍛えていかなければいわゆる前例踏襲の罠にはまってしまうのだ。

静岡県には県会議員の口利き事件を契機に「起案文書の内容の変更に関する事務処理要領」が定められ起案者の元の案(意見)や、上司の修正意見や最終となる専決権者の結論が見え消しで残るようになっているため、後日の判断の正確さや責任も明確にできる。
修正ばかりでなく差し替えや再起案についてもしっかりと公文書として保存される仕組みだ。
そういう意味では起案者が正論で起案すれば安易に恣意的な横やりは入れられない。
したがって、もし口頭の議論が苦手であれば、起案という形で苦言を呈するというのもお勧めしたい。

だれか他の人がいずれその問題を指摘するだろうなどと思うことなく、県民の生命財産を危うくするような問題に気づいたなら迷うことなく、積極的に現場から問題提起していってほしい。  後悔しないためにも。